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三十年経ったら、学校が優しくなっていた

娘の入学式で久しぶりに足を踏み入れた学校。

自分が卒業した学校ではないが、イヤな思い出が残っている小学校へ踏み入れることに対して、心がザワザワした。

コロナ禍のせいで、入学式が施行される体育館へは保護者は一名しか入れないので、玄関で見送った。

とても優しそうな先生たちに迎えられながら、娘は少し不安そうな顔で中へ入っていった。

そして、入学式がはじまった。コロナ対策で出入口や窓が開放された体育館からは、中の声からよく聞こえてきた。

短縮プログラムで施行されたが、校長先生から短めの挨拶があった。その内容はうまく表現できないけど、一言でいうと、とっても優しかった。そして、子供を守ろうという思いも伝わってきた。

最後に、体育館から出てきて、子どもたちを迎える先生たち。それも、なんだかすごく温かくて優しかった。

学校って、こんなに優しいところだったっけ?

入学式だけではなく、普段の授業でも、発達障害などを持つ子供のために、担任以外に補助の先生が付いている。昔は、足や手など体が不自由な子供にしか養護の先生は付かなかった。そして、グレーな子供たちには、通級制度や不得意な科目だけ別学級で学ぶ制度もある。

毎月もらってくる給食の献立表には、材料がすべて書かれている。アレルギー対策だ。うちの子にはアレルギーがあるので、毎月問題がある食材がないか、家庭と学校でダブルチェックする仕組みになっている。

子供が毎日持っていくチャック付きの連絡袋。100円ショップで売っているようなものだが、学校からもらって来るプリントや学校へ提出する書類は、この袋の中に入れるルールになっている。昔なら、そのままプリントが渡されて、ランドセルに突っ込むだけだった。

ここに挙げたのは、ほんの一例。なんだか色々優しくなっている。子供が生きやすくなっている。

自分が思っていた学校は、こうでは無かった。それとも、小さな自分は、優しさがあったのに、気づかなかっただけだろうか?

けっして、自分が優しくされているわけでない。今学校へ通っている娘が優しくされているだけである。

なのに、なのに・・・

なんだか自分が優しくされている気分になった。癒やされる思いだった。もしかしたら、自分の中にいる小さな頃の自分が、その優しさに触れているのかもしれない。

自分が不登校だった三十年前と比べると、学校は優しくなっていた。

入学式の閉式が告げられ、もうすぐ娘が体育館から出てくる。玄関に迎えに行こうとした時、心が優しさに触れたせいか、キレイに咲いた桜や青い空の色が滲んでた。

昔のイヤな感覚が少しだけ体から洗い流された気がした。