見出し画像

「多様性」という名の「たった一つの正解」

最近、オリパラ委員会の会長を辞任した森さんのニュースが世間を賑わせている。

なんかこのニュースをみると、正直なところ、心がザワザワする。

心のコンディションが悪い時、自分とはまったく関係のない人でも、みんなから攻撃されているのを見ると、なんだか心が苦しくなる。その様子を見るだけで、心地がよくない。

たしかに、オフィシャルな場で男女平等に反する発言をしたのは問題はある。そして、森さんを擁護する気もまったくない。だけど、あまりにも個人攻撃がひどすぎるというか、過剰な気がしてならない。

もはや、個人の人格否定に近い発言がネットニュースやテレビ番組で平気に発信されている。

繰り返しいうが、別に擁護する気はない。

しかしながら、一連の発言を流して聞いてみると、悪意があるようには感じられない。言い換えると、古い考えを持ったおじいちゃん、昔ながらの頑固親父がポロっと発言したようにしか思えない。

もちろん、あの立場にいる人が発言する内容としては、ふさわしくないだろう。しかし、日本のみならず世界から、人格否定まがいの攻撃対象になるほどの罪とも思えない。一言でいえば、バランスが悪い。

きっと、おじいちゃんにとっては、昔の日本的な考え方が、一種のビリーフのようなものとして、根付いてしまっているのだと思う。小さな頃に戦時中も体験した世代。若い日にこびりついた考えは、そう簡単に変えられないのだと思う。

もし、仮に変えたように見えたとしたら、それは演技であり、ウソである可能性もある。

テレビで偉そうに森さんを批判している攻撃者には、偽善ぶったウソ付きがきっと山のようにいると思う。だけど、大人のフリをした嘘つきは非難されることなく、むしろ称賛される。

今回の男女差別ネタにしても、会社の中、お笑いやバラエティ番組では幾度も使われてきたのではないかと思う。それを見て、笑っていた愚か者もたくさんいるはずだ。しかし、それは問題視されない。

もちろん、国際的祭典であるオリパラにはふさわしくない。それに尽きるのかもしれない。だけど、あんな個人攻撃はやっぱり見ていて気持ちがよくない。

今の時代、多様性(ダイバーシティ)が求められている。

ジェンダーレスとか、男女平等とか、様々な考え方や捉え方を認め合うというものだと思う。

でも、時にダイバーシティは多様性を求めながら、今の時代にあった「たった一つの正解」を求めているように思う。ウソ付きな大人は、同調圧力的に「たった一つの正解」を本音とは違っても声高らかに叫ぶのだ。

穿った見方をすれば、森さんの考え方は、多様性のある多くの人の意見の中のうちの、一つの考え方。今の世の中でいう多様性は、そんな色んな考え方を理解しようとも、認め合おうとも、議論しようともしない。とりあえず、「たった一つの正解」以外は叩きのめすのだ。

様々な考え方にすべて賛成しなくていい。でも、まずは理解や解釈しようとするのも、多様性の一つである気もする。もう少し言えば、そんな考え方をお互い認め合い、その上で冷静に議論する世の中であって欲しい。決して、いきなり人格攻撃をするものであっては欲しくない。

なんだかこう書くと、やっぱり森さんを擁護している雰囲気になってしまう。

でも、思う。

森さんの話に限らず、芸能人の不祥事(けっして、犯罪に至らないものであっても)でも、大人たちは日本国民総出で一人の人間に対して袋たたきのように攻撃を加える。

こんな大人たちを見た子供たちは、きっと思う。

「異物は排除していいのだ」

そして、子供たちは、学校、教室でそれを繰り広げる。多様性を装うフリをして、ウソをついて、同調圧力に従う。

そして、異質な子をターゲットに、クラス中のみんなで、袋たたきのように人格攻撃をするのだ。

だって、大人たちがそうしているから・・・
悪いことではないのだから・・・