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不登校をして唯一良かったこと

ネットでよくこんなフレーズをみかける。

「不登校をしてよかった」
「貴重な体験をすることができた」

自分はそんなことを露ほども思わない。

不登校を経験してよかったことなんて、何もない。そんな経験なんて、無かった方が良いに決まっている。

ずっとそう思って生きてきた。

だけど、再び学校へ通いはじめてから約三十年後。大人になってから、不登校を経験してよかったと思えることが、たった一つだけ見つかった。

今から約三年前、仕事の過負荷や上司のパワハラで適応障害になった。

まず眠れなくなった。床に入って、寝付くことができず、何度も何度も枕元の時計を繰り返し見て焦る日々を送っていた。いわゆる入眠障害だ。

さらにひどくなると、早期覚醒という症状が加わった。本来目覚ましを合せているのは午前6時。だけど、それよりも早く目が覚める症状。

いつしか、真夜中の3時頃には目が覚めるようになった。そこから寝ようとしても寝付けない。仮に寝付けたとしても、枕元の時計はたった五分しか進んでいない。そんなことを朝まで繰り返し続ける。

そんな日々を繰り返しているうちに、日中は頭にヘルメットを被せられたように、重みを感じるようになった。

その症状も長く続くと、さらに体に異変が現れた。

布団で横になっていると、春先なのに体が火照るような熱くなり、汗だくになっていた。さらに、日中も不安感とも焦燥感とも言えぬ嫌な感覚に身体を支配され、汗をかくようになっていた。

そして、ゴールデンウィーク開けのある日の朝、通勤途中の地下道でさらなる身体の異変が起こった。地面が揺れた。回った。いわゆる、めまいだ。

実はここに至るまで、グッと耐え忍んでいた。

自分の中では「こんな程度で弱音を吐くなんて、根性の無いダメな奴だ」「世の中には、もっともっと辛い人がいて、耐え忍んでいるはずだ」と思っていた。

だから、まだ頑張ることもできたかもしれない。もっともっと耐え忍ぶこともできたかもしれない。

だけど、自分の中にいる小さな自分が、こう語りかけてきた。

「そのまま頑張ってもいいけど、あの時のようになってもいいの?」

「あの時」とは、今から約三十年前の小学六年生のこと。当時、私は学校へ一年間行くことができなくなった。いま直面している不安感、身体の異変が当時に通ずるものがあったのかもしれない。

自分の中にいる小さな自分が、今の大きな自分に警告を発したのだ。そして、こう思った。

「あの時のようには、もう二度となりたくない・・・」

本能的かもしれないが、このまま頑張りつづけたら、かつて学校へ行くことができなくなった小さな自分のように、会社へずっと行けなくなってしまうのではないかと、恐怖を感じたから。

だから、地下道でめまいを起こした日の会社帰りに、勇気をだしてメンタルクリニックへ電話した。

学校へいけなくなった小さな自分は、知識も経験もなく、自分自身でどうすることもできなかった。でも、大きな自分には知識も経験もある。だから、メンタルクリニックという脱出方法を見つけることができた。

もし、あの時の経験がなかったら、自分はまだ頑張り続けていたかもしれない。

会社には、うつ病を患っている人が何人かいる。こじらせてしまった人は何年も復帰せず、出社と休職を繰り返している。もっとひどいケースになると、休職期間を使い切り、退職した人もいる。

うつ病は頑張った時間が長ければ長いほど、復活へ時間がかかるように思う。

だけど、私は早期に対応したおかげで、休職をすることもなく、会社へ通い続けることができた。そして、治療を経て、ほぼ完治することができた。とはいえ、睡眠のペースが完全に戻るまで、通院と服薬をした期間は一年半もかかった。

ただ、会社に知られたくなかったので、産業医にも相談せずに、自分でクリニックへ行ったこともあり、軽症にみられてしまったことは誤算だった。そのせいで、十分に寝れるだけの睡眠導入剤を出してもらうのに、約一ヶ月かかり、その期間はかなり苦しかった。

不登校だった小さな自分が、大きな自分に「無理をしたらダメだ」と警告を発してくれたこと。

これが唯一、不登校をしてよかったことだ。