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死のうと思っていた。
"死のうと思っていた。"
太宰治の「葉」という作品の冒頭である。おそらく高校生の頃だかにこれを読み、この一節に取り憑かれた。ふとした瞬間にこのフレーズが頭に浮かび、私は確かに、自身の胸の内に僅かながらに死への憧れがある事を自覚した。
いつからなのかははっきりしないが、私は生きる事への執着心を失った。自身の人生の中で一番楽しかった頃はいつだったかと聞かれると、小学3、4年生の頃だと記憶している。この世代は、自分を飾り気取る事なく個性を発揮できる最後の時期だと思う。これ以降となると周囲の人間も含め皆々がませ始め、男どもは妙に悪ぶって妙な喧嘩をふっかけて来たり、女どもは訳もわかっていないクセにみっともなく色恋に興じたりと、人付き合いに面倒な事が多くなる。この頃から私は酷く人付き合いに疲弊してしまう人間になった。
複雑化する人間関係の中で生きるのがこんなに面倒なものなのであれば、いつ、この命を無くしてしまっても構わないと思うようになっていたし、その気持ちを外に向ける事を恥と思う事すらできなくなっていた。
いつしかその気持ちは、私を大切に思う人間に対し、"失礼"となり、周りの人間を傷つけた。
「あなた方の存在は、私にとってはこの世を生き続けて行く理由に値しない」と吹いてまわっているようなものなのだ。
しかし私は、彼らにそのような事を言われる事も思われる事さえも面倒だと思っていた。
私は確かに死のうと思っていた。
太宰治の「葉」はこの後このように続く。
"死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。"
死のうと思っていたのだ。しかしそれは、今でなくても良いくらいにいつだって構わないもので、都合が悪くなったらいつ捨てたって構わない命、というスタンスで生きているだけだ。カッコをつけた言い方をするのならば"余裕"というものである。
生きる事を尊いものとして身構えて生きられる程、私は何も持ち合わせていないし、そういう気持ちが他所様にバレてしまうのは恥とは感じている。
私は明日もそれ以降も、この気持ちを延長する理由を見つけては、みっともなく生きていくのだろう。
そして、できれば明日も何かが見つかってほしいという気持ちを、砂つぶ一握り程度には持ち合わせている。
私はおそらく、明日もまだ生きて行ける。
2019.3.12 明星一号
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