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【記録】腹八分目

昨日の昼以降、食欲が増加。
一度に量が食べれる訳ではないが、常に空腹感があった。


夕食を少し早めに取り、筋トレをしたのちまた間食を挟む。
食べれることがうれしいのだ。


今朝、起床後に朝食のヨーグルトを摂取。
まだ何となく空腹感あり。

出社後、差し入れのお菓子を1粒。
それが余計だったかもしれない。
胃にちょっとした不快感と、ちょっとした予期不安が出現。

午前中は社長である父親と社員さんに同行する予定があったが
お客様とのお約束事であるため、何かあった時のことを考え
同行をしないことに。
(ちなみに社内の人間で僕の体調について知っているのは身内だけ)


僕はすっかり忘れていた。
何事も「腹八分目」が今日を生き抜くための術であるという事を。

これは何も、食事に限った話ではない。



まず人間関係。昨日の記事でお話ししたように
僕は近すぎる人間関係がストレスだ。
恋愛に関してもそう。運命共同体のような熱い恋よりも
付かず離れずの少しドライな関係の方が心地がいい。
勿論寂しさがない訳ではない。ただそれでいいのだ。


それと僕はかなりの凝り性である。
好きで始めた趣味が、徐々に強迫観念的な向上心に振り回されるようになり
疲弊しきった頃、誰のためにこの趣味をしているのかわからなくなり辞める。こんな事が多々あった。

一番最近気づいたのは、ファッションだ。
中3の頃、馬鹿にしてくる連中を見返したくて興味を持つ。
高校に進学した頃には自分が楽しくて服を選ぶようになる。
そのうちに狭い界隈の中ではあるがファッションアイコン的な立ち位置になる。
そうなると、「もっと上の存在になりたい」という承認欲求から
他人軸で服を選び始める。

気付けば、僕は「自分が着たい服」ではなく
着こなしたら評価される(であろう)服」を着るようになっていた。

Tシャツ1つとっても、ユニクロを着てる人間を見下し
意味もなく身の丈に不相応な金額のものを買っていた。
勿論、高いものには理由があると思う。
ただそれを手にしていいのは「高い理由に共感できる感性の持ち主」であると僕は思う。
僕にその感性はなかった。

鬱病になったことと、ある友人の影響で
僕は安い服でも十分満足できる人間であることが発覚した。
僕は「服好き」ではなく「ファッション好き」だった。

学生時代よりも、今の方がファッションが楽しい。
自分のために純粋に楽しんでいるため、ストレスも全くない。



話が長くなってしまったが、要するに腹八分目とは
自身が好きでいられる距離感
であると僕は思っているし、
ちょっとだけ幸せに今日を生き抜くための術であると思う。

特に、僕のように精神疾患と縁のある人間は
完璧主義かつ白黒思考である方が多いのではないだろうか。

腹八分目とは、そんな自分を許すことにもなる。


許すというのは簡単なことではないが、そこを乗り越えられるかが
今より生きやすくなるかどうかの分岐点であると思う。

完璧主義でありたいという拘りを貫く生き方はカッコいいが、
鬱を経験した我々は「一度死んだ身」なのだ。
拘りを一度手放し、第二の人生をおだやかに生きるのも悪くないと思う。



と、忘れかけていた自分に言い聞かせる。



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