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第9話 2010年、春

「6年2組、M山先生」
校長先生による死刑宣告が言い渡された。


だが結論から言うと、この最後の1年はなんてことなかった。
M山の躾に関しては2年1組の時に学習済みだった。
また、此奴に目を付けられるやつの傾向も何となく把握していた。

虐められよと何をされようと、感情を無にし続けた。
まるで手ごたえがなく、僕で遊び甲斐がなくなったM山は
僕を捨て、次のおもちゃを見つけ遊んでいた。

僕の精神的な成長もあるだろうが、受験というもののお陰で
1か月ほど学校に行かない時期があったのも救いだった。
僕がもし鼻つまみ者でなかったら中学受験を志してなかっただろう。
皮肉にも自分の社会不適合性に感謝する日が来るとは。


その間、M山は
「受験だ?あんなのは金がある過保護な親がさせるもんだ。お受験なんかしてる連中はクズだ。」などと抜かしていたらしい。

その頃の僕にはもう恐怖などなく、ただ呆れていた。
こんなやつに人を教える資格があるのか、と。


洗脳を受け、おもちゃにされていく連中を傍観していたら小学校生活が終わっていた。
卒業式、好きな子と席が隣になった。
今までの1年間、いや、6年間苦労した元が取れた気がした。


ちなみにM山は、現在妻と息子がおり
未だに教師として他人の子供に厳しい「躾」を行い続けているという。
何とも恐ろしい話だ。



受験も成功し、晴れて私立の中高一貫校に通うことになった僕はただ浮かれていた。
自宅からやや離れた場所にあるここには、僕を知っている人間は誰もいない。僕はここで「やり直す」んだ。そう意気込んでいた。







この時、友達と呼べる人間が誰一人出来ずに6年間を過ごす事を
僕はまだ知らない。


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