絵画を学ぶ本末転倒男
昨日は旅路につき投稿できませんでした。
最近友人のススメにより絵画について少しだけ学びはじめた。
特に深い動機があった訳じゃないが、なによりヨーロッパに居て、美術館に行った時に得られる楽しみがより一層増えるのでは!?と思ったのがはじまりだ。
そういう時は取っ付きやすい資格からスタート。
とりあえず美術検定3級を目指すことにした。
といっても元々私は美術館とやらに行くのは好きでも嫌いでもないぐらいのもので、とりわけ好きな訳では無い。
それにあの美術館とか〇〇館なるところの歩き方って100以上ある歩き方の中で1番疲れるような気がするし、ちょっと歩けばすぐに椅子を探す始末だ。
そんな私でも座学はなんとなく続ける方法を知っている。
コツはただ辞めないことだ。
毎日15分。毎朝の通勤。寝る前の間。
こういうことを決めて始めるが基本的に挫折する。
それでもまた適当に始めればいいのだ。
そんな適当でも塵も積もれば山となる。
山にならなくても塵が積もればちょっとした塵の塊ぐらいにはなる。
そんなこんなで続けることは苦じゃない。
それはそうと本末転倒男の話をせねばなるまい。
本末転倒男とは何を隠そう私のことにほかならない。
この男、美術の変遷や流れは本で概ね掴んだし、なかなか面白いとも思ったようだ。
美術と政治はリンクしてるし、絵画は何かしらの繋がりを持って生まれている。
そしてその絵画の歴史的な繋がりを作ってきた人達は、その直後ないし少し後の時代で評価されたということであり、その評価されたということが今日でも評価されている。
例えばトイレを泉と名付けたマルセル・デュシャンという人がいる。
控えめに言って明らかに頭のネジが少し緩い人なのだろうと思うけれど、それが世界的にレディメイドという概念(既成のものを芸術として扱う)を作った先駆け的存在として評価されている。
そしてその影響はしっかりと後世にも受け継がれている。
そういう意味では、同じようなものを作ったしても時代という後押しや世の理解を得なければ、なかなかその世代の前面には出て来れなかったのだろう。
そういう知識を少しずつ手に入れてきた私は美術館へと繰り出した。
ここ最近ではニースとボルドーの美術館に行った。宗教画から現代アートまで。
それがまぁそこそこ楽しいのだ。
この人の名前は本に載ってたとか、あーこれ有名なやつか!とか…
そこで私は情報を消費しはじめたことに気づいた。
これが目的でもあったのだけど、今思うともっと素直に楽しめたのでは?と思わなくもない。
なんていうか知った気、分かった気で見るから、モノが見れてない感覚というのだろうか。
昔より深く掘れてる感じはするが、表面の情報だけをなぞって、結局昔の方が「絵の鑑賞」を楽しめていたような気がする。
もっと言うと、本に載っていない人の作品をどうしても軽視しがちにもなる。
ワインも同様だ。
なんだか少し寂しいような気がしてきた。
せっかくそこに素で壮大なものがあるのに情報を消費対象にすると途端に感性が鈍くなる気がする。
絵画の鑑賞を楽しくするために蓄えようと思った知識が、鑑賞を邪魔している。
こういった状況のことをを心理学用語で「本末転倒男のジレンマ」という。
もちろん嘘。
そんな言葉はないがまさに「本末転倒男のジレンマ」と言い表すにふさわしい状況なのである。
ただそれをもぶち壊すワインや絵画があるのも事実だ。
情報として有名だとか美味しいと聞いていたもので、最上級にハイレベルなものを実際に目や口にした瞬間にそれは起こる。
ボルドーの美術館にはドラクロワやルドンといった画家の絵が飾ってあった。
ルノワールやコローといった印象派、写実主義的な作品もありなかなかのボリュームになっていた。
ボルドーの観光向けサイトにはピカソやファン・ダイクらの名前もあったが…あったのだろうか…
それはともかくそこで予期していなかった作品
「マラーの死」を発見したのだ。
その瞬間思わず「これか」と声が出た。
常設ではなく、新古典主義とロマン派の期間限定の展示だったのでノーマークだった。
ワインでは普段あまり銘柄を覚えないせいか、そういうことは無かったように思う。
あるとしたらナパのプリズナーぐらいかもしれない。
ただとりあえず情報消費を超える瞬間が本末転倒男にも訪れることがわかり嬉しさがあった。
ただやっぱりワインの銘柄がもし職業上必要でないのなら、これからもあまり覚えないようにしてもいい気がすると思ったそんな1日であった。
情報と作品のバランスを考えて消費したい。
そこに達するにはまだまだ道程は長いだろう。
本末転倒男の旅は続く。
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