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結局 ”想いが重い”のだ 

1週間の家出から戻って、私は👽に手紙を渡した。
理解してもらえなくても、何が引っかかって家を出て行ったのかを伝えて
ひと区切りつけたかったから。

口で言うとまた喧嘩になるし、涙は出るしでストレスが溜まる。
だから以前喧嘩したときにも手紙を書いた。たぶん今回も同じ内容。
つまり👽は変わっていないのだ。でも、今回の喧嘩では「そういう考え方もあるかもしれないけど」と言っただけマシ。👽が心底そう思ってるかどうかは謎だけど、少しだけ視野が広がっているのは確かだ。

手紙は家出先のヨガスタジオで書いた。
「朝ごはんがワンパターン」の件には触れていないけど、回り回って行き着くところはいつも同じ。

「自分の考えが常識で、それ以外は非常識」だと決めつけるのはいかがなものか?!ということ。

以下、引用部分が手紙の内容です。恥ずかしながら、記録としてここに書き留めます。

これについて👽からの返事は求めていない。ちゃんと読んでいたようだし、今後の態度でどれぐらい伝わったかわかると思うので。こういう理詰めで来る私の態度が気にいらないのだと思うけど、私も精神を病みたくないので(十分病んでるけど)我慢しないことにしたんだ。

 急に家を出てすみませんでした。年下の私にいろいろ言われて気分が悪いかもしれませんが、口で言うのは難しいので、文字にします。最後まで読んでもらえればいいのですが。

 今の家庭の状況があなたの理想ではないようですが、そんなに世間からズレてはいませんし、あなたの理想がいつも正しいわけではありません。理想と現実は違います。社会規範に反するようなことはしてはいけませんが、考え方は人それぞれ違うし、自分の理想や考えと違うからといって「道に外れている」と思うのはよくないです。

👽への手紙

「ぬか漬けがちょっと辛いかも~」から、なんで娘の進路や家族の在り方が気に入らん!という話に飛ぶわけ?!一人娘を家から出した、家族というものは・・・と、いつもの講釈が始まる。ここがずっと引っかかってるらしい。自分の理想と違うから。すごい執着。

 M子のことも気に入らないようですが、子どもは親の所有物ではありません。いろいろな経験をさせ、自立して生きていけるようにサポートするのが親だと思います。親の安心のためだけに親が進路を決め、そばに置いておくのは子どものためになりません。M子はお父さんがちゃんと働いて育ててくれたことに感謝していますし、一人っ子だから、私たちを常に気にしてくれています。
 あなたはスマホを持っていないからわからないと思いますが、私にはほぼ毎日メールをくれて、写真とともに近況報告や相談をしてくれています。時々あなたにも写真を見せますが、あれよりもっとたくさん送ってくれています。でも、あなたがいきなり怒り出したらと思うと、写真を見せることも報告することもできなくなりました。

👽の理想は「学校を卒業したらそこそこの企業の正社員か公務員になり、結婚適齢期に結婚して、実家の近くに住んで時々孫を連れて帰ってくる」というもの。その道を行くようにコントロールしなかった私が悪いそうだ。👽は「子育てに失敗した」と言うが、私は自分のやりたいことを自分の力でみつけた娘の子育ては「大成功」だったと思っている。
👽と私、価値観が正反対。

 あなたの若いころとは時代が違います。お金を稼ぐ人が偉い人、正社員はできる人で派遣社員は仕事のできない人、結婚している人は幸せでしていない人は不幸…こういった基準は今の時代には通用しません。間違っても外では言わないようにしてください。周りの人はあなたに何も言わないかもしれませんが、だんだん周りに人がいなくなります。

高齢者にはこういう考え方の人がまだまだいる。先日、いつも行く美容院で、独身の女性店長に向かって客のおばあさんが「○○ちゃんも早く結婚して幸せになってもらわないとなあ」と。まあ、おばさんに深い意味はなかったのだろう。店長も笑いながら「今も十分幸せですよ~」と言ってたけど、店にいたほかの人は苦笑い。

👽は十分この種族なので、一緒に出掛けると変なことを言い出さないかとハラハラするのだ。今どき「お金を稼ぐ人が偉い人、正社員はできる人で派遣社員は仕事のできない人、結婚している人は幸せでしていない人は不幸」なんて言ってたら全世界を敵に回すぞ。時代錯誤も甚だしい。

 あなたは「失敗」ということにとても敏感ですが、子どものころ、失敗していじめられたとか、ひどい目にあったことがあるのですか?一般社会では「失敗から学ぶ」と考えます。失敗がすべて悪いのではなく、なぜ失敗したかをよく考え、次に生かすのです。「失敗するな」と言ったり、失敗したことを馬鹿にしたら、その人は萎縮して、次から力を出せなくなります。子どもや部下を育てるときに一番大事なことです。

最後の一文はちょっと高ビーかなと思ったけど、もういい!
発達障害の特性として「ミスにいつまでもこだわる」というのがあるそうだ。👽も、勘違いしたり小さなミスをした自分が許せないようで、だから他人のミスにも厳しい。私は家にいながら緊張の連続。

 あなたの気に入らないことを私がしたり、「失敗」した時、会社の上司が部下に指摘するように言うのではなく、普通に「○○はやめといたほうがいいよ」とか「それより○○してくれる?」と言ってください。感情のままに吐き出せばあなたはすっきりするのかもしれませんが、私は疲れます。普通に言ってくれればわかります。険しい顔で指摘されると、話の中身より険しい顔だけが頭に残ってつらいです。あなたの前ではミスをしたり、変なことを言ったりできないので、緊張しています。「○○が欲しい」とか「○○したい」とも言えなくなってしまいました。

ここではあえて「普通」を連発した。「何をもって普通とするか」は最近よく言われることだけど、とにかく「普通」でいいんだ!

 以前より、ましにはなりましたが、体調が悪い時や気になることがあるときは急に黙り込まないで、「頭が痛いからもう寝るわ」とか何か一言普通に言ってください。私も頭痛になりますが、救急車で運ばれるような重病でない限り、口はきけます。回復した時に後から言えるようになっただけよかったとは思いますが、黙り込んで1日以上経つと私も疲れます。先に言ってください。イライラせず普通に。そしたら私も無神経に話しかけたりしなくてすむので。

「機嫌がいい時と悪い時のギャップが激しい」というのも特性の一つ。本人はおそらく気がついていない。「回復したときに後から言えるようになった」のは、2017年に私が暴れたから。

 それからずっと気になっているのですが、私が話しかけているのに無視してぼんやりしている・質問していることとズレた答えが返ってくる・まだ私が話しているのに最後まで聞かず、かぶせるように違う話をする、これは耳が聞こえていないからですか?私の話し方を変えたほうがいいのか、あなたが病院へ行ったほうがいいのか。耳の問題ではなく、人づきあいでトラブルのもとになる あなた独特の特性のようにも見受けられます。

さすがに「発達障害のグレーゾーン」じゃないですか?とは書けなかった。👽にしたら何のことやらだろうし、この年齢になったら名称の問題ではなく、自分の特性を知って歩み寄ってもらうだけでよいのだ。

 私はもっと明るくて、ざっくばらんに冗談を言ったり、話したりする人間です。でも、私はあなたの理想ではないようなので、変なことを言ってしまわないかと声が出なくなっています。一緒に旅行にも行きたい、買い物もしたいと思うけど、その時その気がなかったら、あなたは気づいていないかもしれませんが、まったくの無表情で怖くなります。
気分が乗らないときは、無視したり、イライラと吐き捨てるように言ったりしないで、普通に言ってください。外の人に愛想よくするので家の中では疲れているのでしょうか。気軽に話しかけられない雰囲気です。この間は映画に行けてよかったけど、そんな簡単なことも、恐る恐る声をかけています。

この「まったくの無表情」というのは、発達障害の当事者にとって特に意味はないらしい。だからグレーゾーンの👽にとっても深い意味はない。急に言われて何を聞かれたのか、何と答えればいいか、タイムラグがあるそうだ。そういえば👽は、そんなとき「え~なになに?そうだなあ~」というような言葉(日本語教育ではフィラーと言います)を差し挟むことがあまりない。そうか・・・だから会話が不自然なんだ。今更気づく。

 ここで話したこと、あなたには身に覚えのないことかもしれませんが、友達や外の人は気分を害しても、変だなと思っても、言ってくれません。なぜなら一緒に暮らさなくていいから。会いたい時だけ会えばいいからです。でも家族はそういうわけにはいきません。毎日一緒にいるのですから、お互いに少しでも気分よく過ごせるようにしなければなりません。でも難しいことではないです。肩の力を抜き、イライラしないで普通にしていればいいだけです。

グレーゾーンの👽にしたら、「自分が普通」と思っているのだから、ちょっと私が言ってる意味が分からなかったかもしれない。でも、そんな👽の「普通」は、疲れないか?ウチとソトで人が変わる外面良夫そとづらよしおは、どう見ても肩に力が入りすぎ。若い頃からずっとそれで来たから平気なのか?

ここまで書いてきて今更だけど、発達障害及びグレーゾーンの当事者は、私が疑問に思うことは全く疑問に思わないらしい。
イライラしているわけでもなく、思ったことを言っただけ。気分が悪いから喋らないだけ。食べたくないから食べないだけ。いや!一人暮らしならそれでもいいけど、何か一言あるだろう。一緒に暮らしている者、目の前にいる者の気持ちがわからないのか?・・・わからないそうです。

うちの👽の場合、グレーゾーンと私が認定している所以は、特性の「程度と頻度」が軽いということと、今回のようにズバッというと改善が見られるということから。
私にだって至らない点は多いけど、悪いところは直そうとする。いつもいつも「発達障害は脳機能の問題だから定型発達の人が理解して合わせてあげてください」というのは違うと思う。実際当事者で自覚し、周りと円滑に付き合えるように努力している人もいる。要は、お互いの歩みより、なのだ!

 ここに書いた私の気持ちがどれぐらい伝わったか不安ですが、改めては言いません。あなたのおかげで安定した暮らしができていることに感謝しています。家に戻って今まで通り、家のことをします。私も気が利かないときがあると思いますが、一所懸命やるので、イライラしないで普通に教えてください。
 私は、一人で部屋を借りて自活していくほどの経済力はありません。それ以上に(あなたは一人暮らしに慣れているから平気かもしれませんが)あなたが一人で倒れてだれにも見つけられず死んでしまうことを考えたら、私が後悔すると思うので、家にいさせてください。一緒にいることであなたがどうしてもイライラするときは、今回のように私がしばらく家を離れます。

手紙を渡した後、「イライラしないで普通に教えてください」の部分が、今回は改善が見られる。家出から戻って2週間、以前だったらもっとエラソーに言い放っていたと思われる場面があったのだが、「普通に」言えていた。やればできるじゃないか。
👽にしたら、自分が普通だと思っていることを「それ、おかしい!」と否定されて違和感かもしれないが、10人いたら10人が「その言い方はダメだろう」という言い方はやめてもらいたい。

家出最後の夜にヨガ友と晩御飯を食べながらいろいろ話していたのだけど、
結局「想いが重い」のだろうという話になった。
私が良かれと思ってやっていたことが👽にとってはどうでもいいこと。気持ちより段取りや効率重視のグレーゾーン👽にとって、相手が喜ぶだろうという気持ちなど、余計なお世話なのだろう。朝ごはんのパンが四角だろうが、丸だろうがどうでもいいのだ。(と👽が言いやがった)

私もいいかげん、慣れなければ。
その時の気分で別人のように陽気に喋ったり、黙り込んだりするのも。話しかけても目が点になって、沈黙するのも。心ここにあらずで遠くを見つめているのも。・・・👽に悪気があるわけではないのだから。
でも、相手の気持ちを思って何かをすることの良さも👽に伝えたい。

👽、この先、何年生きる?(って、あくまでも私が後に残る設定)
あまりギューギューやり過ぎて別の病を発症されても困るので、私も温かく見守る技術を身に付けなくてはと思う。

そして今回も、手紙の最後はやはりこれを書くことになった。

 7月12日はあなたのお母さんの命日ですね。またお母さんが出てきて「本当は優しい子だから、もう少し待ってやって」と言いました。お母さんが言うのだからそうなのだと思います。

2017年の大げんかの時もそうだった。義母の命日7月12日に大喧嘩が勃発し、今回も何気なく決めた家へ戻る日が7月12日。👽と揉めると最後は必ず、👽が17歳の時に亡くなった義母が出てくる。写真でしか見たことがない義母だが、いつも同じことを私に言うのだ。

***

こうして私はまた、元の生活に戻りました。
たぶん暑さのせいで、まるで一人で暮らしているかのように丸1日ずっ~と黙っていた👽がさっきやっと、一言つぶやきました。    ふふっ。



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