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〈働きたくないイタチと言葉がわかるロボット〉で言葉について考える

【読書記録】
みなさん、ごきげんよう。
突然ですが、「皆でのんびりご飯」と言ってもらってもいいですか?

せぇーーのっ!

「みんなでのんびりごはん!」

さて、お気づきでしょうか。
ここに出てくる「ん」の発音が全て違うということに。

❑みなの「ん」は舌が前歯の裏に付く「ん」
❑のびりの「ん」は唇をつける「ん」
❑ごはの「ん」は舌がどこにもつかず、喉を閉じるようにする「ん」

この音の違う「ん」を全て同じ「ん」として認識する私達の脳、そして人工知能。
違いを無視するという能力があるということなんです。

それも必要な場面でだけ。
すごいと思いませんか?
(実は韓国語ではこの発音の違う3つの「ん」は、それぞれ別のハングル(ㄴ,ㅁ,ㅇ)で表します。つまり、言語によってもその認識システムが違い、韓国語ではこの違いを無視してはいけないということ。)

本の中では、怠け者で他力本願のイタチたちが、自分たちが働かなくてもいいように、何でもできるロボットを作り、そいつに何でもやらせてしまおう!という邪な考えのもと、いろんな動物が作ったいろんなロボットに出会い、そのロボットをけなしては嫌われ、真似しようとしては失敗し、話は思わぬ結末に向かって進んでいきます。

この本では「言葉がわかる機械」をめぐるイタチたちの物語と、実際の「言葉を扱う人工知能」のやさしい解説を通して、そうした機械が「意味がわかっていると言えるのか」を考えていきます。
はたしてイタチたちは、何でもできるロボットを完成させ、ひだりうちわで暮らせるようになるのでしょうか?
ロボットだけでなく、時に私たち人間も言葉の理解に失敗することがありますが、なぜ「言葉を理解すること」は、簡単なように見えて難しいのでしょうか?

本の内容より

一つのエピソードごとに、言語学的観点から書かれた詳しい解説が挟まれていて、ちょっと難しいけど目からウロコが落ちまくります。

❝デートの約束をしていた日曜日、太郎は花子のまで迎えに行ったが、花子は留守だったので、仕方なく一度に帰った。あまりに暇だったので、友人の次郎に電話して、に遊びに来ないかと誘った。しかし次郎は、今日は親戚がに来るからダメだと断った。その直後に花子から太郎に電話がかかってきた。さっきは急用でを開けていたらしい。太郎はこれから出かけようと誘ったが、花子によれば、つい先ほど大雨警報が発令されたという。「さっき町内放送で、不要な外出を避けてで待機するように呼びかけていたから、今日はでおとなしくしていた方がいいと思うよ。」❞

この文章に出てくる7個の「家」

私達はなんの問題もなく誰の家のことなのか判断することができます。
でも、機械にとっては簡単なことではありません。
そうですよね、誰の家かも言ってないんだから普通ならわかりませんよね。

でも、人間にはわかる。

そして、それに近づけようと研究を続ける人たちがいる。
うーん。うまく言えないけど、やっぱりすごい。

山極寿一と小川洋子の対談を収録した「ゴリラの森、言葉の海」と併読していたので、人間が言語を持ったことで得たこと、失ったこと、言葉を理解するということ…ついて、どっぷりと考えた数日間になりました。

以前読んだ言語学バーリトゥードを書かれた川添愛さんの本で、なんと言ってもストーリーが面白い。
花松あゆみさんの可愛いゴム版画の挿絵もたくさん楽しめます。

言葉について、考えてみたい!という方には文句無しでおすすめしたい一冊です。

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