第1話 内定辞退

2005年10月30日

家族間の話し合いは概ね決着し、私は就職活動における第一希望であった会社の内定を明後日11月1日に辞退をして、父が経営する着物メーカーへ後継経営者として、来年の4月から新卒で入社することになった。

家族間の話は横に置いておいて、父は9月にガンの摘出手術を行ない、その病理検査の結果が非常に芳しくないものであったことは、第一希望の会社に数年間行く猶予も、和装業界の通例である取引先に2～3年ほど預り社員として行く余裕すらも無いことを意味していた。

周りのありとあらゆる人たち全員からその決断について「大丈夫か？」と心配されたが、当の本人は何に心配されているのか分からないというぐらい、企業経営というものの本当の恐ろしさに無知であるが故の楽観と、未知の世界に飛び込むワクワク感で、飄々としていたものだ。

着物という商材に対しては何の知識も無かったし、決して「物作り」に向いていたわけでは無かったと思うが、この商材はポテンシャルが高く、それはまだまだ顕在化されていないという感覚は明確にあった。それは、ある意味では正しく、最終的にはそれを証明することも出来たが、決定的に間違っていたこともあった。

その昔、「学校へ行こう！」という、幼稚園・小学校・中学校と、不登校を極めて高校も中退をかました私の天敵のようなタイトルのバラエティ番組が放映されていた。その番組の企画で、黒ギャルや地味目の女子高生を清楚風に垢抜けさせるというものや、その男子版でオタクっぽい男の子を爽やかイケメンに変身させるというものがあり、私はその企画が大好きであった。

本来人間には誰にでも可能性があり、ポテンシャルは無限にある。
要は、人間は変われるということを知っているかどうか、そして、それを実現するだけの力を持てるかどうか、それだけなのだ。

高校を中退して、当時の彼女と同棲をしながらフリーター生活を送るというなかなかのドロップアウトぶりをかましていた私が、大検(現在の高等学校卒業程度認定試験)に合格すれば大学を受験することが出来ることを知り、奇しくも18歳の夏、高校に通っていれば高校3年生の時に先んじて合格することが出来たのは、父がその情報を熱心に私へ伝えてくれたことが大きい。

現役で大学を受験することも可能になったわけだが、残念ながら志望校に受かるまでにはそこから2年がかかり、その間に私はインターネットに出会う。時代はYahoo!BBがサービスインした直後で、日本で本格的なブロードバンドが普及し始め、あらゆるサービスやネット上でのコミュニケーションが一般の人にも広がっていくタイミングであった。

1浪目は予備校に通っていたが、2浪目はネット上の受験関連のHPに設置されたBBSで知り合った同い年の男の子と、毎日一緒に勉強をして何とか私は志望校に合格した。早速、大学の講義の情報やサークルの情報がまとめられたHPがあるだろうと思って探してみるが、そんなものは無く、サークル情報は白黒の用紙に印刷された冊子のみで、講義の情報は先輩からの伝聞しか情報が無いという有様であった。

これでは・・・と思った直後に、思い描いていたような学生向けポータルサイトを立ち上げた団体の存在を知り、私はすぐにその有志のグループなのか、サークルなのか分からない組織にジョインすることに。

ミスキャンが存在しない大学で「キャンパス美人」という企画を立ち上げて数々の物議を醸したり、講義の内容がまとめられた「講義ノート」という限りなくグレーな商材を扱っている組織とタッグを組んだりと、ひたすら悪目立ちをしながらも、着実に広告収入をゲットしていくというなかなかエキサイティングな日々を送ることが出来た。

立ち上げた先輩たちはその実績を「ガクチカ」として、念願通りの内定先をゲットして就職。私はそのサイトを引き継ぎ、サイトからのスピンアウトとして、当時流行っていたクーポン雑誌の大学版を作ろうと、講義情報・サークル情報・大学近隣の飲食店情報などを折り込み、ご丁寧に企業広告も某経済新聞や就活第一志望であった企業の広告などをゲット。そしてその活動を「ガクチカ」として第一志望の内定、それに加えて少々のお金を得ることにも成功した。

その第一志望の会社は、情報を流通させる仕組みを構築することで、それまで閉ざされていた市場を次々に開放していき、日本におけるいくつかのライフイベント市場を民主化することに成功した会社だ。

本来あるポテンシャルや可能性を露わにすることで、世の中をより良くする、自分の原体験とも通ずるという思いを持ってその会社の門を叩いた。しかし、すでに強い会社に集まってくる人間は、その会社の強さに乗っかろうとしている人間たちであるということに気付くまで、それほど時間はかからなかった。

恋焦がれていた自分の気持ちが徐々に離れつつあるところに、会社を継ぐという選択肢が飛び込んできた。どうせ何年か働いたら辞めて自分で会社を立ち上げるのが普通だと思っていたし、予め経営基盤があるのなら、その会社を経営する方が早い。着物って今は駄目そうだけどポテンシャルありそうだなという、驚くほど安易な考えと家族間のあれこれで、私が継ぐことはあれよあれよという間に決まった。

この決断がどれほど大きなものだったのかということを、
当時の私には知る由も無い。

インサイドストーリー「会社の継ぎ方」

事業承継の問題点
事業承継をする会社の経営状況が、定量・定性の両面から情報開示をされておらず(特に悪い情報)、その会社の未来にとって、どのような事業承継を実現することが最善であるかという視点での意思決定は全くなされていない。これが最大の問題であったように思う。また、情報開示されたとしても当時の私の知識レベルでは理解出来なかったであろうこと。そして、残念ながら当時の社長であった私の父が、自社の状況を100%理解、把握出来ていなかったという側面もある。裏話だが、父は実子が入社する前に、当時の経営幹部たちに中継ぎとしての社長就任を打診したことがあった。その際、多少力不足でも実子が継いで、我々がフォローする形の方が良いと、それらしいことを言って全員が逃げた。要は、借入金が多すぎるので実子以外の人間が継げる会社では無かったのだ。

事実を淡々と記述すると絶望しか無いように思われるだろうが、中小企業の事業承継は、同じような感じか、そもそも継ぐ対象となる人間が居ないかのどちらかというのが実態だろう。

継ぐ前の修行ありなし問題
大前提として、
1.就職活動をせずに、直接入社
2.就職活動をせずに、縁故で入社した会社で修行
3.就職活動をして、縁故ではなく入社した会社で修行
4.就職活動をして、所謂ブランドネームがある会社で修行

この順番だと上に行けば行くほど舐められる。世襲だ血だと言ったところで、実力が無いと見做されれば完全に下に見られる。もちろん表面上は後継経営者として扱われるが、裏で何を言われるかは分かったものではない。
ただ、選択肢の3か4だったら良いのかと言うと、新卒大量採用を行なっているレベルの会社で働いた後、地方の中小企業に入社すると、その落差に愕然とするというのは後継者あるあるなので、それはそれで難易度が高い。事実、そこから会社を立て直していったという苦労話からの成功エピソードを目にすることもあるが、典型的な生存者バイアスで、その裏ではこんな会社ではやってられないと辞めていった後継者も山ほど居るのだ。
自分の場合は入社後1年8ヶ月で父が亡くなっているので、他に選択肢は無かったが、出来れば3か4の選択肢で3〜5年と言わず、10年ぐらい修行をして帰ってくるのがベストな選択肢だと考える。30代前半であっても、戻ろうと思える会社で無ければ、そもそもその会社は継ぐべきではない。

決定的に間違っていたこと
顕在化していないポテンシャルがあり、それらを顕在化することで新しいビジネスチャンスが生まれ、その波に乗る事は確かに出来たが、いかんせん絶対的な市場規模が小さすぎた。賢い人たちからすれば、そんな当たり前のことを・・・と思われると思うが、中小企業の世襲では表立ってこういうことを言うと嫌われがちである。その市場、可能性はあるけど、規模小さいよ？

1回目の事業売却
「ガクチカ」として使い倒した大学のポータルサイトだが、サークルと思って入部してきた大学生は、お金が絡むところに関わりたがらない傾向があり、事業として代替わりをしながら継続させていくのは構造的に難しいという問題があった。私は学内で営利活動を積極的に行ないすぎたことが問題視され、引責辞任という形で一度は代表を退いていたが、4年生になってカムバックした後に、「サイトを買いたい」というオファーをもらい、事業を売却した。後々になって振り返ると、サイトを立ち上げた先輩にその報告をした際に、決して良い顔をされていなかったように思う。そりゃそうか。
奇しくも、それから12年後と13年後にも、同じことが起きる。