室木 英人

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「後継者」のおわりに

2023年10月20日昔の話をするようになったら、人生終わりだと思っていた。 約40年前に市場規模のピークを迎えてから、一度たりともリバウンドすらせずに右肩下がってきた産業に飛び込んでからというもの、とにかく物量が多かった話、俺の武勇伝、どこそこが凄かった話などを酒の席でも昼間の商談でも聞かされ続けて、辟易していたのだ。 しかもほとんどの場合において、その成果はお前の力は全然関係無いだろ、たまたま業界が盛り上がっていた時にその場に居ただけじゃねぇか。とか、その時に主役とな

    • 6月に良かったやつ。

      ドラマ「あなたがしてくれなくても」前クールの「silent」に引き続き、ドラマのフジテレビ!という感じのシャープでスマートな演出が冴え渡っていて最高でした。演者も素晴らしく、演技力が求められるシーンは奈緒・永山瑛太夫婦に、世界観が求められるシーンは岩田剛典・田中みな実夫婦に割り振ることで、ドラマ全体に厚みが出たかなと。 「silent」が見ていない人に感動ポルノ扱いされてしまいかねないのは、中途失聴者との恋愛という側面だけが切り取られるせいだと思います。ただ、実際に見れば分

      • 「後継者」のはじめに

        まだ、夢を見る先日、末娘の風邪をもらってしまったのか、体調を崩した。幼児2名を含む子供3人を抱える我が家で、私と妻のどちらかが体調を崩すとなかなかの大事になる。妻に対して申し訳ない気持ちを抱きながらも、強めの倦怠感には抗えず、ただひたすら寝続けた。 継いだ会社を経営していた時の社員の1人である、Mさんの夢を見た。Mさんは独立して和装関連の事業を個人で営んでおり、自宅に訪問して仕事場の様子を拝見したり、奥さんやお子さんと和やかに触れ合うという夢で、なかなかの長尺であった。

        • ICL(眼内コンタクトレンズ)手術をやってみた。

          「ICL(眼内コンタクトレンズ)手術をやってみる。」の続き 手術当日何てことないように過ごしてきたというか、前日もそういや明日手術だな、みたいな感じで過ごしていましたが、当日になるとちょっとビビリが入る。 手術時間が近づくにつれてソワソワ。 時間になってクリニックに向かう間も気がそぞろ。クリニックに到着してからも、 「(もう亡くなっているけど)親にもらった身体に、病気でもないのにメスを入れるなんて・・・」 「今から止めてもお金は返してくれへんのやろうなぁ・・・」 「っ

        「後継者」のおわりに

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        記事

          ICL(眼内コンタクトレンズ)手術をやってみる。

          視力0.02前後、乱視あり。目のプロ「小学校3〜4年生頃から眼鏡をかけ始めて、中学生の頃に今ぐらいの視力で落ち着いて今に至るって感じですよね?」 私「え!?何で私の視力変遷を知っているのですか?」 目のプロ「視力の低下は身体の成長と連動しているので、殆どの人がそんな感じなんですよ。」 そうなんや・・・知らんかった。 上記はICLと呼ばれる、眼内にコンタクトレンズを入れる手術を受けるための事前検査時の会話です。そうそう、小3ぐらいから目が悪くなって眼鏡かけ始めたのですよ

          ICL(眼内コンタクトレンズ)手術をやってみる。

          次は、ホテルを作ります。

          アマンリゾーツ初めて行ったアマンはAmanwana(アマンワナ)。 バリ島から 海が最高なのは言うまでもありませんが、そこからボートで近くの別の島へ行って、ジープと徒歩で山の中へ入っていくと、映画に出てくる感じの滝壺。 ちょろっと高いところから飛び込んだり。 ひとしきり遊んだら、アテンドスタッフが軽食とジュースを用意してくれます。 次に行ったAmanjiwo(アマンジウォ)では、夜明け前に起きて、近くのボロブドゥール遺跡へ。 サンライズを見た後は、馬車でどこかの畑み

          次は、ホテルを作ります。

          それでもぼくらが子供を育てる理由

          今日は、長女が通う小学校の卒業式だった。 彼女には日頃からエネルギーも時間もお金も奪われまくっているので、積もり積もった思いを昇華させるためにも、ここぞとばかりに泣いてやろう。 でも、殆どの子は持ち上がりで同じ学区の同じ中学校に行くのなら、泣いている人なんかいないと思うよ、と妻は言う。 二つの気持ちの狭間で揺れながら、卒業式会場の受付で本人が書いた手紙を渡された瞬間からもう危なくて、席に座って読んだ瞬間、涙腺決壊。 この1年3ヶ月間、彼女と一緒にもがき苦しみ、ぶつかり合い

          それでもぼくらが子供を育てる理由

          第3話 社長就任

          2007年12月18日 深夜父が亡くなった。ここ数日は意識がハッキリとしない時が多く、意思の疎通も難しい状況が続いていた。長く入院していた病院からようやくホスピスに転院出来た矢先の容体急変であったが、特にこの2〜3ヶ月間、2週間に1回のペースで様子を見にいく度に少しずつ弱っていく姿を見ていたので、遂にこの日が来たかという思いしかない。会社の幹部をいち早く呼び寄せて、最後の対面をしておいてもらったのは良かったが、今日の午前中の新幹線でこちらへ来てもらう予定となっていた、世話に

          第3話 社長就任

          第7話 はじまり

          2011年11月27日「売上を伸ばすために、積める在庫ってあるんですか?」 現職で働いているということもあり、日曜日に会社へ出てきてさっきまで面接していたEC担当者候補は、なかなかパンチの効いた女性であった。後にある経営幹部は「うちのようなぬるい会社だと、あの子はトルネードみたいな存在になるでしょうね。あだ名はトルちゃんだな。」 果たして、それは現実となった。 2009年のリーマンショック後のリストラから2年が経ち、2期連続の増収増益を実現したタイミングで、とあるベンチャ

          第7話 はじまり

          第12話 MBA

          2014年11月13日1週間後に迫ったあるMBAの社会人枠への出願に向けて、私は5つのお題に対して合計7,000文字の願書の作成に勤しんでいた。今までに得た経験をベースに今後どのような取り組みを行なうのかという設問に、足りないながらも出来得る限りの論理的思考力を駆使した文章を作るというのは、なかなかに骨が折れるものであった。しかも、それらを最終的には手書きしなければならないのだ!7,000文字の手書き、なかなかにハードである。 12月19日には1次選考を通過し、年が明けた

          第1話 内定辞退

          2005年10月30日家族間の話し合いは概ね決着し、私は就職活動における第一希望であった会社の内定を明後日11月1日に辞退をして、父が経営する着物メーカーへ後継経営者として、来年の4月から新卒で入社することになった。 家族間の話は横に置いておいて、父は9月にガンの摘出手術を行ない、その病理検査の結果が非常に芳しくないものであったことは、第一希望の会社に数年間行く猶予も、和装業界の通例である取引先に2~3年ほど預り社員として行く余裕すらも無いことを意味していた。 周りのあり

          第1話 内定辞退

          第9話 不渡手形

          2013年10月16日目の前に座っている財務経理の担当候補の男性とはこの日が2回目の面接となる。金勘定を任せるということは、全てが露わになるということなので、下手に嘘をつくと後々ロクなことにならない。前回の初対面の時から、現在会社の資金繰りは非常に厳しい状況であること、私個人としても仕事が全く回っていなくて死ぬほど困っていることを包み隠さず話をしていた。私より17歳も年上で、優しそうな顔をしたその男性は私からの内定を受諾してくれた。結果的にはこのKさんと出会えたことで、20

          第9話 不渡手形

          第4話 被告人

          2008年10月2日時間ギリギリまで事実関係を頭に叩き込み、13:00ジャストに呼んでいたタクシーに乗って行き先を告げる。 「京都地裁まで」 出来ればその言葉を一生告げることなく人生を終えたかったが、昨年末に社長になってからというもの、まるで自分の人生が自分の人生ではないかのように、すっかりアンコントローラブルなものになってしまっていた。 27歳になったばかりの新米社長のため、就任直後はそれまでの体制を大きく変更することなく進めてきたが、就任直後に思い切った決断をしたこと

          第4話 被告人

          第10話 ブレイク

          2014年9月18日9月に入って日中の最高気温が30℃を下回りだすと、宅配着物レンタル事業の受注金額が毎日10万円を超えるようになった。7月~8月の受注金額は真夏の閑散期ということもあり、毎日3万円~5万円の低空飛行を続けていたことを考えると、毎日がフィーバータイムで、遂にブレイクを迎えた!と私は有頂天に。 そもそもは宅配型の着物レンタルが伸びているらしいという話を聞きつけた私が、その市場への参入を促すセミナーに参加したことがきっかけであった。セミナーにも登壇したこの市場

          第10話 ブレイク

          第6話 たかり

          2011年9月4日「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと金持って来いよ!」 東京駅八重洲南口から徒歩5分の八重洲富士屋ホテル1階のコーヒーラウンジにて、向かいの男性は急に声を荒げてそう言った。 彼は遠縁の親戚で、生前の父にお金の件で約束していたことがあるからと私を東京にまで呼びつけて、 ・お前の父親には色々と貸しがあり、父親名義のある保険契約が満期を迎えたら、全額私に支払う約束になっていた。 ・証文などは無いが、君の結婚式の時に父親を交えた三人で確認をした。 ということを一

          第6話 たかり

          第11話 ゴールドラッシュ

          2015年8月21日目覚めるとiPhone 6を真っ先に手に取り、Gmailのアプリを開く。予約の受注メールが画面を埋め尽くしており、タップしてスクロールしてもそれが途切れることはない。2~3回のスクロールでやっと別のメールが出てきた。ECも同じだが、実店舗型の着物レンタルの予約が入るピークタイムは22時~深夜2時のため、このようなことになる。 昨日も何のイベントも無い平日であったが、100人近い来店があり、遅番勤務での片付けが長引いて帰宅は24時近くであった。34歳にも

          第11話 ゴールドラッシュ