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次は、ホテルを作ります。

アマンリゾーツ

初めて行ったアマンはAmanwana(アマンワナ)。

バリ島から

プライベートではあるけど、驚くほどのセスナ感が漂う水上飛行機に乗って
結構な揺れを感じながら
海が透明すぎる島に到着すると
お猿さんたちがお出迎え。

海が最高なのは言うまでもありませんが、そこからボートで近くの別の島へ行って、ジープと徒歩で山の中へ入っていくと、映画に出てくる感じの滝壺。
ちょろっと高いところから飛び込んだり。

ひとしきり遊んだら、アテンドスタッフが軽食とジュースを用意してくれます。

次に行ったAmanjiwo(アマンジウォ)では、夜明け前に起きて、近くのボロブドゥール遺跡へ。

サンライズを見た後は、馬車でどこかの畑みたいなところで朝食を食べて帰ります。

この他にもダイビングやったりとか書き出せばキリが無いのですが、普通のサービスも凄いんですよね。ホテルに着いたばかりなのに、初めてすれ違うスタッフから名前で呼ばれる。大体のリクエストには応えてくれる。海やプールに入ると、知らぬ間にベンチにふかふかのバスローブと冷え冷えのミネラルウォーターが用意される。

脳みそがぶっ飛ばされました。何じゃこりゃと。

当時ドル円は90円台という、今から考えると超円高水準だったこともありますが、この価格でこのレベルのアクティビティ&サービスが受けられるって、一体全体どうなっとるんだと。

いや、そもそも当時の日本には(今でも数多くは無い)こんなクレイジーなアクティビティやサービスを実現出来ている宿泊施設が無かったのです。

所謂アマンジャンキーと呼ばれる人たちのように、世界各地の拠点に行くことも、リピートしまくることも実現出来てはいません。
が、ささやかな気持ちながらも、アマンが、とにかく好きになったのです。

その後、Amankila(アマンキラ)、Amandari(アマンダリ)、2018年にクローズしたAmanusa(アマヌサ)へ。

宣材写真じゃなくて自分で撮ったやつ
こんな感じのところをラフティング
200万画素のCanon IXYで撮った写真でこれ

この時は日本に帰ってきてから仕事する気が起きなくて1日休む羽目になるほど心がとろけました。

上記の5カ所が近場で行きやすいところだったこともあり、その後は国内のAmanemu(アマネム)に何度かと

アマネムのこのプールは良い
誕生日&結婚記念日でとんでもなく広い部屋にアップグレード

Aman Kyoto(アマン京都)に行っただけ。

この間、仕事も色々あったり、家族も5人に増えたりで、フットワークが重くなっていましたが、やっぱりもっと色々と行かないとなぁと。Amanpulo(アマンプロ)とか絶対行きたいんですよね。

富岳群青

と、アマン愛を語ったところで本題に。
そもそもホテルを作りたいと思ったのは、一連のAman Experiencesと、2011年に伊豆でオープンした富岳群青に出会ったことがきっかけです。

車や時計、ブランド物には興味が無い私でしたが、旅行と食事には糸目をつけないという心意気だけは持って、出来る範囲でささやかに楽しむがポリシー。タイミングを見ては、一休.comで良さげなお宿を探すのが一番の楽しみなのですが・・・

一休が会社としてやっているのか、外部のコンサルや代理店がやっているのかは不明なのですが、やたらとよく見せようとする宿が多すぎません?

ステキな写真に惹かれて訪れたら、
(広角で撮りすぎて)部屋、写真より狭くない?
(風俗のパネマジばりに写真を詐欺るので)実際に見える景色、イマイチじゃない?
(一番高いコースの写真を使うので)料理、こんなもんなの?
みたいなことが多すぎると思うのですよ。

要は期待値を上げすぎているってことなのですが、リピーターを獲得しようと思ったら、これは最大の悪手ですよね。リピーターは要らん。写真に騙された一見さんだけで宿を回していくというなら話は別なのですが・・・大体そういう宿って無くなるか、どこかの会社にドナドナされていくことになります。

そんな中、伊豆に出来た富岳群青。天気が良ければ富士山が見えて、部屋にお風呂も付いている触れ込みだったので訪問したところ

これが部屋から見えなければただの詐欺なのですが、何と部屋の露天風呂に浸かった状態でこのビューなのですよ!
窓際に立って外を見たら良い景色なのは当たり前。部屋の椅子に座る、もしくは露天風呂からのビューになると、途端にしょぼくなる宿が多い中、このビューには驚かされました。
宿のハード面は何もかも素晴らしいというわけでもないのですが、ソフト面の料理は質も量(無闇矢鱈に多くない!重要!)も完璧で、接客も付かず離れずの理想系。これはもう最高やん、でも、何でこんな最高な宿なのにお風呂場のシャワーは自動停止式なん?銭湯じゃあるまいし(後に普通のシャワーに変わった)みたいなことをせっせとアンケート用紙に書いてフロントに渡すぐらい、この宿を好きになり、作った人に嫉妬していました。考えに考えて作ったのが、よく分かったからです。

補足:しばらく訪問出来ていませんが、最近のレビューを見ると・・・うーんな感じでした。

だから、ホテルを作りたい。

2014年の手帳に、継いだ会社を引退して「体験型超ラグジュアリースモールホテル」をやると書いていたことをすっかり忘れていました。

ちなみに正しくはスモールラグジュアリーホテルです。

一年後の2015年の手帳では時期がもっと早まっていて、

上場も会長就任も株式売却も実現出来なかったけど、手離れという意味ではもっともっと早い2018年には完了していたという。書くって凄いですよね。

それから5年が経ち、すっかり忘れていましたが、ホテルを作るための準備を始めたいと思います。遅くとも50歳までに、出来れば45歳でとか思っていたのですが、すでにある施設を買収するならともかく、ゼロから建てようとしたら全く時間が無いことにこれを書いている今、気が付きました。

継いだ会社を特別清算した際、私有財産の保持は99万円までしか認められず、それ以外は全て金融機関への弁済に回すというスキームだったので、種銭があるわけではありません。

借入金には苦しめられたので、金融機関から借入をするつもりはありません。というか、特別清算なのでブラックリストには載らずにすみましたが、債権放棄してもらった金融機関内部のリストではブラック扱いなので、そもそも貸してくれないという方が正しい。

人の言うことを聞けないから社長をやっていたのに、人の金で商売をやる(=出資を受ける)のは苦痛以外の何者でもないので無し。

ということで、頑張って自分で稼いで、小さいけれども自分が心底行きたいと思えるホテルを作ることにしました。

思うように資金を稼げなければ、どこかの海か湖の近くでペンション開業というオチもあるかもしれませんが、その際でもここはSLH(Small Luxury Hotel)だと言い張ります。

学生の時に、「国を作る」と言っていた人に出会ったことがあります。クレイジーやなぁと思いましたが、それを掲げることで、その人の人生は大きく変化したでしょう。目標を掲げることは、それ以外の選択肢を捨てることでもありますが、それによって開ける道があります。
そのことを、私は自分の人生から学びました。
もう一回、やったります。

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