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後継者

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「後継者」のはじめに

まだ、夢を見る先日、末娘の風邪をもらってしまったのか、体調を崩した。幼児2名を含む子供3人を抱える我が家で、私と妻のどちらかが体調を崩すとなかなかの大事になる。妻に対して申し訳ない気持ちを抱きながらも、強めの倦怠感には抗えず、ただひたすら寝続けた。 継いだ会社を経営していた時の社員の1人である、Mさんの夢を見た。Mさんは独立して和装関連の事業を個人で営んでおり、自宅に訪問して仕事場の様子を拝見したり、奥さんやお子さんと和やかに触れ合うという夢で、なかなかの長尺であった。

第1話 内定辞退

2005年10月30日家族間の話し合いは概ね決着し、私は就職活動における第一希望であった会社の内定を明後日11月1日に辞退をして、父が経営する着物メーカーへ後継経営者として、来年の4月から新卒で入社することになった。 家族間の話は横に置いておいて、父は9月にガンの摘出手術を行ない、その病理検査の結果が非常に芳しくないものであったことは、第一希望の会社に数年間行く猶予も、和装業界の通例である取引先に2~3年ほど預り社員として行く余裕すらも無いことを意味していた。 周りのあり

第2話 事業承継

2007年7月10日祇園祭が始まり、京都の街はもうすぐ宵山と山鉾巡行を迎える。祭に関係がある人間も、そうでない人間も、この時期はどことなく落ち着きがなく、仕事に身が入っていない。 じめじめと長引く梅雨の最中、浸透し始めたクールビズはどこへやら、私はネクタイを締めたスーツ姿で京都市内のあちらこちら、名古屋、東京の取引先を駆けずり回っていた。 前年の2006年8月31日に和装産業における最大手小売企業が破綻。その影響を受けて、メーカー・問屋・小売いずれの流通段階においても、

第3話 社長就任

2007年12月18日 深夜父が亡くなった。ここ数日は意識がハッキリとしない時が多く、意思の疎通も難しい状況が続いていた。長く入院していた病院からようやくホスピスに転院出来た矢先の容体急変であったが、特にこの2〜3ヶ月間、2週間に1回のペースで様子を見にいく度に少しずつ弱っていく姿を見ていたので、遂にこの日が来たかという思いしかない。会社の幹部をいち早く呼び寄せて、最後の対面をしておいてもらったのは良かったが、今日の午前中の新幹線でこちらへ来てもらう予定となっていた、世話に

第4話 被告人

2008年10月2日時間ギリギリまで事実関係を頭に叩き込み、13:00ジャストに呼んでいたタクシーに乗って行き先を告げる。 「京都地裁まで」 出来ればその言葉を一生告げることなく人生を終えたかったが、昨年末に社長になってからというもの、まるで自分の人生が自分の人生ではないかのように、すっかりアンコントローラブルなものになってしまっていた。 27歳になったばかりの新米社長のため、就任直後はそれまでの体制を大きく変更することなく進めてきたが、就任直後に思い切った決断をしたこと

第5話 リストラ

2009年6月12日ギャンブルがそうであるように、人生や経営にも波がある。うまくいく時は何をやってもうまくいくが、駄目な時は何をやっても駄目だ。この日は、その駄目で最悪な日々の中でも、どん底にまで落ちた一日であった。 継いだばかりの会社が大赤字になることが確定していた期中に、いち早く経営幹部の若返りとリストラの大鉈を振るい、翌期の黒字転換に道筋をつけるも、リストラをしたことで会社に対する信用不安が巻き起こっていた。本来ならばリストラをするということは会社の業績や中身が改善

第6話 たかり

2011年9月4日「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと金持って来いよ!」 東京駅八重洲南口から徒歩5分の八重洲富士屋ホテル1階のコーヒーラウンジにて、向かいの男性は急に声を荒げてそう言った。 彼は遠縁の親戚で、生前の父にお金の件で約束していたことがあるからと私を東京にまで呼びつけて、 ・お前の父親には色々と貸しがあり、父親名義のある保険契約が満期を迎えたら、全額私に支払う約束になっていた。 ・証文などは無いが、君の結婚式の時に父親を交えた三人で確認をした。 ということを一

第7話 はじまり

2011年11月27日「売上を伸ばすために、積める在庫ってあるんですか?」 現職で働いているということもあり、日曜日に会社へ出てきてさっきまで面接していたEC担当者候補は、なかなかパンチの効いた女性であった。後にある経営幹部は「うちのようなぬるい会社だと、あの子はトルネードみたいな存在になるでしょうね。あだ名はトルちゃんだな。」 果たして、それは現実となった。 2009年のリーマンショック後のリストラから2年が経ち、2期連続の増収増益を実現したタイミングで、とあるベンチャ

第8話 2勝7敗

2012年8月7日7月が年度始まりであり、祇園祭休暇と長い盆休みを取りつつ、期首の予算会議や決算整理などに追われるため、この時期は本来業務の稼働は少ない。だからというわけではないが、昨日から博多に入って同業界の会社を訪問して打合せを行ない、夜は宴会。今日は同じく博多で経営者向けの勉強会に参加し、夜は懇親会。明日は東京に移動してまたもや経営者向けのセミナーに参加して夜には京都に帰る予定だ。 2007年12月末に社長になって以降、リーマンショックやらリストラやら労働裁判やらが

第9話 不渡手形

2013年10月16日目の前に座っている財務経理の担当候補の男性とはこの日が2回目の面接となる。金勘定を任せるということは、全てが露わになるということなので、下手に嘘をつくと後々ロクなことにならない。前回の初対面の時から、現在会社の資金繰りは非常に厳しい状況であること、私個人としても仕事が全く回っていなくて死ぬほど困っていることを包み隠さず話をしていた。私より17歳も年上で、優しそうな顔をしたその男性は私からの内定を受諾してくれた。結果的にはこのKさんと出会えたことで、20

第10話 ブレイク

2014年9月18日9月に入って日中の最高気温が30℃を下回りだすと、宅配着物レンタル事業の受注金額が毎日10万円を超えるようになった。7月~8月の受注金額は真夏の閑散期ということもあり、毎日3万円~5万円の低空飛行を続けていたことを考えると、毎日がフィーバータイムで、遂にブレイクを迎えた!と私は有頂天に。 そもそもは宅配型の着物レンタルが伸びているらしいという話を聞きつけた私が、その市場への参入を促すセミナーに参加したことがきっかけであった。セミナーにも登壇したこの市場

第11話 ゴールドラッシュ

2015年8月21日目覚めるとiPhone 6を真っ先に手に取り、Gmailのアプリを開く。予約の受注メールが画面を埋め尽くしており、タップしてスクロールしてもそれが途切れることはない。2~3回のスクロールでやっと別のメールが出てきた。ECも同じだが、実店舗型の着物レンタルの予約が入るピークタイムは22時~深夜2時のため、このようなことになる。 昨日も何のイベントも無い平日であったが、100人近い来店があり、遅番勤務での片付けが長引いて帰宅は24時近くであった。34歳にも

第12話 MBA

2014年11月13日1週間後に迫ったあるMBAの社会人枠への出願に向けて、私は5つのお題に対して合計7,000文字の願書の作成に勤しんでいた。今までに得た経験をベースに今後どのような取り組みを行なうのかという設問に、足りないながらも出来得る限りの論理的思考力を駆使した文章を作るというのは、なかなかに骨が折れるものであった。しかも、それらを最終的には手書きしなければならないのだ!7,000文字の手書き、なかなかにハードである。 12月19日には1次選考を通過し、年が明けた

第13話 事業売却

2017年6月26日京都商工会議所ビル6階の京都府中小企業再生支援協議会の会議室にて、 13時00分からバンクミーティングはスタートした。 メインバンクの地銀、信金、メガバンク、政府系、そして保証協会までの幅広いラインナップが集まった前で、 1.祖業である着物製造卸業を他社に事業売却すること。 2.対価の考え方としてはクロージング時の売掛金-買掛金の差額と、売却対象となる在庫を一律に〇掛けという形でディスカウントした金額の合計とし、労働債務関係は交渉次第とすること。 3