第12話 MBA
2014年11月13日
1週間後に迫ったあるMBAの社会人枠への出願に向けて、私は5つのお題に対して合計7,000文字の願書の作成に勤しんでいた。今までに得た経験をベースに今後どのような取り組みを行なうのかという設問に、足りないながらも出来得る限りの論理的思考力を駆使した文章を作るというのは、なかなかに骨が折れるものであった。しかも、それらを最終的には手書きしなければならないのだ!7,000文字の手書き、なかなかにハードである。
12月19日には1次選考を通過し、年が明けた1月10日に2次選考の面接を受け、1月30日には合格通知を受け取った。
行きたかったMBAに受かった事実は私の気持ちをそれなりに高揚させ、社内でも意気揚々と、でも何とか通学を認めて欲しいという下からのスタンスで一方的な報告のような打診をしたりもしたが、問題はM1の前期はどれだけカリキュラムを詰めても週3日は平日の昼間に授業で会社を不在にするということであった。
一般的な社会人MBAは、平日の夜や土日を中心にカリキュラムが組まれているが、私が志望したMBAは社会人枠を設定しておきながら、基本は平日の昼間主体にカリキュラムが組まれていた。実際に入学して分かったことは、社会人枠で来ている人は引退しているか、一度退職したブランク期間をMBAに充てているかのどちらかが圧倒的に多く、例外的に自分で時間のコントロールが出来る現役の社長がちらほら在籍しているという状況であった。
実際に授業がスタートすると、
月曜日は朝イチ会社に行って最低限のことを済ませて大学へ移動、夕方まで授業を受けて帰社。
火曜日も朝イチ会社に行って最低限のことを済ませて大学へ移動、夕方まで授業を受けて帰社。
水曜日は授業が無いので終日会社、もしくは仕事で外出。
木曜日は朝イチ会社に行って最低限のことを済ませて大学へ移動、14:30に授業を終えたら帰社。
金曜日は隔週で朝イチから昼過ぎまで授業を受けて、その後出社。
そして殆どの授業に予習か復習のレポートが求められているため、夜なべをするか、朝の4〜5時に起きてカタカタとレポートを作っていた。
睡眠時間は少なくなり、体力的にも大変な生活だったはずなのだが、私はその時こんなに楽しい時間は無い!と全力でMBAに取り組んでいた。
学べば学ぶほど、経営にはある程度体系化された理論があり、勘や雰囲気でやるものではなく、フレームワークや過去の事例を学んでおけば酷い失敗は回避出来るということが分かった瞬間、今までの自分は何をやっていたのかと打ちひしがれたものだ。そして、そんなことも知らずに経営をやっている人がとんでもない数で居ることもまた、恐ろしい事実である。
4月、5月、6月と経営学にのめり込めばのめり込むほど、今までやって来たことがいかに間違っていて、どうすれば正解を掴めるのかということの輪郭がおぼろげながらも見え始めてきたと同時に、宅配着物レンタル事業は成長を続けていたが、本業の製造卸業の採算は更に悪化。その原因が、新規事業とMBAにしか興味を持てなくなっていた代表者にあることは明白であった。
しかし私は、会社を潰さないためには本業は絶対に撤退しなければならないし、そのためには更に新しい事業を立ち上げる必要があるということを、頭の天辺から足の爪先まで理解してしまっていたのだ。
7月、いよいよM1前期のテストが始まる。時を同じくして、第11話 ゴールドラッシュの一歩手前。命を賭けて取り組まなければ到底成功は見込めない新規事業を前に、MBAに通い続ける決断は出来なかった。殆ど欠席もせず、課題や発言も積極的にこなしていた中、あとは最後のテストを受けるだけというタイミングではあったが、休学をし、後に退学することに。
MBAを修了することは出来なかったが、2013年の第9話 不渡手形で出来るだけ早期に社長から降りることを決断し、2015年に3ヶ月だけMBAに通ったことで、社長から降りるために事業を伸ばすにはどうすれば良いのかということが分かったという意味では、これも必要なパズルのピースであったのだろう。
インサイドストーリー「社長ごっこはもう止めよう」
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