ローカル_ローカルvol

ローカル×ローカルvol.03「文化ってどうつくられる?」群言堂フリーペーパー 三浦編集室の三浦類さんを招いて

「地域おこし」「地方創生」って一体どういう状態だろう?

この企画は、そんな問いを持った僕が、さまざまなローカルで活躍する先輩たちを訪ねて、学んだことを報告するイベントです。共催は日本仕事百貨です。

このイベントをやろうと思ったきっかけは、こちらをご覧ください。

vol.02では、神奈川県真鶴町から真鶴出版の川口瞬さん・來住友美さんを招いて「効率化って本当にいいの?」というテーマでお話を伺いました。

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その時のレポートはこちらから

vol.03では、石見銀山生活文化研究所 広報の三浦類さんを招きました。

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三浦類(みうら るい)/(株)石見銀山生活文化研究所 広報。フリーペーパー「三浦編集室」編集長。名古屋に生まれアメリカや南アフリカを経て、大学卒業後縁あって島根県大田市大森町に移住。

三浦さんに尋ねた問いは、「文化って、どうつくられる?」です。

どうしてこのテーマにしたかと言うと。

僕は県内外の人問わず、「南伊豆っていいところだな」と思ってもらえるようなメディアをつくりたいと思っています。

その時、発信するうえで大事にしたいことが、そこにある生活の営み、文化です。

文化っていろんな捉え方がありますが、よくもわるくも、「廃れた文化」という言葉があるように、消えていくものもあれば、新しく生まれていくものもあります。

移り変わることは自然の摂理。

とはいえ、残っていく文化と消えていく文化、この差はなんだろう思いました。

今あるお祭りなどの非日常も、何気ない日常のあれこれも、必ず最初の起点があったはず。そしてそれが暮らしに馴染み、空気になって文化になっていく。

そう捉えた時。

町の文化はどうつくられていくのだろう?

どうやって育っていくのだろう?

それを伝えていくには?

素直に自分が思ったことを伝える、だけではなく、もう少し視点を持ちたい。

そこで今回、島根県大田市大森町に本店を構え、1988年に創業したアパレルブランド『群言堂』の広報を担う三浦類さんを訪ねてみたいと思いました。

三浦さんは、群言堂のフリーペーパー『三浦編集室』を5年間発行しています。

僕が面白いなぁと思うのが・・・。

こちらには群言堂の事業や商品のことは、一切書かれていないんです。伝えているのは、三浦さんが大森町で暮らす、日々の営み。自分の心の動き。

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こちらが「三浦編集室」vol.01(前身の「三浦編集長」を加えるとvol.21号目)

例えば、大森町で挙げた自分の結婚式の話とか、自分の生い立ちなど・・・。

一見、会社の商品とは何の関係ないもの!

でも、結果的に群言堂が商品だけでは伝えられない”何か”も伝えていると思ったんです。

個人の視点で会社の文化、大森町の文化を発信していくスタンスに何かヒントがあるはず。

その手がかりを求めて、三浦さんのもとを尋ねました。

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今回の学び仲間は、有限会社きたもっくのクリエイティブスタッフ、木方彩乃さん。木方さんは群馬県北軽井沢のキャンプ場「スウィートグラス」や「ルオムの森」などの場づくりやイベント企画、Webやパンフレットの制作をされています。

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木方 彩乃(きほう・あやの)/有限会社きたもっく クリエイティブスタッフ。やりたいこと(場づくり)を生業にするため、4年前に埼玉から母子移住。 群馬県北軽井沢にあるキャンプ場「スウィートグラス」や「ルオムの森」など、数サービスのWEB・パンフ・イベントなどを担当。

この人選は僕の相方、日本仕事百貨の中川晃輔さん。以前、中川さんがきたもっくへ取材で訪れた際、木方さんが話してることは今回のテーマと通じると思ったそう。

ちなみにその記事はこちら ▼
「自然に従い クリエイティブに生きる」

当日は中川さん、木方さんと一緒にお話を伺いました。

※ここからがイベントレポートになります。

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穏やかさと賑わいを両立させるまちに

三浦 石見銀山生活文化研究所の三浦と申します。まずは僕が暮らしている大森町を紹介したいと思います。大森町は島根県の真ん中にある山間の町です。かつて日本一の銀産出量を誇った石見銀山の中心地として栄えた町です。

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三浦 山に囲まれた小さな町で、車で15分行けば日本海があります。人口は400人程度で65歳以上の人口率が43%くらいです。ただ、大森町は高齢化もしているんですけど、ベビーラッシュも起きているんですね。今は待機児童が出そうなので拡張工事を行ったほどです。私もその仲間入りをさせていただいて、6月にうめという娘が誕生しました。

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会場 (拍手)

三浦 ありがとうございます(笑)。それで、僕が住んでいるところは、30年ほど前に文化庁の町並み保存地区に指定をされています。まだ廃墟もあるんですが、ちょっとずつ直して2007年には町並みの景観も含めて世界遺産に登録されました。その時に電柱も地中化されて、ものすごく景観保全が進んでいるエリアです。それがだいたい1キロくらい続いています。

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三浦 世界遺産に登録された時、大森町に観光ラッシュが起きました。ピーク時は400人が住む町に年間90万人ほど人が来て、バスが1日に80台とかやってきたり。でも最初の数年間で落ち着いて、今は半分以下だと言われています。それで、大森町をどう表現したらいいかなと考えたんですけど。『大森町住民憲章』を知ってもらえると、なんとなくこういう町なんだなと思うので、ちょっとご紹介します。

大森町住民憲章
この町には暮らしがあります。私たちの暮らしがあるからこそ、世界に誇れる良いまちなのです。私たちは、このまちで暮らしながら、人との絆と石見銀山を未来に引き継ぎます。未来に向かって私たちは、歴史と遺跡、そして自然を守ります。安心して暮らせる住みよいまちにします。穏やかさと賑わいを両立させます。

三浦 これは世界遺産に登録された年の自治会協議会で、住民の代表者が集まって決めたものなんです。短い文章なんですけど、”暮らし”という言葉が何度も出てきます。住民の中には、町並み保存とか世界遺産になったら町が観光地化されて、だんだん暮らしの匂いというものが薄れてしまうと思う人もいました。

実は私の勤めている会社の経営者、松場大吉と松場登美も最初は反対だったんです。町の暮らしが壊れてしまうと。でも登録が決まってからは「暮らしがあってこそ良い町なんだ。そういうことをどんどん世界に発信していける、他にはない世界遺産の町になろう」と。

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三浦 僕は、最後の文にある「穏やかさと賑わいを両立させます」という言葉が、この町の空気感を象徴していると思っています。穏やかさというのは私たちの暮らしのこと。賑わいというのが外から来る観光客やお客様ですね。その二つがちゃんと両立した状態を目指して町づくりをしていきますという憲章です。私はこの文章がとても好きで。今はまさに観光ブームが去って落ち着いて、そのような状態になっていると思います。

衣食住に関わる、暮らしの提案

三浦 この二人が会社の創業者の松場大吉と松場登美です。松場大吉が大森で生まれ育ったんですが、大学時代と最初に入った会社が名古屋だったんですけど、そこで松場登美と出会って。28歳の時に二人は大森町に移って事業を始めました。

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創業者の松場大吉さんと松場登美さん

三浦 私たちの会社名は石見銀山生活文化研究所で、ブランド名として群言堂という名前を持っています。もとは隣町の縫製工場から出た布端切れを使って、ティッシュカバーやキッチンのミトンなどを作って、松場大吉がワゴンで百貨店や駅前に売りに行く行商スタイルから始まりました。後に洋服などを作るようになって、自分たちの店舗を構えて、広がっていって。今は日本全国で32店舗(*2019年7月31日時点)展開しています。

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三浦 洋服は国産の生地を使って、縫製まで国内で完結するものを作っています。今は国産の服作りはほとんど廃れてしまって、97%くらいは海外生産だと言われています。その中で物作りを続けている国内の職人さんとオリジナルの生地を企画して、洋服に仕立てて販売しています。私たちは工場を持っていないんですけど、そういった方々に仕事を発注していくことで技術が守り継がれて、次世代が生まれていく事業を目指しています。

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三浦 もう一つは『里山パレット』という事業です。このシリーズは、石見銀山の里山でスタッフが植物を採りに行った木の実や枝、葉っぱを使って洋服を染めています。この取り組みを通して、自分たちがどんな所に住んでいて、この町がどんな所なのかをちゃんと認識することにも繋がっています。

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三浦 主に洋服が中心なのですが、衣食住に関わる暮らしの提案をしながら、群言堂自体をライフスタイルブランドと呼んでいます。本店はもともとボロボロの古民家を再生して作った空間です。そこに雑貨や洋服、カフェなどが入っています。

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三浦 この本店ができたのが1989年で、今年が30周年になります。この他に、『暮らす宿』という事業をやっていまして、古民家を再生した宿を2軒運営しています。どちらも見捨てられたような古民家だったんですけど、手をかけながらコツコツと直していって今の状態になりました。他にも町内で10軒ほど古民家を再生しているのですが、ショップや宿、社員寮にして活用しています。

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三浦 私たちの企業理念は「復古創新」。会社の理念の核をなす言葉です。造語なのですが、意味としては過去から本質を学んで、次の世代に引き継いでいける形で価値を創造するという言葉です。日本にあるいい技術であったり、建物であったり、私たちが残したいと思うものを時代に合う形で、また新たな価値としてつくっていくという意味合いがあります。

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三浦 ここが私たちの本社なんですけど。茅葺きの家が会社のシンボルで、築260年以上経っているお家なんですね。ここが社員食堂にもなっていて、お弁当を食べる空間として日常的に使っています。あとはコンサートや講演会、イベントをやったり。人が集まる場として活用しています。その左側にオフィスがあるんですけど、外側から見ると古く見えるんですけど、中はちゃんと新築で作っていて、快適に仕事ができる環境です。

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三浦 私が働いている場所は群言堂本店の目の前にある古民家の中にあります。「根のある暮らし編集室」というサテライトオフィスで働いていて、今は男3人でいろいろなミッションをこなしながら仕事をしているところです。全体のスタッフは大森町に55人ほどいて、全国のスタッフも合わせると170人くらいです。

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「根のある暮らし編集室」のスタッフ

人と町に惹かれて

三浦 それで、私が大森町に来た経緯についてお話します。私は名古屋出身なのですが、東京の大学を卒業して大森町にやって来ました。もともと私は新聞記者になりたいと思って、東京で就職活動をしていたんですが、どこも受からなかったんです。ものすごく凹んで体調を崩して。大学の5年目は休学して、6年目に復学して卒業したという歩みがあるんです。

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三浦 自分が新聞記者になりたかった、けど、なれなかった。そのことにすごく心が傷ついてしまったんです。その時に出会ったのが会長の松場大吉でした。大学のゼミの先生が講演会で松場大吉を呼んでくれたんですね。

私は松場さんって経営者だし、会社の話をするんだろうなと思って聞いていたら、会社の話はせずに大森町がどんなところで、どんな人が暮らしていて、こんな暮らしがあるんだということを、ものすごく熱く語ってくれたんです。

私は人と大森町にものすごく興味を持って。お手紙を書いて1ヶ月間インターンで大森町に行くことにしたんです。

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三浦 それが2010年の大学の夏休みです。その1ヶ月間が僕にとって一番の価値観の転換というか。それまでの私は東京でワンルームのアパートに住んでいて、隣の人なんて知らないような暮らしでした。

ですが、大森町に行ってみたら「うちにご飯食べに来なよ」と会社のインターンとは関係なくご近所さんがよくしてくれて。この町に居場所を感じるというか、受け入れられているような感覚がありました。

もう仕事の内容とかではなく、ここで暮らしながら働けたら幸せだろうなと思いました。東京に戻って「ここで働きたいです」と手紙を書いて、2011年4月に就職しました。

会社の事業や商品のことを書かない広報誌

三浦 最初の1年は群言堂本店のカフェで皿洗いをやって、ホールやキッチンの仕事をやっていました。2年目からは松場登美の秘書のようなことをやり始めて、講演会のスケジュール管理や名刺の整理など、いろいろやっていました。

3年が経った時に松場大吉に突然呼び出されて、「自分の暮らしを発信する新聞を作ってみんか。名前は『三浦編集長』だ」と話をされて。「はい、やってみます」と言うしかなくて。多分、松場大吉は僕の過去を知っていたし、活躍の場を与えてあげようと思ってくれたのかもしれません。よくわからない中、半年かけて作ったのが『三浦編集長』です。

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三浦 このフリーペーパーは会社の広報誌なんですけど、会社の事業や商品のことではなくて、大森町の暮らしの中の出来事や、出会った人について書いています。あとは自分の悩みごとなど、かなり個人的なところまで書いています。最初の発行から5年間は一人で写真を撮って、文章も書いていましたが、7月に三浦編集室としてリニューアルしました。

今回から僕以外の視点も加えて、一緒に暮らす仲間やこれまで出会った外部の方にも原稿を書いていただいています。それによって多角的な視点でこの町の暮らしを伝えていこうとしています。

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会社の社員だけでなく、町に暮らしている一員

三浦 僕がこの町でどんな暮らしをしているかというと、山菜を採りに行ったり、鰻を釣ったり、ミツバチを飼ったり、イノシシを獲ったり。いろいろな形で町の中で遊ぶやり方を学びました。師匠はだいたい60、70代のおじさんたちです。僕のことを友達みたいに扱ってもらえて、「山菜採りに行くぞ」と言ってくれて。あとは社員で田んぼをやっています。

こんな風に自分たちの手で捕ったものを料理して、仲間と食べることが日常の中ですごく楽しみで。そういうことを僕は一番暮らしの中で大切にしています。あとは自治会や消防団に参加しながら、町内の会社員ではなくて、町に暮らす一員として、町にも会社にも関わり続けています。

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三浦 今日は文化というテーマですけど、町と会社、共通しているところ、大事にしている文化は何だろうと考えたんですが、私たちは「根のある暮らし」という言葉を使っているんですね。私は、自分の身の回りや足元にあるものを、いかに大切にして生きるかという解釈で捉えています。それは物体的なものかもしれないし、周りの人かもしれないし、日常の中にあるものだと思っていて。それが大森町の暮らし方にありますし、群言堂としても大事にしている文化というか、概念かなと思っています。

三浦類さんを訪ねて、学んだこと

伊集院 では、ここで三浦さんのもとを訪ねて、僕がグッときたことを発表したいと思います。

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※会場に来てくれた皆さんにどの話が一番聞きたいか手を挙げてもらい、一番多く挙がったパンチラインを深めていきました。この時は、③ただ続けるのではなく、どんどん変化しながら転がっていくという話でした。

伊集院 僕がインタビューの最後あたりに、「文化ってどうやったらつくられていくんですかね?」って聞いた時に三浦さんが話してくれた言葉の断片だった気がします。今回のリニューアルの流れにも関係しそうだなと思いました。

三浦 先程話したことでもありますが、最初の頃は作り方が何もわからないまま、まず媒体を作り始めたんですね。「これが正しいのか」「会社の考えに沿っているのか」と確信が持てず、不安でした。でも発行してしばらくして、店頭のスタッフやお客さまからメールやお手紙が届くようなって。ちゃんと誰かに届いている実感が得られるようになったんです。その時にこういうベースでいいのかなと思って。それを、5年間やっていたというか。

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三浦 でも僕は、これ自体をあまり編集したという感じは全然なかったですね。ただ自分の日常、自分の身に起こったことを書いて作り続けているので。自然な変化というか、自分が成長していれば、それが自然に誌面に表れるといいなと思っていた気がします。

どんどん意識的に変えていくというよりは、自分がいろいろな経験をして変わっていくようなイメージだった。それは群言堂がやっていることもたぶん同じで、ただ続けるってわけじゃなくて、変化して転がっていくことで何かがつくられていくのかなと思ったんです。

伊集院 リニューアルも自然な変化だったんですね。

三浦 そうですね。松場大吉も私も双方にあったと思うのですが、私から流れを変えて作ってみたいと話をしたんですね。そしたら松場大吉も「それだったらこういうことがあるといいな」とやりとりを経てリニューアルしました。

その時に起こったことが更新されていく

中川 三浦さんが伝えている大森町の日常って、人から見たら面白いかもしれないですけど、そこに住んでいると面白さってわからなくなってきませんか?

三浦 私はどっちかと言うと新しい刺激に対峙するのが怖いと感じる方で。毎回書くのは辛い。辛いんですけど、スランプとかは別になくて。それはきっと書く中身が日常の中から生まれるので、ネタは探してはいないんです。単純に自分の身に起こった出来事とか、この時にこう思ったと率直に書くようにしていたんです。なので内容にマンネリはなかったと思います。その時に起こったことが更新されていく感じなので。

中川 三浦さんが書き進めていく中で、方向がずれていくというか、大森町や群言堂が大事にしたい根っこから離れていくことはないんですか?

三浦 さすがにそうなったら松場大吉から一言あると思います。でも、それに関しては、私が入社する時に感じていたこの町の良さとか、会社の事業でやっていることの意味とか、ちゃんと理解して、共感したうえで入ってきたので。そこがブレることはなかったかなと思っています。

価値観が、どんどん染み込んでいった

伊集院 三浦さんは入社3年目から三浦編集長を作り始めたわけですよね。なんかそこが絶妙だなと思っていて。たぶん、大森町で過ごした3年間があったから、ブレずに大森町や会社の理念を発信することができたのかなと思っていて。どんな3年間でしたか?

三浦 私は新卒から3年間、ほぼ一人で食事をしたことがないんですよ。先程紹介できなかったのですが、『他郷阿部家』という暮らす宿があるんですね。ここは大きな台所にあるテーブルで3組お客様を囲んで食事をとるんです。そこで家主の松場登美も大森町にいる限り同席して、お客様をもてなします。

私も一緒にその食卓に座って、お客様のお話や松場登美の話をずっと聞いたり、自分も喋ったり。それを繰り返していると、どういうお客様が群言堂を知ってくださり、どういう経緯で大森町に足を運んでくれているのか。または松場登美はお客様に何を話すのかというのを目の前で感じて。なんというか、お客様側の価値観と松場登美が発信する価値観がどんどん自分に染み込んでいったんです。

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三浦 他にも訪ねてくれたお客様と私や松場大吉、スタッフでよく食事をするんですね。その時もなんでもない話の中に松場大吉がポロっと大事なことを言ったりして。私も友達が遊びに来たら、どんどんそこに混ぜ込んでいって、いろいろな話をします。そんな食事会をこれまで山ほど経験してきたんです。

これまで松場大吉と登美がそういう宴会とか、肩の力を抜いて話す場を作り続けて、人の繋がりを生んでこの事業が育ってきたんだとすごく理解できたんですよ。それは本当に口伝えというか。身を持って耳で聞いて、目で見て、舌で感じて。五感を使って二人の考え方を理解していったのかもしれません。

伊集院 その価値観が反映されている三浦編集室から一つ記事を紹介して欲しいです。

三浦 例えば『三浦類の職場放浪記』というコーナー。これは私が大森町内や自分の職場を歩き回って、一緒に働いている人たちが、どこから来て、どんな思いで今の仕事をしているのかをインタビューする企画です。それでお話を聞いてみると、普段仕事をしていたら聞けないライフストーリーがたくさん隠れているわけです。

スタッフが170人くらいいると、一人ひとりは把握しきれないんですけど、想像力が湧くというか。他のスタッフも、ただの一般人ではなくて、それぞれにストーリーがあってこの会社にたどり着いているんだと。

中でも印象に残っているのが、うつ病を克服してうちの会社にやってきたスタッフがいて、そのことを赤裸々に語っていただいて、それを文章にしたら、同じような状況だった読者の方から「すごく勇気づけられました」とお手紙が来て。今も大事にしているコーナーですね。

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伊集院 やっぱり、群言堂の商品は伝えていないような気がします。でも、大事なことを伝えているというか。

三浦 商品は、そうですね・・・。ただ、群言堂で働いている人のことは知れるかなと思います。例えば読者の方には「こういう会社なんだな」とか「こういう人がいるお店なんだな」と思ってもらえているはず。そうすると、おそらく親しみを感じてもらえるかなと。全然狙っているわけではないんですけど、結果的には社内報にもなるし。社外に対しても、いい広報になると思いながら作っています。

考えを翻訳する

木方 私からも質問いいですか。あの、私も規模は違えど代表の考えを翻訳する仕事をよくやっていて。時々、代表の言ってることがわかるけど、違うんじゃないかって思うことがあって。わからなくなるというか。翻訳するのがすごく大変で、喧嘩したことがあります。三浦さんはそういうこと、ないですか?

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三浦 私はどっちかと言うと、そこは違うとかじゃなくて、会長が何を言っているのか全然わからない時があって(笑)。2030年くらいの時の話をしているのかなと、全然ピンとこない時があるんです。そういう時は一旦胸の中にしまって寝かせておく。するとしばらく経って「こういうことだったのか」とわかる瞬間がある気がします。これまでもそうだった気がするので。

木方 ああ、くるんですね。

三浦 それは半年後なのか数年後なのかわからないんですけど。「違うと思います」ってよりは、「ここから先はわかりません」と。私は結構合わせるタイプなので、そんなに強く違うと思ったことはないですね。

木方 あ、でも私がわからないことを、わからないなりに表現しても、うちの代表は絶対にダメと言ったことがなくて(笑)。よく「わからないことに価値があるからそれも全然OK」みたいな(笑)。だから個人的にはどう解釈してもいいんだという境地にはなってきてはいるのかも。

三浦 それに関して言えば、私のやり方に対してだいぶ任せてもらえている部分があります。余程その道から外れなければ何を書いても大丈夫だろうなと、私もある程度認識したうえでやっています。

経済は決して文化を超えてはいけない

伊集院 ただ続けるのではなく、どんどん変化しながら転がっていくっていう文脈で言うと、まさに群言堂もきたもっくがやっていることだなと思います。どんどん変化している気がします。

三浦 最初は布小物の販売から始まった会社ですし、そうかもしれませんね。最近の変化としては、7月1日に『石見銀山生活観光研究所』という新会社が誕生しました。その中に先ほど話した私が所属する「根のある暮らし編集室」が入っているんですね。

この部署は、石見銀山の町全体を包括的に発信するようなものになっていくと思っています。これまでの事業をベースにして、もっと発信を強くしていくイメージです。この場にスタッフが一人来ているのですが、この辺りを補足できないですかね、矢ノ倉さん。

矢ノ倉 石見銀山生活観光研究所取締役の矢ノ倉と申します。去年の11月からこちらにお世話になってまして、今は三浦と一緒に『根のある暮らし編集室』の立ち上げに関わっております。

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矢ノ倉 さん(左)

矢ノ倉 補足の前に、最初に文化というテーマでお話させていただくと、文化51%、経済49%というキャッチコピーがありまして。つまり、「経済は決して文化を超えてはいけない」という意味で。ここでやったら儲かるとか、効率的に稼げるけど、文化を優先するということ。これを必ず守ろうというのがスタッフの中で大前提になっている。それがすごいことだと思うんです。

それで、三浦がやっている広報誌は「文化」です、完全に。収益性とか採算性というのは、残念ながら単体ではありません。それをどう経済のほうに回していくかというところを考えると、需要が伸びているオンラインストアなんです。

お客様はバックストーリーを求めているので、宿の事業も、商品もただ紹介するのではなく、ストーリーが伝わるような形を模索しています。例えば、宿のスタッフ、群言堂の店舗スタッフからも大森町の日常がもっと発信されていく。その情報発信の場が「根のある暮らし編集室」になっていき、それがきっかけで大森町に来てもらう。

暮らしを今まで以上に良い形で伝えていくことで、会社だけでなく、町の観光も発展させていきたいという思いがあります。

伊集院 新しい会社名にある”観光”についてもう少し聞かせてください。

矢ノ倉 観光という言葉は、非常に使い古されていて、悪いイメージがあると思っているんですね。観光開発とか観光会社とか、我々が大事にしている生活と観光は少し離れているというか。それで、石見銀山生活観光研究所の代表が松場忠という、次の世代の経営者になるのですが、彼が考えて考えた末に出した結論なんです。

というのも、観光というのは本来の意味は、「国の光を受ける」という意味があるんです。壮大ですが、我々はそもそも「国の光とは何なんだろう」と再定義する。それであえて、石見銀山生活”観光”研究所という名前を付けました。

三浦 ありがとうございます。代表たちは自分たちの目標を達成して、どこまでいけば完成というのがないんですね。何か一つ自分たちがやってきたことの形が見えてきたら、次のことを考えていて、また次の一手を出していく。それをどんどん繰り返していて、変化しながら転がっている。今、また新たな転がりの始まりなのかなと思っています。

外部の考えをどんどん取り入れていった

中川 お話で印象的だったのは、外から来たお客さんと食卓を囲むお話です。それが皆さんの中でめちゃめちゃ重要だったのではないとか思っていて。例えば、大森町に群言堂の社員しかいない村で、他のものを寄せ付けない排他的な場所だったら、そこに文化が今のように育っていくのかなと。

それは違うような気がしていて。外から来た人に対して何かこちら側が説明しなければいけなかったり、来た人から何かが投げかけられて、それを言葉にしていく中で、少しずつ転がっていったというか。

だから世界遺産に登録されたことも、最初は代表のおふたりも反対したけど、一緒に共存していこうと徐々に思考を変えていったと思うんですよね。そういう外から不意にやってきたもの、自分たちが最初に思っていることに共感していない人が入って来た時に、どう対応するか、みたいなことがそこの土地の文化を育んでいくために、ものすごく重要なことなんじゃないかなと思いました。

三浦 会社として、そういう外部の人の考え方をたくさん取り入れて育ってきたと思うんですね。先程の食卓を囲む話でいうと、松場登美も日々お客様の対応をして自分も学んでいく。それが楽しくて仕方ないと常々言っているんですね。

それで、ちょっとさかのぼって考えると、石見銀山はもともと幕府直轄で運営をしていて、役人も江戸からやってくるし、労働者も出稼ぎでいろいろな地方からやってきて、一つの巨大な都市を形成した所なんですね。

だから歴史的にも本当に外からの人間を受け入れる土壌があるのかもしれません。そうやってできた町というのは、少なからず現在の今の姿に繋がっている気がします。

木方 外から人が入ってきたことによって、自分たちの文化が育っていく。私たちがやっているキャンプ場もそうだなと思いました。実は、今うちの代表は全国にそれを300箇所作ると言うんですよ。

自分たちの文化を外に持って行くって、実感が沸かなくて。でも群言堂さんも全国に店舗を持っていらっしゃるから、出て行く力も常にあるのかなと。場所に合わせて、何かを変えているんですか?

三浦 私はあまり店舗作りのことは詳しくはないんですけど、その店長の判断でどういうものを入れて、どういうふうに展開するかのは全部違います。なので一つひとつ店舗に個性があると思いますし、ディスプレイとか店作り自体も、いろいろ古材とか廃材を島根から持って行って、棚一つとってもこちらから全部持って行ってやっています。なのでその土地と、会社と、現地にいる店長さんの考え方が融合した店舗に育っていると思います。

新しい視点から小さな文化が生まれる

伊集院 時間も来てしまったので、最後にそれぞれ感想をお願いします。

中川 そもそも文化って何なのかなと考えた時に、やはり一人ひとりの小さい営みとか日常みたいのがまさに文化なのかなと、話を聞いていて感じたところです。伝統文化とか大きなお祭りとか、何百年続く行事が文化と言われたりもするんですけど。

なんかそれだけじゃなくて、小さく生まれている日常とか、そういう一つひとつの積み重ねが文化になっていく。ただその時に、なんか積み重ねていくというと、どうしても人間の一生を超えることができないところが壁になるんですけど、それでも何か展開したり、うねりながら、残っていっていくものが文化なのかなと。すごい抽象的なんですけど、そういう想像を膨らませていました。

木方 外の視点と内の視点があらためて大事だなと思いました。私は埼玉に長く住んでいたのですが、今月も2回帰っているんですけど、全然見える風景が変わってきていて。住んでいた時と、今帰って来るでは、本当に感じることが違うんですよね。そういう2つの軸が自分の中にあることが大事だなと思いました。

三浦 イベントで感じたのは、つくづく自分が新聞を作っている時、一人の世界に入り込み過ぎているなと実感しました。あらためてこういう、いろいろな人から質問されてみると、すごく考えさせられるというか、こういうことを考えて、こういう形にしたのかなと振り返ったり、反応したり。これこそ一つの外部からの刺激なんじゃないかと思いました。

伊集院 ただ外に魅力を発信するだけじゃ、文化は育っていかないかもって思いました。話に出ましたけど、食事を囲むとか、その人といい時間を過ごすとか。外から視点が入ることで、なんかしら生まれていくんだな、と。影響を受けあって、文化はつくられていくのかもしれないと。ただ伝えるだけじゃダメだなと、自分の中で生まれました。

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※ここまでが当日のレポート。

最後に、残り二つのパンチラインも紹介しておきます。いずれも、三浦さんが三浦編集長、三浦編集室を続けた中で生まれていった気づきが垣間見えると思います。

①(三浦編集室は)考え方を伝えるメディア

これは、三浦編集室にリニューアルした時、どういう心境の変化があったのか?とお話を伺ったところ、この話が出てきました。

三浦 リニューアルするまで、三浦編集長は大森町の暮らしを発信するメディアだと言ってきたんですね。でも暮らしだけじゃない気もしてきてたんですよ。もっと暮らしの根底にある、考え方、思いというか。この町で大切にしていること、生き方を日々見てきて、それを誌面に落とし込んでいたんじゃないのかなと。それでこの言葉が出てきました。あとは三浦編集長ができる前は松場大吉も登美も、これまで会社として文化を大切にしてきたけど、それを可視化してこなかったと言っていたんですね。それはたぶん社員に対しても上手く表現しきれてなかったと。その会社の考え方を可視化したのが三浦編集長だったのかもしれないです。

②群言堂と関係ない繋がりを少しずつ開拓できるようになっていった

これは三浦編集長を発行したことで、具体的にどんな変化が起きていったのか?と伺った時に出てきた言葉でした。

三浦 発行して3年が経った頃、だんだん外部の人からローカルメディアの編集者として認識されるようになったんです。社外の人と繋がるようになって、今回のご縁もそうですよね。それが自分にとっては大きな変化でした。おそらく松場大吉、登美さん、群言堂とは異なる接点をつくれたかもしれません。今はまだ洋服を買ってくれるお客様ではないけど、そこで関係性を続けていくことは、会社にとって悪いことではないと思っていて。将来的なお客さんになるかもしれませんし、新たな人と繋がることで、発想も得られるし。そういう新たな群言堂への入り口、大森町への入り口をつくれたのは良かったかなと思ってこの話をしたと思います。

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次回のローカル×ローカルは、静岡県松崎町にある株式会社BASE TRES代表の松本潤一郎さんです。伺ったテーマは、「好き」と「稼ぎ」を考えるです。ぜひ覗いてみてください。

vol.04はこちらから

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ローカル×ローカル バックナンバー
vol.0「はじめに」〜先輩たちを訪ねて、学んだことを報告します〜
vol.01「人が増えるってほんとに豊かなの?神山つなぐ公社理事 西村佳哲さん
vol.02「効率化ってほんとにいいの?」真鶴出版 川口瞬さん・來住友美さん
vol.03「文化ってどうつくられる?」群言堂広報誌 三浦編集室 三浦類さん
vol.04「好きと稼ぎを考える」 株式会社BASE TRES代表 松本潤一郎さん
vol.05「地域のしがらみ、どう超える?」長野県塩尻市市役所職員 山田崇さん
vol.06「いいものって、何だろう?」福井県鯖江市TSUGI代表 新山直広さん
vol.07「事業ってどうつくるの?」greenzビジネスアドバイザー 小野裕之さん
vol.08「体験を、どう届ける?」キッチハイク代表 山本雅也さん/プロデューサー 古屋達洋さん





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