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【エチュード09】コンビニ・人工衛星・味噌

※関連のない3つの単語を使った小品を作る、という習作企画。全12回。

(2DKにて。)

「お味噌、切れちゃったのよ。」
と彼女は言った。

「そうかー、んー。」
と彼は言った。彼はソファに座り、テレビの音を聞きながら、新聞を読んでいた。

「で、ちょっと買ってきて欲しいのよ。あたし手が離せなくて。」
と彼女は言った。

「そうかー。」
と彼は言った。実はこの時、聞こえてきたのが彼女の声である以上の情報は、彼の耳には入ってはいなかった。

「角のコンビニでいいから。よろしくね。」
と彼女は言った。

 そこで彼は初めて、自分が何か、お遣いのようなものを頼まれていた事に気づいた。

「あ、何だって?」

 彼がキッチンに現れた。彼女はボウルに向かって悪戦苦闘している最中だった。

「お味噌、なくなっちゃったのよ。買ってきて。」
彼女は再び言った。

「ああ、うん、いいけど。」
彼はのんびりした自分の時間を妨害されたことに、ほんのすこしだけ苛立っていた。

「助かるわ。玄関の貯金箱から、小銭抜いて持ってって。」
彼女は、彼の苛立ちを完全に無視して、てきぱきと言った。ボウルとの格闘は続いていた。

 数分後、彼はジーパンを履き、Tシャツを着替え、スニーカーに足を突っ込んで家を出た。外は、よく晴れた日曜日だった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

(宇宙にて。)

 ロボットアームによる故障箇所の修復は不可能であるという結論が出た。人工衛星の破損箇所の詳細な状態など、実際に現場で観察してみないと、地上からはなかなか分かるものではない。最新の科学といえど、万能ではないのである。

『こちらアルファ。ブラボー、応答せよ。』
「ああ、こちらブラボー、感度良好。衛星へ向かう。オーヴァー。」 
かくして、技師である私が、自ら船外作業をすることになった。宇宙服を着ての作業、訓練は受けたが、このごわごわした着心地にはどうも慣れることができない。今回は精密な作業行程も控えているのだが、部品を取り落としてしまわないか、少々心配でもある・・・いや、無重力空間において何かを「取り落とす」心配は無用ではあるが。その部品はむしろ、虚空のかなたへ消えてしまうことになるだろう。取り落とすほうが、まだいいというものだ。

『なぁブラボー、地球の景観はどうだい? かわい子ちゃんは見えるか?』
「こちらブラボー、私の視力はそこまで優秀じゃない。オーヴァー。」
 眼前に広がる巨大な蒼い球体。この球の表面では、たった今この瞬間も、たくさんの人々が、料理をしたり、お遣いに出かけたりと、自分の目の前にある、些細な厄介ごとをせっせせっせと片付けながら日々生きている。
 だがそれと比べ、この星の大きさときたらどうだ・・・。まさに堂々たるものだ、ため息が漏れるほどに。そして雲の下に広がる大地や大洋には、人間が勝手に決めた国境線など、影すらもない。
 この景色を直接目にできる人類がまだまだ少ないのは十分承知だが、それでも、全ての人類は、一度はこの神秘的な景観に、じかに触れてみるべきだと私は思う。それが実現した暁には、おそらく、私のような平和主義者の数が、現在の数十倍、数百倍、数千倍にもなるに違いない。

 さて、いよいよ浮遊する私の体が、件の人工衛星に近づいてきた。間もなくミッション開始である。私は作業手順をもう一度脳内で繰り返し、全てが完璧であることを再び確認していた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 

(コンビニにて。)

 彼は、コンビニに味噌が売っていることを知らなかった。そもそも彼は、これまでコンビニでは、カップめんのコーナーと、雑誌のコーナーにしか、用があったことがないのだ。

 彼はカップめんのコーナーに入った。単なる習慣だった。そこで彼の目に入ってきたものは、ラーメンの隣にあるカップの味噌汁だった。

 彼は料理を全くしない。もしかしたら、味噌汁が味噌からできていることすら、うろ覚えかもしれない。そんな彼が今、その棚から適当なカップを2つ手に取り、レジに運ぶ。カップにはそれぞれ「あさり」「とうふ」と書かれていた。

「あ、27番のタバコ、一個下さい」
と彼は言った。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

(再び、宇宙にて。)

 修理を開始して一時間ほど経過した時、私はおかしなことに気づいた。
 今回の修理箇所は、地上の目標物をピンポイントで捕らえ、その動きにあわせて人工衛星を制御するという、この交通衛星の要となるユニットなのだが、ようやくのことで外装を取り外し、故障したユニットを取り外したときのことだった。
 あとは、新しく地上から持ってきたユニットをはめ込み、そしてユニットのさらに上にある、地上からの遠隔操作を制御するチップを、新しいヴァージョンのものに交換したら作業が終了するところだったのだが、その肝心なユニットのはめ込み口の奥に、私が設計図で見たのとは、全く違う別の装置が入っていることに気づいたのだ。これは一体何だ。

「こちらブラボー、アルファ応答せよ。」
『こちらアルファ。退屈してきたのか?』
「軽口は結構。聞きたいことがある。」
『はいはい、どうしましたブラボー?」
「このTX44番ユニットなんだが、はめ込み口の奥に、何か別のユニットが見える。このユニットは設計図になかったはずだが、これが不具合の原因ではないのか?」

 沈黙・・・・・・・・・・・・・・・。

「どうしたアルファ、応答せよ。」
『あー、ブラボー。そのユニットは、今回のミッションとは無関係だ。速やかに修理を完了し、帰還せよ。』

先ほどまでとは、アルファの口調がまるで違う。

「しかし、不具合の可能性が否定できないなら、調査をするべきではないか?」
『繰り返す、速やかに修理を完了し、帰還せよ。オーヴァー。』

にべもなく、一方的に通信を終了されてしまった。もし今、アルファにこれ以上のことを何かをたずねても、おそらくは何も教えてはくれまい。

 関係者が隠したがる、謎のユニット・・・全くもって、きな臭いことこの上ない。

 私も技術者の端くれとして、機械を正常に動かすことを生業としている。もしここで不具合を見逃してしまったら、それは技術者としての名折れとなるだろう。私は、故障箇所の更に奥にある、謎のユニットにグラブを伸ばした。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

(再び、2DKにて。)

「ちょ、ちょっと・・・本気?」
と彼女は言った。袋の中身に驚いているようだ。

「何がだい?」
と彼は言った。まさか怒られるとは思っていなかったらしい。

「いや、何ていうかさ・・・これ、味噌じゃなくて、味噌汁じゃないの。」
と彼女は言った。

「そうだよ。」
と彼は言った。

「そうだよって・・・味噌は?」
と彼女は言った。

「これ、じゃないの?」
と彼は言った。

「あたしさ、味噌煮込みを作ろうとしてたんだけど・・・」
と彼女は言った。やりきれなさが滲み出ていた。

彼は何も言わなかった。状況を理解しているかどうかは、分からない。

「もういいわ、あたし買ってくる。」
と彼女は言った。そしてエプロンのまま家を出た。

やがて彼は、なにやら不満げな様子で、再び新聞を広げて座り込んだ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

(そして、宇宙にて。)

 ユニットのはめ込み口周辺のボルトを丁寧に回し、はめ込み口そのものを取り外して、そのさらに奥にある別の装置を露出させる・・・

「こ、これは・・・」
思わず口にした私は、驚きと恐怖で、その先を飲み込んだ。

 これは、間違いない、核弾頭だ。

 サイズは小さいが、おそらくヒロシマ型の数百倍の威力はあるだろう。弾頭の数は6基。小さな島国なら、国土ごと消滅させることができる。どうしてこんなものが、このただの交通衛星に搭載されているんだ。

 おそらく今私は、見てはならないものを見ている。しかしそれは、本来ならば、ここにはあってはならないもの、なのである。ああ、私はどうすればいい。

 ふと見上げると、そこには先ほどと同じように、蒼く輝く美しい惑星が見えた。あそこには、私の愛する家族や友人達がたくさん暮らしているのだ。こんな恐ろしいものが、その場所を常時監視するようになったら。

 私は覚悟を決めた。

 先ほど外したはめ込み口を戻し、ボルトを締めなおす。そして新しいTX44ユニットを衛星に装着し、これもボルトで留める。新ユニットにハンドヘルドPCを接続し、起動テストを行い、そして・・・

 私はポーチから、ユニットの上に装着する予定だった新ヴァージョンの通信チップを取り出し、それをグラブごしに握り締めると、巨大な蒼い球体に向かって勢いよく放り投げた。チップは、青い光にかき消され、一瞬の後に見えなくなった。

 そして衛星のスロットには、一度外した古いチップを再び取り付けた。
 これで、この交通監視衛星が搭載している核は、地上からの制御では発射できないはずだ。新しいものに交換した上での不具合は、もともとチップが不良品であった、ということで片付けられるだろう。私は何事もなかったかのように、衛星の外装を取り付けた。

「こちらブラボー。修理が完了した。」
『こちらアルファ。お疲れさん、了解した。』
「交換した古いチップを、地球のほうに落としてしまったよ。」
『かまわんだろう。おそらく、大気圏で燃え尽きるはずだ。我々としては、衛星がちゃんと機能すれば、それでいいんだからね。』
「まったく、その通りだ。では帰還する。オーヴァー。」

 私はヘルメットの中で、一人ほくそえんだ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

(そして、2DKにて。)

「あさりのほうがよかった。」
と彼は言った。豆腐の味噌汁を一口すすった。

「贅沢言わないの。」
と彼女は言った。あさりの味噌汁を一口すすった。

二人は無言で食事を続けた。テレビの中で、アナウンサーが担々と世界情勢を伝えていた。

「・・・あが」
と彼は言った。

「ん? どしたの?」
と彼女は言った。

「いや・・・なんで、俺のに、あさりが入ってるんだ?」
と彼は言った。口からあさりの殻を取り出しながら。

「へ? それ、豆腐の味噌汁なんじゃないの・・・オマケのつもりかな?」
と彼女は言った。おかずをごはんの上に乗せて、それを口の方へと箸で運びながら。

「んん・・・あさりの殻って、案外苦かったったんだなぁ。」
と彼は言った。彼は、口から出てきたそのあさりの殻を、あまりよく見ることなく、そのままテーブル脇のゴミ箱へ放り込んだ。

 彼は一生、このとき口から出てきたものが、実はあさりの殻ではなく、何かの制御チップであったことに、気づくことはなかった。



「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)