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【八重垣神社編】奇跡のサンライズ出雲の旅⑥

縁結びの由縁

 出雲大社周辺の話もまだあるが、まずは、元旦の出雲大社参拝後に行った八重垣神社の参拝を書きたいと思う。

 八重垣神社は、出雲大社と合わせて必ず行きたいスポットであった。他にも、出雲周辺には魅力的な古代史の匂いがする神社仏閣がたくさんある。ただ、年末年始であり、時間の制限もある中で、絞り込んだ。

 八重垣神社は、池に浮かべるおみくじで有名になった縁結びの神社である。素戔嗚尊(スサノオノミコト)と櫛名田比売(クシナダヒメ)(稲田姫イナダヒメともいう)の夫婦神が祀られている。

 二人の関係はざっくり言えば、ヤマタノオロチに末娘で絶世の美女クシナダヒメも食べられてしまうと退治を依頼されたスサノオが、クシナダヒメの美女っぷりにほれ込んで結婚することとなった。

 「櫛」というのは、一説では、結婚後、クシナダヒメはスサノオに小さな櫛に変えられ、そのままスサノオの髪に差し込まれ、ヤマタノオロチを退治したという。退治後、スサノオはクシナダヒメを元の姿に戻して結婚をする。出雲の地がとても気に入り、この地に住むこととしたという。二人の子供の一人が、出雲大社のオオクニヌシノミコトだ。また、クシナダヒメがヤマタノオロチから身を隠した場所が八重垣神社という説もあるようだ。

 よって、良縁・縁結びのご利益として、また、湖に浮かべるおみくじが女性の心をつかみ、人気の神社となっている。

古代史の魅力

 しかし、夢を壊すような話になってしまうが、スサノオは大の女性好きで、数えきれないほどの奥さんがいた。クシナダヒメは、他の女神に対して猛烈な嫉妬心があったともいわれている。古事記や日本書紀のこの辺のストーリー展開は、ギリシャ神話のゼウスと共通点が多く感じる。

 一方で、古事記等の史実を根底から覆すことにはなるが、古代史研究家の方たちの研究では、スサノオとは個人名称ではなく役職名であるという解釈もあるようだ。とりあえず、真偽の程は置いといて、映画タイタニックのように、全力で自分を救ってくれる男性と恋に落ちるというロマン(妄想)があるほうが旅は楽しい。

元旦の公共交通機関

 出雲のある島根県に限ったことではないが、首都圏や大都市圏以外の地方は公共交通機関で移動するのが本当に大変だ。電車やバスの本数が少ない。なので念入りに事前チェックをして、うまい具合に乗り継がなければいけないのだ。出雲大社だけを満喫することも考えたが、いつ訪問できるのかもわからないため、なんとしても参拝しようと弾丸スケジュールを組んだ。バスはお正月ダイヤで、本数も殺人的に少ない。さらなるハードルの高さ。時間に追われソワソワしながら、なんとか電車とバスを乗り継いで、そしてバス停から、正月早々競歩のように早歩きをして、八重垣神社にたどり着いた。帰りの最終バスまで、1時間足らずしかないからだ。

八重垣神社へ

 出雲大社と違い、地元の方が多い。マイカーで来ている人がほとんどであった。それでも1人で並ぶには卒倒しそうなくらいの行列であった。出雲大社を教訓に、まずはトイレを済ませる(笑)  神社好きの知人と、LINE実況中継で巻き込む形にして、1人で並ぶ苦痛を回避した。

 それでも出雲大社の行列よりはマシであり、前年初詣に行った伊勢神宮に比べれば、屁でもないレベルだ。ただやはり、縁結びとして全国的に有名になったからか、まぁそれはどこでも仕方がないが、若干商業的な匂いも少しはした。

鏡の池のお告げ

 そして鏡の池に浮かべるおみくじを社務所で購入。方向音痴の私は、社務所から池まで迷ってしまった。すでにたくさんのおみくじが浮かんでいたが、混んではいなかった。占い方法は、池におみくじを浮かべ、その上にコインを載せる。すぐに沈めば意中の人がすぐ現れる。なかなか沈まなければ、当面お相手は現れないということだ。

 バスの時間が気になり、とりあえずコインを載せ、すぐには沈まないだろうと高をくくって、池周辺をぐるっと回って戻ったら、私のおみくじは、速攻沈んでしまったようで、跡形もなかった。うれしい結果ではあるが、沈む瞬間を見逃してしまった。物事を斜めにみる悪い癖だが、私は奮発して100円玉を乗せた。これが5円玉などの軽い硬貨だったら、すぐには沈まなかったのではないかとも思ってしまった。

言霊「気の持ちよう」

 でもでもでも。おみくじの写真を見て欲しい。友人も、「気の持ちよう」というフレーズが最強の言葉だと言ってくれた。しかし、遠路はるばる訪ねてきて、「気の持ちよう」。おみくじで、そんなこと言っては元も子もないと、突っ込みたくもなったが、所詮人生は、気の持ちようかもしれない。「引き寄せ」とか「願えば叶う」とか「ポジティブシンキング」とかいろんな言い方はあるが、やはりどのような心持ちでいるかで、目の前の、そしてこれから先の現実は変わっていくものだ。もしくは、現実は変わらなくても、その現実に対する捉え方が、「気の持ちよう」で全く変わる。一見、脱力するようなおみくじであったが、「お前の心次第で、どうとでもなるんだよ」と助言された気がした。最強の言葉ではないかと思う。

 次のバスまで1時間弱である。本当はゆっくり参拝したかった。どうしても自家用車じゃないと地方の参拝や旅行はこうなってしまう。でも無理をして、参拝した甲斐があった。大満足である。

 ちなみに、待ち人は、まだ、現れる気配もない。気の持ちよう。

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