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まりちゃんが泣いている。声を殺して泣いている。 夜中。ひとりで声を震わせて泣いている。誰もいないと思って泣いている。 胸が痛いよ。僕がいるよ。声が届かない。 なぜまりちゃんが泣いているのかはわからない。けれど苦しくて痛くてやるせないのはわかる。まりちゃんの心はぱっくり割れて血が出ている。 どうして、まりちゃんに優しくしてあげないの?まりちゃんを撫でる腕を、抱きしめる腕を持っているのに。 僕には理解できない。僕がヒトならいっぱいぎゅっとするのに。 まり
あっしたちが、こんなことしたくてやってると思いますか。 あなたならどうですか。 こんなこと、やりたくないでしょう。 そりゃ、そうだ。 それに、あなたたちが、あっしたちみたいになっちまったら困ったもんだ。 誰が、世界を動かしていくんです。 世界には、運転手が必要なんですよ。 もちろん、そうでしょう。 あっしたちは、働きもせずに人様の食べ残したものばかりを漁ってるって? そうでしょうね。 そう思われたんなら、あなたもまだまだまともな人だ。 安心なさい。 明日また目覚めたら、いつ
「気をつけてね。」 涼太は家を出ていく家族を心配そうに見送った。 涼太は今年19歳になる大学生だった。 思春期の頃は家族が嫌いだったが、それも過去のことだ。今は家族が大好きで、誕生日のプレゼントもかかさず買っていた。 彼の家族は涼太以外に父、母、そして2歳下の妹がいた。 今日、涼太は家族と一緒に隣の県の大型温泉施設に行く予定だった。大学に入ってから忙しくなった涼太はなかなか家族と出かける時間を取れなかったので、久々の旅行を密かに楽しんでいた。 だが、彼は今朝になって突然体
4月最後の日曜日のうららかな昼下がり、花子、桃子、桜子の3姉妹は、それぞれ友達との約束に間に合わせるため、バタバタとせわしなく準備をしていた。3人が靴を履いているときに、玄関の上がり框の手前で仁王立ちした花子ママが言った。 「ちょっと、あなたたち、ママとパパは今日ディナーだから、夕ご飯は適当に食べてね」 「分かってるよ、行ってきまーす!」 長女の花子が履き慣れないパンプスを気にしながら出て行った。 「行ってきまーす!」 次女の桃子がボランティアのタスキを肩に引
ここのところ頭痛がひどいので 脳神経外科に行ってCT検査を受けることにした ほんとはめんどくさかったけど いろんなひとが 行け 行け と うるさかったから おじいさん先生に ちょっとおこられたかんじで いろいろいわれて トンネルみたいな機械に あおむけの姿勢で頭つっこむ ぐいんぐいん ぐいんぐいん 惑星の公転みたいに なにかが頭のまわりをまわっている なにが楽しくてこんなにまわってるんだろう 「脳に異常はありませんでしたが、ぜんぶプリンになってましたね」
「タカシ君なんか嫌い!」そう言われたので、「そうですかとても残念です」と言って、デートの途中だったけどすごすごと帰ってきた。ゆき子さんのことはとても好きだったしゆき子さんも僕のことが好きだから付き合ってくれているんだと思っていた。いきなり嫌いだなんて言われたことはとてもショックだったけど、きっと僕の言動の何かが気に障ってしまったのだろう。とても悲しいが仕方ないことだ。大学に入って、生まれて初めて出来た彼女だった。このまま一生添い遂げるなんてことは難しいんだろうなと思ってはいた
「おはよう」 朝起きると妻と同じ声が聞こえる。 僕が海外に単身赴任をするときに、妻がくれたAIロボット。 離れて暮らす夫婦をサポートするために、妻の会社の研究者が開発したそうだ。 「雨が降りそうだから、傘を持っていって。あと…なるべく早く帰ってきてね」 「うん」 僕は気分よく会社に向かう。 出張で日本に戻ることになった。 とんぼ返りだが、妻と食事をする時間は確保できる。 「よかった。…久しぶりだから、楽しんで」 言葉と裏腹に、妻のAIロボットが少し寂しそうなのは気のせいだろ
友だちのお誕生日会に招待された。初めての体験だ。僕を呼んでくれたのは、今年同じクラスになって仲良しになったタカシくん。勉強もできるし、かけっこも速い。漫画だって、ドラえもんなら見なくたって上手に描ける。 僕は特に取り柄もないけれど、幼稚園の頃からピアノを習っている。『エリーゼのために』なら暗譜しているし、『仔犬のワルツ』もまぁまぁ弾ける。タカシくんへのお誕生日プレゼントは、何か演奏したいな…と思った。 僕はお誕生日会のために、みんなも一緒に歌えるような『となりのトトロ』と
数年前にウイルスが流行ってからというもの、この国もすっかりマスク文化というものが定着しましたね。 マスクは偉大な発明ですよ。我々にとってすこぶる都合がいい。口元を見られなくて済みますからね。……なぜってお嬢さん、人は嘘をつくとき、心理的に口元を隠したがるものなのですよ。 ゆえに我々がこのマスク文化の中で本当に注意しなければならないのは、マスクの下がどうなっているのかを観察し、想像することです。たとえばその口は裂けていないか。牙が生えていないか。彼らに手洗いうがいは効きませ
1月2日、世間的には冬休みである。僕は家でビールを飲みながら読書をしたりゲームをしたりと怠惰な生活を送っている。正月特有のお笑い番組を見ながら漫才師のかっこよさに惹かれたり、歌番組を見て歌手に憧れたりしているが、現実そうはいかない。 僕は普段は中小企業の営業として働いていて、企業としても年末年始の休みがあるくらいだから今の言葉で言うホワイト企業だろう。 ホワイトとブラックの区別も曖昧な時代であるから必ずしもホワイトではないのかもしれない。ただ僕がそう思うからホワイトである。
傘神様は天界から地上を眺めて困っていた。 朝の駅のホーム、傘でゴルフのスイング練習をしているサラリーマンに困っていた。周りの方に対して危険であるし、傘自体が迷惑がられてしまう。 傘神様の元に、ゴルフ神様が訪ねてきた。 「傘さんね、ああいうことされちゃあ参っちゃうよ。世間からのゴルフ人気がガタ落ちだよ」 「私もああいった使われ方は不本意なんですけどね。ちゃんと雨から身を守るために使っていただきたいのですよ」 神様達は、雨神様の元を訪ねた。どうすればいいものか相談し
今日も雨が降っている。ここのところずっとだ。 天気に体調が左右されるからちょっとしんどい。早く晴れ間が欲しい。 外に出ると、以前よりがらんとした人の少なさ。人込みが苦手な私は心地良さを感じるも、どことなく、皆雰囲気が暗い感じがする。 先の見えないストレスに限界を感じ始めてるのかな。 雨が降り続けてる。 きっと、空が私たちの代わりに泣いてくれている。 そう思うと愛おしく思う。 大人になるとどうして喜怒哀楽の感情が落ち着いていくのだろう。子供のころはお菓子を買ってく
金魚鉢の中に、ただ一匹だけゆらゆらと黒い金魚が泳いでいる。 時折ブブブブと水中ポンプの音がする。この狭い世界で生きていく上で欠かせない存在。その音を聞くと、ほんの少し心がザワザワする。 彼女は何も言わずに水槽の中を漂っていた。性別は実のところわからない。でもなんとなく初めてこの金魚を目にしたときに、「あ、女の子だな」と直感で思ったのだ。それから私は「水際ちゃん」と名前をつけた。なぜかと言われるとそれもうまく説明できない。ただ安易に渚という名前にしたくなかった。ただそ
「こないだね、知り合いの子が言ってたんだけど」 期間限定のフラペチーノを持って席に着き、彼が席に落ち着いたのを確認してからわたしは口火を切る。フラペチーノには専用の太いストローが付く。彼はそれを、今回初めて知ったようだ。 「ふうん。知り合いって?」 無造作にぐいっとストローを生クリームの山に差し込み、一吸いしてから彼は問うた。わたしは眉間に皺が寄るのを感じ、いかんいかんと瞬きをしてから答える。 「こないだ飲み会あったでしょ。そこで久しぶりに会った大学の子」