「やりたいこと」なんて、死ぬまで必要ない。
幸せと成功はイコールではありません。
世にある自己啓発本・セミナーのほとんどは成功するノウハウが乗っているかもしれません。
有名人・著名人・インフルエンサー。彼らの語る持論やノウハウの多くは、成功するためのものです。
そもそも社会の理想像が、成功であって幸せではありません。
退職を思い描いてから決意するまでの間、そして今も私は「成功なんてどうでもいいから、幸せについて教えてくれ!」と常々思っています。
自己啓発本ではなく、哲学・原始仏教・心理学・脳科学・歴史などの本を読んで、私なりにキーワードだと思っている概念がいくつかあります。
その一つがやりたいこと。
嫌な仕事を辞めたものの、私はいまだにやりたいことが分かりません。
ぶっちゃけ、努力を努力だと思わない、いつまでだって熱中してしまう、そんなやりたいことがあれば無敵です。
そういう人はいますが、百人に一人も見つけられないでしょう。私含めて。
「やりたいこと」なんて、死ぬまで必要ない。
という本があります。299円です。
「はじめに」で作者は、将来やりたいことがないという中学生と対話を開始します。
対話は一旦キリが付き、本文に移ります。
本文にキリがつくと、中学生との対話の続きに戻ります。
その二か所を抜粋します。
「はじめに」
『やりたいこと』 が無いのが正常
先日、知人のお家に遊びに行ったとき、その息子さん(中学三年生)が、将来やりたいことがないという相談を、直接本人からされました。
おそらく知人(父親)がおぜん立てをしていたのでしょう。リビングで息子さんと二人きりになったとき「おじさんは好きなことやっているんでしょう?」そう問いかけてきました。
「そうだよ。きみは将来どうしたいんだい?」私は返答できるはずもないことを、あえて聞いてみました。
「いやなにもないよ。だから悩んでるんだ」
「ごめんね、今のはわざと聞いてみたんだ。そりゃそうだよ。きみの年齢で明確にやりたいことがあるほうが逆に珍しいよ。それで正常」
「正常? どういうこと?」
「きみは学校の先生や、両親、親戚から『将来は何になりたいんだ?』なんて聞かれたりしてないかい?」
「うん。たまに聞かれる」
「だとするなら、それはきみにとっては愚問かもしれないね。なぜならその大人達は、『やりたいこと』の本質を、まだよく理解していないからだよ」
「なんでそんなことがわかるの?」
「そもそも『やりたいこと』というのは、色んなことを経験しないと、わかるわけがないんだ。きみはまだ若い。そして経験できることがたくさんある」
「たしかに、ぼくが知らないことは、世の中にたくさんあるよ」
「うん。だから、やりたいことなんて選びようがないんだよ。それなのに、そんなことを質問するということは、そもそも不思議な話しなんだ。だから、悩むきみは正常」
「ふーん、そうなんだ」
庭の芝生に転がっている、少し空気が抜けたサッカーボ一ルが目に入った。
「例えばきみがサッカーをやりたいと思って部活に入ったとして、実際やってみたら、つまらなかったとしよう。そしたらきみの人生にはサッカーは要らないということがわかるわけだ。つまり、少なくともサッカー選手という選択肢は一つ消える」
「でもぼくはサッカーは嫌いだよ……」
「だったらそれでいい。例えばここできみが『サッカー部に入ったけどつまらない。でもサッカーそのものはやっぱり好きだ』と答えたならその気持ちは別の方向を示しているんだ」
「べつのほうこう?」
「うん。サッカーをとおして、新しい道があらわれたんだ。プレイするのは苦手だけどサッカーについて熱く語れるのならジャーナリストや実況が向いているかもしれないし、それは単に人と協力することの楽しさに気付いたのかもしれない」
「なるほどー、じゃあ何もやリたいことがないぼくは正常だとして、これからどうしたらいいの?」
「何もしなくていいよ」
「え? なんで?」
「逆に聞くけど、なんでやらなきゃいけないと思ってるの?」
「んー……なんでだろ?」
「ところできみは普段、何をしているのが好きなんだい?」
「ごはんを食べてるときとか、ゲームをしてるときかな。あとは……」
「なに? 言ってごらん」
「日曜日に昼寝してるのが好き……かも……」
「だったらそれで十分だよ。あとはきみ自身がそう思えるかどうかが最初の課題になってくる」
「どういうこと??」
対話はここで途切れ、本文が始まる。
先に本文が気になる方は、どうぞ読んでください。
その方が作者の意図したルートです。
『やりたいこと』は死ぬまでなくていい
本文に区切りがつき、少年との対話に戻る。
「ところできみは普段、何をしているのが好きなんだい?」
「ごはんを食べてるときとか、ゲームをしてるときかな。あとは……」
「なに? 言ってごらん」
「日曜日に昼寝してるのが好き……かも……」
「だったらそれで十分だよ。あとはきみ自身がそう思えるかどうかが最初の課題になってくる」
「どういうこと??」
「ごめんね、先に質問してもいいかな? さっきとても言いづらそうにしてたけど、それはなぜだい?」
「……友達はサッカーをやったり、外で活発に遊んでいるのに自分は日曜日の昼間っから寝ているからだらしがないというか、なんというか……」
「そういうことだったんだね。でもその友達と、きみは、何が違うんだい? どちらも好きなことをやっているじゃないか」
「言われてみればたしかに」
「きみはごはんを食べているときとか、ゲームをしているときや寝ているときが好きなんだろう? 友達もサッカーが好きだからやっているだけだと思うよ。その友達にたまにはゲームして遊ぼうよって誘っても、断るはずだよ。友達にとっては、サッカーのほうが優先順位が高いからね」
「うん絶対に断ると思う」
「きみはサッカーが嫌いと言っていたけど、仮に友達に混ざってサッカーをやって楽しめるかい?」
「むり。つまんない」
「だったらきみの選択は間違っていない。わざわざつまらないことに、顔ご突っ込む必要はどこにもないよ」
「じゃあ、ぼくは今のままでいいってこと?」
「もちろん。きみはそのままでいいんだ。でも、この先、きみが自然と『やりたい』って思うようになれば、そのときになって初めてチャレンジすればいいんだよ。もし仮にやりたいなんて思うことが一生なかったのなら、それはそれでいい。大切なのは、きみが今楽しいかどうかなんだよ」
やりたいことが無くて、見つからなくて、悩んでいる人がいたら。
良い対話だと思ったら、声に出して読むことをオススメします。
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