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幼稚園時代

自閉症スペクトラム&ADHDの自分。
昭和40年代など、そんな発達障害なんて診断はもちろんあるわけがなく、
ただの問題児扱い。
幼稚園でも当然問題は起こしまくり、ずっと目の敵にされていた。
幼稚園教諭から立たされたり、叱責されたりだが、なぜ怒られているのか
当時の自分では全く理解ができなかったのだろう。
50年前の幼稚園児の自分はなぜ人に迷惑をかけていたのか。
なぜ相手が怒ったり泣いたりしているのか考えてみた。
●のべつまくなしに喋り続ける言葉の多動症。
●お友達に乱暴や暴言をしたりしていた。
●思い通りにならないと激しい癇癪を起こす。
●1年中鼻水が流れていた。だから汚いなど言われていた。
●とにかくしゃべりまくり相手を不快にさせていた。
まあ、こんな感じだろうか。

鼻水は1年中流れ出ていた。
そのため汚いし、鼻は切れているし、真っ赤だった。
目も毎日痒みが酷く、目の周りがキレるくらい掻いていた。
なので顔も衣類も汚らしく、ボロボロだった。
アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎、アトピー性皮膚炎と、
後々わかるのだが、親は苦しんでいる自分をいたわることもなく、
文句を言いながらたまに耳鼻咽喉科や眼科に連れて行くだけだった。
こんな症状が大人になるまでずっと続くんだから
たまったもんじゃなかった。
鼻水だらけで汚い、豚ブスと言われ、男子からは蹴られたり髪を引っ張られたり、暴力をたくさん受けた。生意気な暴言ばかり言う子供だったから、
力でイジメられた。自業自得ではあるのだが、外でこんなにイジメられていても、外でも家でも誰もかばってはくれなかった。
まあ、生意気だったからと毒母親からはやられて当然とくらいしか思われてなかった。
大人になった今は、相手が聞きたくもない話を聞かされるのは嫌だろうなと
思えるし、人間関係もあるので、当然他者に対して暴言や粗暴な態度はしない。そんなことは全く理解ができなかった幼少期であった。
お友達に乱暴したり、いじめたりしていたから人や教諭に怒られまくっていたのでしょう。自分はいじめられた記憶しかないが、いじめた記憶はあまりない。都合の悪い事は思い出せないものだ。

幼稚園教諭から不思議な差別があった。
誕生月別にみんなの前で立ち、なになにちゃんは何月がお誕生日と紹介するシーンがあった。
自分の時に、教諭が「悪い子だから遅い10月生まれ」」といった。
おそらく、10月は誰もいなくて自分だけだったのだろう。
1月から誕生日紹介をして10番目だから遅い、は分かるが11月12月の
子達にはなんていっていたのか記憶にない。
昭和の時代は教員が絶対だから、教員からの暴言、暴力は日常だった。
幼稚園教諭から容赦無く顔を殴られたり、胸ぐらを掴まれて揺さぶられたり。
今思えば、相手がそこまで怒りのボルテージを上げてしまう、
計り知れないパワーが自分にあったのであろう。
家では毒母親になじられ、幼稚園という社会ではお友達や教諭から
阻害されトラブルばかり起こし。
自分なんて生まれて来なければ良かった、10月の誕生日のたびに今でもそう思う。

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