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幼少期の自分と毒母親

両親からの暴力は受け続けたことはない。
毒母親からの言葉の暴力は日常だった。
会話の初めはとにかく、否定から入る。
自分に対してだけでなく、他者に対しても、世の中に対しても、
馬鹿にしたり、貶したり、いつも不満や文句ばかり言うような
毒母親だった。
落ちているもの、目にしたもの、世の中のこと、何に対しても不平不満を
話しかけるという感じだ。ひとりごとも多い。
例えば、開店したばかりの店舗に対して、すぐに潰れるわよ。
テレビで見たり、実際目にした人のことを太ってるわね、とか老けてるわねとか容姿に対しても容赦なく批判する。
時には面と向かって、人に言葉を浴びせる。
(しかも毒母親は肥満で、容姿も醜いのに自分のことは棚にあげる。)

子供の困難、生きづらさ、何もお構いなしで、日々、ストレスもなく
ブクブクブクブク太っていた。
仕事もしたことがなく、自分のしたいことだけをしていた毒母親。
部屋は汚く、片づけもできない。
蓋は閉めることもなく、蓋がなくなっている容器が多かった。
食べ残しは冷蔵庫に入れることもなく、ラップもすることもなく。放置。
よく害虫が集っていた。
団地で、部屋は汚部屋。片付いていなく、友達を招き入れることなど、
到底恥ずかしくてできない。
入れることを拒否すれば、貧乏だの、ボロ家だの貶された。
自分は小学校高学年まで、貧乏家庭の子供だと本気で思っていた。
小学校の9割が公団の家庭なので、一軒家に住んでいないということに
関するコンプレックスはもっと成人になってからだ。

とにかくお小遣いはくれないし、専業主婦なのに親はいつもいない。
厳しいといえば聞こえがいいが、単に子供にはお金はかけず、
倹約家の戦前生まれの父は無駄づかいはしないので、
毒母親が全て財布の実権を握っていた。
家は汚いのに、服は百貨店で買ってきた服を着せられ、
他の子に比べて良いものを着てるなんて当時は思わないので、
本当に貧乏で生活の苦しい家庭なのだと思っていた。
毒親に対して、恨みしかないが、こうして文章にしていると、本当に酷い。他にも辛い人は世の中にたくさんいる、とかよく言う人がいるが、
少なくともそれは自分の知らない人にいるであろうが、
自分の人生において、知り合った人たちの中では誰一人知らない。
何か悲惨なエピソードがあっても、今はご主人と家族がいて幸せだったり、人生プラスマイナスがあるものだ。
自分にとってプラスの人生なんてあるかもしれないが、
それをゆうに超えるマイナス要因だらけだ。

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