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みっつ通信

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慣れ親しんだ日々を、日々、書き換えようと模索しています。
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頑張るために頑張るな

自分の言動が人を苦しめているということに鈍感だ。この頃、あまり調子が良くなく、終始イライラしてばかりいた。 機嫌のコントロールが難しく、何をしたら気持ちが楽になるのか見出せないまま荒れた。 こういう時、言い訳の常套句がある。育った環境のせいだ、と言う。それで一瞬は問題を誤魔化せるかもしれないが、その効果は長続きはしない。 なにせ死ぬまで一緒にいるのは自分自身で、逃げても逃げても同じ問題を抱えて追ってくるのだ。 荒れているのは環境のせいなんだよ、と言われても、言われた側

一貫性なんてなくていい

Twitterは140字以上は書けないので、それなら長く文字の書けるTwitterとしてnoteを使ってみようと思い立った。ブログだとアカウント作成が面倒くさい。noteはエディタを開けば「書くだけでいいんだ」と思える。だから使っている人も多いのだろう。 唐突だけど生まれて物心がついてから10代半ばまでずっと猫と暮らしていた。猫がそばにいたからインドア派になったのか、インドア派だから猫が好きなのかわからない。そういう性分が今でも続いていると思う。 よく犬派と猫派で分かれる

トラウマと向き合って死んだ

元気だろうか。俺は元気じゃない。完全に殻に閉じこもっている。もう病的としかいえない。いろいろあって自分と向き合わないといけないと思ったので、一か八か死ぬ覚悟で、自分のもっとも見たくない部分を見てきた。 原体験としてのトラウマは父だ。こいつは相当イカれている。イカれているほど父についてはブログだのnoteだのアホみたいに書き殴ってきたが、それでもイカれるくらい書きたくなるから許してほしい。 改めて人の過去なんて誰も興味ないと思う。ただ自分にとっては死活問題だ。いつも抽象的な

希薄なつながりが増えると寂しさが増長する

寂しさを取り除く一種の答えになるのかはわからないが、ぼんやりと書いてみたい。先日、母親と電話していた。俺は「いろいろあってね」と近況報告をした。常時ネットにつながっていると疲れると伝えると、母は「私は本当にそれがいやなの」と言った。 自分に似ているなと思った。俺も実際正直になると「極力親しい人と以外はリアルでもネットでもつながりたくない」と思う。これは遺伝だったのかと思う。ではどうして俺は「つながろう」と意識しているのだろうと考えた。 「生きていくため」。最初に浮かぶのは

引き受けの法則

仕事でブログを書いているわけではないので更新頻度が滞る。もっと読みたいと楽しみにしてくれている人もいる。趣味の延長としてやっているのですかさず期待に応えることはできないが、少しでも書きたいかもと思ったらまずは手を付けてみようと思う。 ところで巷では「引き寄せの法則」なるものがあるらしい。らしいなどというとわざとらしいが、ぶっちゃけ内容に関してはよくわかっていない。たぶん金があると思い込めば金持ちのオーラを発し、さらに金を引き寄せる的な考え方なのかもしれない。 しかしながら

生み出したものが大事か大事じゃないか

風呂場で精神統一してたら、考えが研ぎ澄まされた。7月に慣れないことをいっぱいしたせいか、8月は完全にダウンしていた。いつになったら復活するのか、見通しが立たない。出口のないトンネルをひたすら走っているようだ。 絶望的な気持ちが続く。自分には夢もなければ、友達も多くない、恋人はいてもケンカが続くような日々を送る。あえて言うことではないのはわかっているけれども、お金もあるとは言えない。一つ気付いたのは何かを頑張っているようで、結局は消費活動をしていたのではないかということだ。

居場所は生きる人間の数だけある

ずっと自分の文章が嫌いだったのだが、今年に入ってくらいから少しだけ以前よりも好きになれている。思えば今年は変化の年だと思う。去年までは退屈だと思うことが多かった。でも今年に入ってからはいい意味で忙しい。 何が変わったのかは自分でもわからない。ただ着実に変わっていっているということだけはわかる。人生ずっと右肩上がりだと思って生きているから、自分に全盛期があったのかなんて考えたこともないけれど、あえていうなれば少年時代だったと思う。 12-13歳の頃、父親が拘置所に入っている

人生には、つねにもう一歩先がある。

この頃、家の空間を良くしようと試行錯誤している。まずは掃除や空気の循環が必要だと思って、新しい洗濯機(中古を譲ってもらうことになった)を迎え入れるために現在使用中の二槽式洗濯機の下や裏をまんべんなく掃除した。これだけでまるで家の波動でも上がったかのような気持ちになる。 波動とかいうとスピリチュアルな印象を持つが、言い換えると精神性みたいなものである。要は単純に気持ちがアガる。なけなしのマネーをはたいてサーキュレーターも導入したし、香り付きのお香も焚くようになった。なんだか最

そのお古、うんこかもしれない。

眠い。エアコン業者に対応するため、早起きした。引っ越してきた当時から取り付けてあった80〜90年代かに生産された壊れたお古とはおさらばし、ついに念願の新品のエアコンをゲットした。取り付けたばかりのエアコンから流れる空気を浴びて、俺の心の湿気も吹き飛ぶようだ。ほしいほしいと思って高くてずっと買えなかった物なので本当に嬉しい。 使われないまま置いてある物は波動的に言えばう○こと同じようなものだと聞いた。少々スピった話になるけれど、なんだかそれは腑に落ちた。それから断捨離をするた

それでも耳を傾けながら生きよう

ビックカメラでエアコン購入を決めてきた。先日、凄まじいレベルでお世話になっている方とお茶をした。紆余曲折あって、ドラム式洗濯機とエアコンをプレゼントしてもらうという話があったのだが、額が額過ぎて、そのときは丁重にお断りした。 いくつか受け取れない理由があった。やりとりのすれ違いにより、私の感情が乱れ、そのマイナスをプラスにしたいという気持ちから、その話が持ち上がった。しかし、それにしてはプレゼントの規模が大きすぎる。もしこれが純粋な気持ちによるプレゼントだったら受け取れたと

あなたの過去はあなたのもの

その人にとっての過去のつらさはその人にしかわからない。俺の過去も大概ひどいが、人と比べて自分のほうがより悲惨な人生を送ってきたとは思わない。まれに、私と比べたら三森さんのほうが壮絶だ、と言ってもらう。俺の気持ちを汲んでくれてありがとうございますと思うと同時に、あなたと俺の過去は単純に比較できるものではないとも思う。 確実にあなたにしかわからない経験があったはずだし、それはあなたの今の姿を作っている一部でもあると思う。 その経験のしんどさは、俺がどんなにしんどい経験をしてき

しぶとく人と付き合っていく

大前提として人間不信である。トイレで生まれ、義務教育を受けず、虐待を受け、10年以上家に閉じこもった。つらいのはみんな同じだよと言いたいけれど、弱気になると「どうせ不利なスタートなんだから人並みになれなくてもしょうがない」と卑屈になる。人を信じるのは難しい。疑う癖がついている。「この人は俺を無知として扱っているな」。そういうことを頻繁に思う。逆の立場で目の前にこのような生い立ちの人間がいたら、接し方に迷いが生じるのかもしれない。しかし、自分から好きになる人の共通点には、フラッ

作品の純度を高める

作り手に余裕がないと、生き急ぐような雑さが作品に含まれる。片手間で結果を出そうとしたり、スピードで解決しようとしたりすると「思い」を感じない。やはり思いを込めることが大事なんだと思う。 詩にも絵にも音楽にも踊りにも、作者自身のエゴが含まれていると感じると見ていて聞いていて引っかかりを覚える。作品そのものへの愛情や完成度の高さよりも、自己主張のほうを優先しているように感じられて、自分を売り出すための道具として作品が利用されているところが引っかかりの正体なのだと思う。 より良

光を見ることを忘れてないかい

人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だという言葉を孤児院で育ったチャップリンは残しています。怒涛の五月の終わりはドトールで迎えております。三森正道です。三年分生きたかのような月になりました。起こった出来事は書こうとは思わないけれど、思ったことなら書こうと思える。 唐突ですが、自分にとって今までやってきた殆どの仕事は苦行でしかありませんでした。業務が遂行できないというより、対人関係で毎回つまずいてきました。自分のような人ばかりではないのが世の中のようで、営業や接客に