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作品の純度を高める

作り手に余裕がないと、生き急ぐような雑さが作品に含まれる。片手間で結果を出そうとしたり、スピードで解決しようとしたりすると「思い」を感じない。やはり思いを込めることが大事なんだと思う。

詩にも絵にも音楽にも踊りにも、作者自身のエゴが含まれていると感じると見ていて聞いていて引っかかりを覚える。作品そのものへの愛情や完成度の高さよりも、自己主張のほうを優先しているように感じられて、自分を売り出すための道具として作品が利用されているところが引っかかりの正体なのだと思う。

より良い作品に触れたいだけなのに、作者のほうが全面に出てくるとノイズになる。特に今のネット社会では、「自分をブランド化する」などと騒がれて、純粋な作品に触れる機会が減ってきた。たとえば漫画家がマンガそれ自体より前に出てくる必要性は感じない。

冒頭で作り手の余裕がないと雑さが生まれると書いたが、余裕がなくても作品の純度は高めることができると思う。自分を売り出すための道具としての作品ではなく、より良いものを作りたいという情熱がまだ残っているなら、一つの作品により時間をかけることだと思う。

先日、弟が投稿した絵を見た。色鉛筆をプレゼントされて初めての作品。身内びいきを抜きに才能があると思った。なんだかずっと見てしまう不思議な魅力がある。母に弟の絵が素敵でLINEを送ったら、母の父は絵を描いていたという新事実を伝えられて驚いた。やりとりの中で母からは「できることを伸ばせばいいよね」と返信が送られてきた。

残念ながら自分には絵の才能はないが、文章を書くことなら好きだ。誰に何も言われなくても自ずからやってしまうこと。それが才能だと思う。自分にとってブログの更新は、誰からも強制されなくても勝手にやってしまうことの一つ。これが自分の「できること」で、それは弟にとっては絵なのだと思う。

やりたいことがない人なんて実はいないのではないだろうか。生きていくためには金を稼がないといけないから、我執や売名に意識を取られるだけで、本当は純度の高い、人が喜んでくれるような作品を生み出したい人が多いのではないだろうか。

得をしたいという気持ちから得られるものは得だけで、心の穴を埋めてはくれない。その穴を埋める方法は、その人が持つ才能、好きだから続けたいという気持ちに懸かっているような気がする。

損得より大切なもの。沢山ある。人は自分自身にとってのプラスを生活に落とし込んでいく。感動にも慣れてしまうから、喜びも当たり前になっていくけれど、平凡な日常は過去からの贈り物でできている。作品を作ること、愛する人を愛すること。すべて治療であり、療養でもあると思う。

良い作品は心の穴を埋めてくれる。それは作者自身が自分の穴を埋めるために作ったからだと思う。そこに我執はなく、あるのは生きることへの望み。作品の純度を高めるには、やはり思いを込めることなんだと思う。思いを込めている時間だけ、自分が救われていくんだと思う。

それでもいいならそれでいい

インターネットに社会が流入してきて久しい。自分を容易に売り出せる環境が整ったのは良いことのようで諸刃の剣だと思う。純粋さも承認欲求の前では木っ端微塵に打ち砕かれ、あらゆる善意は資本に飲まれた。作品の純度を高めるのは一層難しくなってきている。

自己療養を目的としないモノ作りはモテるためであったり、マネタイズであったりの手段になる。これは大人の宿命だと思う。子供と違って生きていくことを本格的に考えないといけないから、よほど余裕がない限り、作品はある目的を果たすための道具になる。大人が純粋に遊べなくなっていくのは他にやらなくちゃいけないことが多くなってくるからだと思う。

良いと思える作品からは作者のエゴを感じない。作ることへの純粋な情熱のほうに惹かれる。やりたくてやっている感じがする。好きだから続けているように見える。例えば、大御所の漫画家たちはマンガを描くことに喜びと宿命を背負っているようなオーラを纏っている。

何を表現するかではなく自分をどう表現するかに偏っていれば見抜かれる。その作る側の卑しさは、それでも大丈夫と言えるような読み手・聞き手でないと受け入れるのは簡単ではない。

手段としてのモノ作りなら、別にそのモノは何だっていいわけである。何だっていいなら何だっていいわけで、鋭い聞き手・読み手は、作り手の迷いや思惑を見抜く。しかし、どう身構えたところで個性は消えない。消そうと思っても消えてはくれないのだから、もうそのまま行くことになる。

余計なことは考えず、自然とやっていればいいのである。最後の選択権は誰に何を言われようと自分にある。結局は自分がどうしたいかを見極め、何が自分に幸せをもたらすのかを判断していくことが結果的に自分自身や作品の純度を高めてくれるのだろう。

苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。