トラウマと向き合って死んだ

元気だろうか。俺は元気じゃない。完全に殻に閉じこもっている。もう病的としかいえない。いろいろあって自分と向き合わないといけないと思ったので、一か八か死ぬ覚悟で、自分のもっとも見たくない部分を見てきた。

原体験としてのトラウマは父だ。こいつは相当イカれている。イカれているほど父についてはブログだのnoteだのアホみたいに書き殴ってきたが、それでもイカれるくらい書きたくなるから許してほしい。

改めて人の過去なんて誰も興味ないと思う。ただ自分にとっては死活問題だ。いつも抽象的なことばかり書いて、具体的な詳細を書けない。どうして書けないのかわからないが、とにかく自分の受け入れられない部分をちゃんと見た。

全身緊張状態が何時間も続いて、あやうく二重人格になりそうになり、狂いそうになった。今日は睡眠4時間の間に二回ほど超爆発的な信じられないレベルの悪夢を見た。戦争経験者なのかな僕はと思うくらいその悪夢を見ながら体が暴れた。

結論だが、トラウマと向き合うのは超絶危険だ。正直いいこと一つもないと思う。そうはいっても向き合いたくなるのが人間の本性なのかもしれないが、遠い過去でも最近のことでもトラウマを見つめたところで正直何も変化は起こらない。それどころか自分の頭がおかしくなり、黒歴史量産装置みたいになるのでぜひ気をつけてほしい。

ただ俺は変態でアホで馬鹿で、いつまでも周囲に甘えながら生きている軟弱者だから、つい進んでグロッキーになるようなことをしてしまう。俺は基本的に自分のトラウマを克服したいがために生きているようなものだから、正直、このnote記事はあまり誰かの役に立つようなことはないかもしれない。

ただもしかしたら自分と同じように苦しんでいる人がいるとしたら、死ぬのをこらえてなんとか生きることに一生懸命になろうとしている人がいるなら、俺はそれを捨て置けない。散々自分の暗い部分は見てみないふりをしてきたが、多少は誰かの役に立ちたいところもあるからだ。

どういう風にトラウマと向き合ったのか。書きたいのだが書けない。書きたくないというより書けない。とにかくきっと人それぞれやり方があると思う。やりたくもないと思っていることをやろうとするとか、行きたくないのに働きに出ないといけないとか、いろいろあると思う。

俺は何をしてもうまくいかない。羞恥心とか反応に対して妙に怯えるし、だから頑張ろうとすると毎回血反吐が出るような気持ちで生きることになって、余計に死にたくなる。

俺も誰かに応援されている。それは特定の人として顔を思い浮かべられるかもしれない、そうでもないかもしれないが、命がある以上、何かしらの形で存在を赦されていて、だから生きていられる。

どうせ死ぬけれど、他人が存在しない一人の世界で生きているとしたら、自分の死というのは認知できないことがわかると思う。他者の死があるからまるで自分の死も必ずあると思うが、そしてそれは確かなことな気もするが、生きている以上生きることしかできない。この苦しみ。とてつもない苦しみ。みんな一人だ。どんなに仲が良い人がいても、一個の個体として生きていかなきゃいけない。誰ともつながることができない。それはわかっていた。

だが、これを読んでいるあなたには未来がある。そして恐ろしいほどに重い過去がある。でもめげずに頑張ってほしい。正直なんでこんなことを書くのか自分でもわからないし、本当は誰にもプレッシャーなんて与えたくないのだ。俺が屍のような人間なのに、誰かを支えられるなんて思わない。だが、なんだかわからないけれど、生きることはとても尊いように思う。

つらい、しんどい。でも生きてる。もしかしたら、生きてる人だけでなく、神様への恩返しなのかもしれない。わからない。が、自分の存在があるということが、何よりも尊いような気がするのだ。

苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。