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それでも耳を傾けながら生きよう

ビックカメラでエアコン購入を決めてきた。先日、凄まじいレベルでお世話になっている方とお茶をした。紆余曲折あって、ドラム式洗濯機とエアコンをプレゼントしてもらうという話があったのだが、額が額過ぎて、そのときは丁重にお断りした。

いくつか受け取れない理由があった。やりとりのすれ違いにより、私の感情が乱れ、そのマイナスをプラスにしたいという気持ちから、その話が持ち上がった。しかし、それにしてはプレゼントの規模が大きすぎる。もしこれが純粋な気持ちによるプレゼントだったら受け取れたと思う、と私は話した。

解散直後、LINEが届いた。純粋な気持ちからエアコンをプレゼントしたいとの申し出だった。私は家族に相談し、受け取ることにした。ここに至るまで結構長い道のりだった。この期間、良心とは何かについてはちゃめちゃに考えることになった。

私自身について、変なところで深く考え過ぎるきらいもあれば、これまた変なところで考えすぎないきらいもあり、いろいろな人に相談しながら、相手にとって、自分や家族にとっての一番気持ちのいい落とし所を考え続けた。

私も普段は中間のポジションで、橋渡しをして、自分を消して、相手に深入りせず、なんとなく気まずい空気を全力で回避しにいく能力でここまできた気がする。自分は触媒か何かなんかだと思う。特に何にもしないけど、ただ反応には必須みたいな。

https://note.com/mitsuharu21/n/n792c6d32eed6

とにかくみんなにとって一番気持ちのいいところ。贅沢なことを言っているのかもしれないが、みんなにいい風が吹けばいいと思った。今回、迷惑をかけてしまった人もいると思う。

偉そうに書き続けているが、ここ二ヶ月間は本当に充実していた。人生経験という意味では筆舌に尽くしがたい。結局のところ、エアコンをプレゼントしてくれたKさんに対してはもちろんのこと、自分と粘り強くコミュニケーションをとってくれた友人と家族には「本当にありがとう」という陳腐な言葉しか見つからないのだ。

それでも耳を傾けながら生きよう

この文章を書いていて「他力本願」という言葉が頭をよぎった。自分は努力せず他人の力に頼るという意味合いで使われていることが多い言葉だが調べてみたら、他力とは阿弥陀仏の力であり、すべての人を救いたいという願いのような意味らしい。

ブログを書くときも人と話すときも、最近、誰も傷つけたくないという思いが強くなっている。タイミング的には他力本願という言葉が頭に降ってきた理由がなんとなくわかった。

自分の立場から離れて、自分から最も遠い他に思いを馳せる。仲違いをしてわかり合えないような相手、国。あらゆる立場がぶつかって、人々は自分の立場を守ろうとする。もし自分が別の場所に生まれていたら、もしかしたら今の自分を恨んでしまうような立場にあったかもしれない。

昔からよく、自分もああなっていたのかもしれないと思うことが多かった。少し立場が違えば、人を殺したり、自殺したりする可能性だってあった。これからだってありえる。

「あんなふうになっちゃだめよ」と人が言うことも、「あんなふうにはなりたくない」と自分が思うのもどちらも嫌だった。その”相手”がもし自分だったら。そう思うと誰も嫌いたくなかった。言ってしまえば保身なのだろう。けれども、中庸と言い換えることだってできる。

聖人君子にはなれないし、悟ることもできないけれど、志を持つことならできる。いろんな人の意見に耳を傾けながら生きていきたい。

苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。