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居場所は生きる人間の数だけある

ずっと自分の文章が嫌いだったのだが、今年に入ってくらいから少しだけ以前よりも好きになれている。思えば今年は変化の年だと思う。去年までは退屈だと思うことが多かった。でも今年に入ってからはいい意味で忙しい。

何が変わったのかは自分でもわからない。ただ着実に変わっていっているということだけはわかる。人生ずっと右肩上がりだと思って生きているから、自分に全盛期があったのかなんて考えたこともないけれど、あえていうなれば少年時代だったと思う。

12-13歳の頃、父親が拘置所に入っている間、それまで縛られていた分、何でもやり放題になった。学校に行っていなかったこともあり、その年齢には似つかわしくないが、昼夜問わずゲームに明け暮れていた。

人生で一番ハイだった時期。睡眠時間なんて三時間もあれば十分。目が覚めた瞬間にオンラインゲームのレベル上げに勤しんだ。あの日々がもうすでに20年前だなんて信じられない。

それから父親が出所して家に戻ってくるなり、俺たち兄弟にキレるのがデフォルトになり、拳で殴る、顔面にツバを吐きかけられるなどの虐待が始まった。

父の教育方針によって義務教育を受けていなかったことにより、虐待を受けている間は、外部への助けを呼ぶという発想さえなかったので、実質的に軟禁状態になっていた。父のサイクルに合わせて毎朝アイスコーヒーを入れるために4時に起きる生活を繰り返していた。

友達は作れない。二個下の弟だけがまともな話し相手ではあったものの、暴力を受けているストレスによって兄弟喧嘩ばかりの日々を送った。

父にはよく現場に連れて行かれた。詳細は控える。父がハアハアと息を切らしながら車に戻ってくる。俺と弟は後部座席に座って黙ってひたすらその光景を見ていた。

あれから20年近くが経ち、いろいろな形で受けた心的外傷もだいぶ癒えた(と思う)。16歳の秋に父が亡くなったときは心底ホッとした。

数年前まではブログに過去のことを書くことで父の記憶を成仏しようとしていたけれど、今年は全くといっていいほど父のことなんて考えなかった珍しい年なのかもしれない。

昨日、たまたまそういう話を家族としていたから、思い出してこうして書いている。いろいろあったねと語らう中で、俺はぽつりと自分でこんなことを言った。

「本当の孤独の中では人は悪にもなれないね」

同じような境遇で育った人は少ないだろうから、共感してもらえる割合も少ないだろうけれど、親に頼れなくても、たとえば中学校へ行っていれば不良仲間ができて、そこが居場所になっていたのかもしれないと思う。

唯一の心残りは悪を武器に父に逆襲できなかったことだ。早くに父が死に、文句の一つも言えずに月日が過ぎた。なんだかなという気持ちは精算されないままでいる。

当時、唯一やった悪さといえば父親の財布からたまにお札を抜き取ってはゲームを買いに近所のゲーム屋へ自転車を走らせていたことだ。お金を盗んでいることがバレたらヤバいし、無断でゲーム屋へ行っていることもバレたらヤバい。父が寝ている隙を狙って全て実行していた。

今その行いを「悪さ」と表現したけれど、実際にはただゲームがやりたくて唯一の自由を謳歌したくてやりたいことをやるために悪いとされることをしただけだ。

そこだけピンチアウトすれば俺が悪いかもしれないが、ピンチインすれば父も悪い。そして誰が悪いのかという話になると大概終わらない話になる。

つまり父による「お前は俺にとっての悪になるな(俺の思い通りになれ)」を意味する銃口がつねに俺に向けられていたわけで、それは俺にとってはめちゃくちゃ不自由なことではあるんだけど、それは父にとっては自由だったんだと思う。

俺だってもう少し父に対して歯向かいたかった。悪になりたかった。悪が制御され切っていると、最悪、殺しに向かうのだろうなと思う。

ガス抜きとしての悪の実行。父の荒ぶり方は辟易するものだったけれど、俺と弟と母が逃げ出した後、半年も経たないうちに病気で亡くなったことを考えると、家族に対する依存度は半端なかったのだろうなと思う。

しばらくは確かに憎しみはあった。でも、今これを書いていて思う。「逃げ出したこと」が俺の自由の選択であり、逆襲だったのだろうなと。

暴力以外での上手い復讐のやり方がもっとあると思う。それをやるのは性格が悪いとかではなく、生きる技術の高さだ。

俺は独特な環境で育ったのもあって、見事に社会に適応できずに生きてきたけれど、これも一つの復讐なのだなと思う。誰にでもない世界に対しての復讐。

社会に順応することは善、順応しない人間は落ちこぼれ。そんなバカなことがあってたまるかと思う。やりたいことをやるためにはグレーゾーンという動線の上を歩み続ける必要があるんだよと言いたい。

白黒はっきりさせるのではなく、グレーゾーンをたくさん残す。それが社会の豊かさだと思う。そこは逃げ道ではなく、生きる道。正規ルートなんてない。いうなればすべてが正規ルート。

居場所は生きる人間の数だけある。だからもっと誇ろう。自分の存在を。自分が生きていることが誰かの迷惑になるかもなんて考えが過ることほど悲しいことはない。

復讐のやり方を学んでいこう。それは時に許すことかもしれない。俺にとって「不良だね」は褒め言葉にもなる。不良だねと呼ばれるような生き方をしていきたい。

苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。