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加害者は元被害者(再掲)

自分は思春期から大人に変わるぐらいの年頃に父親から受けた暴力によって、半分の人格が形成されたと思う。

ブログでは到底書くことができないような仕打ちも受けた。自分はその時に人は誰しも加害者になり得るのだということを身を持って知った。

あれは多分、15歳の春頃だったように思う。父親からの暴力の度合いがピークを迎えそうになっていた頃の話だ。

自分の父親は公道でも走れる小型のバギーを新車で買った。しかし、父親は乗り飽きた (もしくは気に入らなかった) という理由でそのバギー車を買った店に払った代金の全額を返せとクレームをつけた。バギーは何度か父親が乗ったので、当然中古扱いになる。常識的に考えれば、払った代金の全額は返ってこない。しかし、自分の父親は体中に刺青が入っており元ヤクザだ。今までもそうしてきたようにこの時も平気で相手を脅す。電話で文句をつけ、払った代金の全額を持って家まで来いとバギーを売った店の人を呼び出した。

ここまでは自分の家では当たり前のような光景だったが、この時だけは自分にとって何もかもが違った。自分は15歳になり体格もそれなりに大きくなってきた頃合いだった。お店の人を呼び出したタイミングで自分は父親にこう言われた。

「外の物置にナイフが隠してあるから、もしあいつが金を全額持ってこなかったらお前があいつを刺せ」

この時、自分は心から覚悟した。よし、もしもお店の人がお金を全額持ってこなかったら、父親を刺し殺そう、と。

お店の人が家の道路前までやってきて、自分の父親と話をしているところを窓越しに見つめていたのを覚えている。

幸いお店の人は代金を全額持ってきていた。自分の出番はなかった。

この時を思い出すといつも全身が震え出す。今もそうだ。

自分はあるタイミングでは只の被害者だったかもしれないが、一歩間違えば凶悪な加害者扱いされる可能性もあった。

自分の父親は19歳の頃にてんかんを発症した。その発作によって、仕事を何度もクビになったと言っていた。ある時は警察官になりたかったと話していたこともあった。しかし、遠い親戚に犯罪を犯した人がいるという理由で警察官にはなれなかった。

加害者は元被害者でもあると思う。なぜ加害者は加害者足り得たか。事件の表層だけを報せるニュース番組には描かれていない内部事情だ。

自分は凶悪事件のニュース番組を見るたびに、「この人はどうしてこんな事件を起こしたのだろうか」と必ずといっていいほど考えてしまう。

自分の場合は「加害者側の視点」に立ってものを見る傾向もあるが、それは加害者に対する同情ではない。ただ、その事件が起こった経緯 (理由) が知りたいのだ。

当然、ニュース番組を見るだけでは詳細は知ることはできない。けれど、この人はどうして事を起こすに至ったのか考えるか否かでずいぶん世界の見え方が変わる。

犯罪を起こしたら悪なのか。自分の答えはノーだ。「罪を憎んで人を憎まず」という諺が自分は好きなのだけど、ひとは「悪になる」というより「悪に染まる」といったほうが適切だと思う。

悪という概念はあくまで社会的なものであり、誰かが「悪に該当」したからといって、そう易々と悪人呼ばわりしていいものでもない。重ねて言うが、これは加害者に対する同情の類ではない。

悪人がいるのではなく、悪に染まる環境があるだけだ。自分の場合は父親という存在から辛くも逃げ出し、幸いにも悪に染まり切らなかった。だから、今はこうして加害者について語れる立場にいる。けれど、仮に逃げ出すことに失敗していたとしたら、自分は完全に悪に染まる以外に生きる道はなかったかもしれない。

育った環境によって、自分は加害者側の視点に立つということを学んだ。同じように、凶悪事件を起こすような犯人達も育った環境や現在の生きる環境によって闇に突き動かされてしまうという側面もあるのだろう。

理由なき犯行にも少なからず理由はあると思う。自分が凶悪犯に生まれていたら、自分は凶悪犯だった。その事実を自分はいとも簡単に忘れてしまう。

自分は「全部育った環境のせい」なんていうつもりはさらさらない。ただ、育った環境は無視できるようなものでもないと思うのだ。アインシュタインが「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。」と言ったように、人は10代の影響を色濃く残す。

自分が一番伝えたいと思うのは、「怒り」や「恨み」や「憎しみ」は人を救わないということで、できれば「理解」や「許す」といった方向へ舵を切ってほしいのだということ。

今は許せないのなら許せる時が来るまで許さなくてもいい。けれど、許さないということは「加害者と共に生きる」ということだ。自分は一生父親と生きていきたいとは思わなかった。だから、自分に離れることを許した。

逃げ出して間もなく父親の訃報が入ってから、しばらくは父親はまだ生きているかもしれないという恐怖に怯え、アパートの上階で鳴り響く足音も父親のものかもしれないと疑っていたこともあった。父親の死体を見なかった自分には、父親は死んだという確信が持てなかった。けれど、時間の経過とともに疑いは消えていき、次第に恐怖を感じることもなくなった。

全ては時が解決してくれたのかもしれない。無論、深い傷はそう簡単に癒えるものではないことは知っている。しかし、いつか人は必ず前を向かなければいけない時が来る。それは、絶望ではなく希望だ。希望があるから人は生きていけるのだと思う。

犯罪は犯罪である。どんな事情があれ、犯罪を起こした以上は罪を償わなければいけない。加害者側が罪を償ったところで、被害者側の傷は消えないままだろう。だから、人は過去を背負って生きていくのだ。過去を背負うということは、生きている証だ。生きていく限り、人は過去を背負う。過去を背負う限り、人は未来を見据える。

自分は今、未来を見据えて生きている。過去の壮絶な体験が不自由を教えてくれたように、不自由を知ることによって自由とは何なのかを知った。

自分は今、未来と自由の意味を知っている。後はもう、前に進むだけだ。

苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。