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はじめに ~ 働く女性に捧げるメッセージ~女性人事コンサルタントのパイオニア、梅島みよが行くシリーズ~Vol(1/20)

人材アセスメント、リーダー育成分野において日本有数の人材コンサルティング企業、マネジメント サービス センターの創業者であり、94歳にして今も現役で活躍されている人事コンサルタント 梅島みよさんの連載が、HRプロにていよいよスタートします! ちょうど第1回公開の2018年3月1日が、ご本人の94歳の誕生日です。業界のレジェンドからのメッセージを、どうぞお受け取りください。

最近、世間では「女性活躍推進」などと叫ばれて、女性がビジネスで活躍することが強く求められていますね。大正時代に生まれた私には羨ましい限りです。でも、あまりに活躍を期待されるのは、時には重荷と感じることもあるでしょうね。そこで、私の約70年間のビジネス・ライフで出会った事、悩み、失敗などを思い出して書きつづってみます。これらの手記が、働く若い女性のみなさんに何かお役に立てば幸せです。

現在94歳の私は、老人ホームで暮らしています。そこから、週2回か3回は会社に行って、仕事をしています。こう言うと驚かれたり、時には「変な人」とまで言われたりしますが、会社が仕事をさせてくれるのは有難いことです。

戦時中の学生時代のことを思い起こすと、男子学生は学徒出陣に駆り出され、女子学生も時期を繰り上げて卒業させられました。私は19歳で津田塾を終えると、女は「銃後の護り」に励めと言われる時代だったので、直ぐに就職しました。勤め先は帝国海軍の技術廠、立場は女子作業員でした。そして、1945年の8月、終戦の日を迎えます。悲劇的な敗戦です。私は虚脱状態のまま、母に迫られ結婚、2人の子供を出産し、子育てに追われました。

2人の子供が幼稚園と小学校に行くようになると、家計の足しにと、共稼ぎで近くの米軍キャンプに勤めました。在日米陸軍司令部下の広報部で事務員をし、その後、人事部に移り、管理者訓練教育のトレーナー職になりました。

米軍勤務7年目、夫が山口県の日立製作所・車両工場に転勤することになったので、私も米軍を辞め、家族全員が転居。そして今度は、夫と同じ日立製作所の工場に勤めて輸出業務です。しかし、教育訓練の仕事が好きで、コンサルタント業を1人で始めました。1959年のことです。

暫くして、米軍時代の教育訓練業の仲間に誘われ、一緒に東京で教育訓練のコンサルタント会社を創立しました。1966年のことで、それが今のマネジメントサービスセンターとなります。

19歳で勤め始めてから94歳の今日まで、途中に10年間の専業主婦時代がありましたが、そのほとんどの期間はビジネス・ウーマンとして暮してきました。

これから、その間の経験や思い出をつづっていきたいと思います。働く女性の皆さんのために少しでもお役に立てばと思っています。しばらくの間、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

プロフィール
梅島 みよ(うめしま みよ)

1944年、津田英学塾(現・津田塾大学)卒業。 在日米陸軍人事訓練部において管理者訓練トレーナーとして勤務した後、日立製作所を経て、訓練コンサルタントとして独立。1966年マネジメントサービスセンター設立。同社代表取締役社長、取締役会長などを経て、株式会社マネジメントサービスセンター顧問に就任。公益社団法人全日本能率連盟名誉マネジメントコンサルタント、日本女子経営大学院顧問。

会社名:株式会社マネジメントサービスセンター
創業:1966(昭和41)年9月
資本金:1億円 (令和 2年12月31日)
事業内容:人材開発コンサルティング・人材アセスメント

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