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お子さんの「失敗」を褒めていますか?
今日は、海外でバイリンガル子育て(5年目)をしてい日々思うことの雑感です。
日本の教育、日本社会の閉塞感にもやもやしている方には共感してもらえるかもしれません。ヒントになる人がいたらうれしいです。
マレーシアに3年、カナダに1年教育移住し、海外子育て5年目の私ですが、ここまで来てやっと気づくことやしみじみ実感することも少なくありません。
最近、いろいろな子ども(現地校の子どもたち、移民や留学生でカナダ居住歴の浅い子どもだち、そして我が子たち)と、その教育環境を見ていて、つくづく考えることがあります。
日本は失敗が許されづらい社会、だなあ、って。
チャレンジしたら、半分以上は失敗するよね?だって「チャレンジ」なのだから
チャレンジというのは、辞書で調べると「困難なことに挑むこと」とあります。「困難なこと」というのはやすやすとできることではないので、最初は必ず失敗するものです。最終的に成功しないことだってありえます。それが「チャレンジ」です。
でも、「失敗」したら「ほらー!もう!だから言ったじゃないの!」、「失敗して人に迷惑をかけた」ってなっていませんか?
日本は失敗が許されづらい社会
日本って、やり直しがききづらいんじゃないかな、と思うのです。
例えば子どもの学校環境で言えば、
■学区内の学校に入学したら、合わなくても転校するのは困難。
■学校が合わないから行かないと「不登校」と言われる。
(「リモート登校」とか「ホームスタディ」とか「ホームスクーラー」とか「自主学習」でいいのにね)
■いちど部活を決めたら、途中では変えられない。辞めることはできてもどこかに入り直すことが難しい。そして辞めることすら批判される。
■(私学など)一度転出したらもう戻れない。
■授業は全員同じ科目を同じ教室で同じ内容でやる。できる子も、できない子も同じ内容を同じスピード感で学ぶ。
■得意な科目も苦手な科目も同じように評価され、ひとつでも落とすと進級・卒業できない(それが自分が不得意で苦手で興味がなくて、将来にわたって使わない知識であっても)。
■「周りに迷惑」なことが大罪。そして、ささいなことを「迷惑」と感じる人が多い
など。
ちょっとやってみて、ダメだったら戻ろう、やり直そう、ができない構造になっている、っていう気がするのです。
だから、「失敗」したら最後、っていうプレッシャーを感じやすい構造になっている。
失敗が許される環境でないとチャレンジが許されない
でも、「失敗」が許される環境であることこそが、子どもの「チャレンジ」を促す大前提であると思うのです。だって、困難なことほど失敗する確率が高く、失敗し続ける期間が長くなるはずだから。
なにかにチャレンジして、生き生きした子になってほしい!
この子だけの個性を伸ばしてほしい!
得意をみつけてほしい!
って願いながら、「でも失敗はダメね!」っていうのでは、矛盾しているのですよね。
チャレンジが許される環境でないと「好きなこと」が極められない
「失敗」が許されないなら、「失敗しない無難なこと」しか選べなくなります。自分の100%の能力の中の、9割くらいまでの力でできることだけやるようになります。
「成功」ばかりを褒められていると、そうなっていきます。
出来たときだけ褒めたり、
(試合で勝った、テストで点数がよかった、劇で主役を取った、何らかの級に合格した、何らかの賞を取った)
出来なかったときに責めたり、責めはしなくても残念がったり、
(試合で負けた、テストで点数が悪かった、劇で小さな役になった、何らかの級に不合格だった、何らかの賞を取れなかった)
成功したよその子を褒めたり、その子と比べたりしたら、まあ、子どもとしてはいい気はしません。
(目の前で他所の子を褒めるのは、悪気なくやっている親御さんが多いと思いますが、聞かされる子どもサイドからするとよしあしなんですよね)
「失敗するほど困難なことにチャレンジしたこと」自体を褒めてあげること、できているでしょうか?
「好きなこと」ができないと無気力になる
そうして「自分の上限を超えることにチャレンジしない」もしくは「やらされることしかやらない」、
もっといえば「好きなこと」にチャレンジしていても「これはいいけど、これはダメ」と親に仕分けされる状態が続くと、無気力にならざるを得ないです。
(「読書はいいけどマンガはダメ」とか、「ゲームは1日30分※」とか、「マイクラでプログラミングとかレッドストーンとかやるならいいけど単にブロック積むだけじゃダメ」、とか)
100%無気力な子ども、というのは大多数ではないと思いますが、「部分的に無気力な子ども」って多いんじゃないかな、と感じるのです。
※マンガやゲームの規制については思うところがあるのでまた改めますね
意欲がなければ、マジでなんにもならない
海外で子どもたちやその学校制度を見ていて感じるのは、これです。
特に北米では、意欲だけは満々な子が本当に多いです。
自分のことを賢い(smart)と思っている子どもの多さに驚きます。
そして、意欲こそが「学び」や「いきいきとした自分らしさ」の源泉、と感じずにいられないのです。
意欲を持てることが「幸せ」の定義なんじゃないか、と思うほどです。
それをつくづく感じるのです。
意欲がなければ、勉強すらできるようになんてならないのです。
「子どもの幸せ」こそ親の願いのはずだけれど
多くの親が、我が子に「幸せになってほしい」と願っているはずです。
「自分らしい人生を生きてほしい」と。
「好きな仕事につき、好きな人に囲まれて生きてほしい」と。
でも、「ダメだし」ばっかりしていないでしょうか。
「ダメだし」ばかりされて幸せな人はいないのです。
特に「お受験」「中受」は気を付けて
特に、都心部で「お受験」を目指している方や、中学受験を目指している親の方は、少しばかり気をつけた方がいいのではないかな、っと思います。多くの方が上手く感情や状況をコントロールしていると思いますが、同時に多くの方が、コントロールを失うひとときを経験している、と感じます。
多大な犠牲(時間的・金銭的・精神的、そして親子の絆を損なうこと)を支払った結果がパラダイスとは限らないのが「お受験」「中学受験」で、「お受験」「中学受験」は、万人に向いているものではないんですよね。
入り口(受験)は向いてなかったとしてもそこを通過すればあとはその学校の高い水準の中で引き上げられるだろう、というのも、そうなる子もいるかもしれないけど、100%そうではなくて。やってみないとわからないことだからこそ、「期待通りでなかったとき」の心理的・現実的な「プランB」は意識して対策しておくといいのではないかな、と思います。
インター校受験、英語学習についても似たようなことが言えるかもしれませんが、「受験もの」は、ゴールを「合格」に置かず、「親子で一緒に楽しく一生懸命がんばる課程」にすべきだとつくづく思います。低年齢ならなおさらです。
そんな中で、今日からできること
英語圏では変な質問や答えづらい質問をすると「Good Question!」と言われます。
賞を取れなかった子は「Good work!」、「Good Challenge!」と言われてハイタッチをされ、ハグされます。
社会全体がそう言ってくれなくても、親だけはそれを言ってあげる。そういう目でみてあげる。
それが、チャレンジのできる子どもにする、個性を伸ばせる子どもにする、子どもを幸せにする第一歩だと思うのです。
いい質問!
すごいね!
いいじゃん!
よくチャレンジしたね!
「そんなのどうでもいいことでしょ」、「残念だったね」、「あーあ、だから言ったじゃないの」という代わりに、上記の言葉を言って子どもを抱きしめてあげたらいいと思うのです。
日本の社会や日本の教育に対して、窮屈だな、と感じても、子どもにとっていちばん影響力のある親が「いいチャレンジだった」と認めてあげたら、だいぶ安心できて救われるんじゃないかと思うのです。
「ヒントになったな」、「共感できた」と思われたら、スキ&フォローで教えていただけたらうれしいです。
私が我が子の幼少時に行っていた具体的な「簡単・褒め褒めワザ」「ダメって言わずに導く方法」なども今度お伝えしていきますね。
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