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「場の意識」の体験について4

私の「見性(覚醒)」体験は、長い時間をかけて府に落としていく過程を辿りました。

「仏陀」や「空海さん」は、「暁の明星」を見た瞬間に「悟りを開いた(覚醒した)」と伝えられますが、修行者でもなんでもない私は、そうだったのです。

ですが、多くの人は、「勝手な思い込みではないの?」と疑問を持たれるかと思います。

その疑問は、もっともだと思います。

これから無謀にも、秋月龍珉氏著「禅仏教とは何か」に記述があった、「仏陀」や「道元禅師」や「白隠禅師」の記録の解釈に、「私の体験」から「情報補間」を試みようと考えますが、その前にはっきりさせておく必要があると思います。

反対の立場なら、「頭がおかしい」と思って当然です。

まあ、ここまでこの事に拘ること自体が、精神の不調の証拠だと思われる向きもあるとは思いますが、ひとまずそれは横に置いといて、話だけでも聞いてもらえればと思います。

思い込みではない根拠として、まず一つ目は、「覚醒前」と「覚醒後」の私の現実を比較した場合の落差が、あまりにも激しいことがあげられます。

私の身に起った出来事の変遷は、過去ブログの【覚醒ゲームの自分史】にも書きましたが、「覚醒前」の絶望的な状況の自分から、現在では、平和で満ち足りた現実の自分が、居るのです。

それは、コロナ過の現実にあっても、揺らぐことはありません。

【覚醒ゲームの自分史】の内容につきましては、以下を参照ください。

『「奇跡」の復活の時代(みずがめ座の時代へ)』
https://note.com/mr_mu/n/n9172252d7092

当然人間ですから、「関係の意識」の自分に、迷いはあるのですが、「場の意識」の自分を、信頼して生きれば、大きく間違うことはありませんでした。


そして二つ目は、ここ京都の「秦氏の聖地」に誘われるまでの、数々のシンクロと移動の変遷があります。

これについては、先だってのブログの『「覚醒」における体験的考察2』に書きましたが、私の「産土の大地」と、そこが発する「神々の物語」との多くの符合の体験が上げられます。

『「覚醒」における体験的考察2(どの様に、覚醒に気付いたのか)』
https://note.com/mr_mu/n/nfc029d026a0c


そして三つめは、ここ京都に住んでから訪れた、【「真言の心柱」の明晰夢】や、多くの「仏教文化」との出会いがあります。

【「真言の心柱」の明晰夢】に興味のある方は、過去ブログの『最初のインパクト2』をご覧ください。

『最初のインパクト2』
https://note.com/mr_mu/n/nf6cdee492cb4

そして、嵐山天龍寺での座禅体験や、龍門会の講義、さらには、京都御所南の合心館道場での「自他不二の妙技(合気道の技)」との出会いがありました。

さらにタイムリーに訪れる、「覚醒」をテーマとした、重要な書物との「場の意識(偶然)」による出会いがあります。

具体的な例として、直近の書籍との出会いで言えば、秋月龍珉氏の「禅仏教とは何か」がありました。
また、もう少し前の出会いでは、井筒俊彦先生の「意味の深みへ」があげられます。
「意味の深みへ2」〜「意味の深みへ7」
https://note.com/mr_mu/n/nf5eba6a30a95
https://note.com/mr_mu/n/n1ede7958ca4b
https://note.com/mr_mu/n/nc368e8adb11f
https://note.com/mr_mu/n/n364dcfaecd5d
https://note.com/mr_mu/n/n5c34b3981f9a
https://note.com/mr_mu/n/nc4095df9ac65

「場の意識(偶然)」による出会いと書きましたのは、意識して本屋を探した訳では決してないからです。

これらの多くの体験を、「覚醒の賜物」と言わずして、何と表現するのが適切なのでしょうか。

たしかに「意味の深みへ」について書いた頃には、まだ「見性(覚醒)」の気付きはなくて、「地母神の明晰夢」がきっかけと思っていましたし、「覚醒以前」の私は、神経症的症状に悩まされる、孤独な自分であった訳です。

さらに「明晰夢」の中での「地母神」との出会いも、「ユング派」臨床心理学者の、故「河合隼雄」先生の著作にあった、心理的な癒しの過程の象徴そのものとも見做せますが、その「端境期」となっていたのは、私の「見性(覚醒)」体験の出来事なのです。

これらの出来事の体験も、全て単なる偶然で、「私の思い込みの産物」なのでしょうか。。。

まあもう、あまりにも現実離れしたエキセントリックな体験ばかりで、お腹いっぱいかも知れませんね。

誰の「いいね!」も期待できそうにありません。

さて、もうこれ以上この話題を口を酸っぱくして語っても、何の進展もありませんので、次へ行きたいと思います。

ええと、「覚醒にはコツがある」と書いたらどうでしょうか。
次回は、秋月龍珉氏著「禅仏教とは何か」に記述があった、「仏陀」や「道元禅師」や「白隠禅師」の記録の解釈に、「私の体験」から「情報補間」を試みながら、覚醒(意識進化)のコツについて、書きたいと思います。

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