Mr.μの「泥酔妄語」

私は稀に不思議な夢を見ます。その極めつけが、「真言の心柱の夢」と名付けた明晰夢です。そ…

Mr.μの「泥酔妄語」

私は稀に不思議な夢を見ます。その極めつけが、「真言の心柱の夢」と名付けた明晰夢です。そこにはある独特な世界観が関係していて、二つのコトバが「キー」となって開かれる様なのです。これら「関係の意識」と「場の意識」のコトバが紡ぎだす「新しい世界認識の方法」について、書きたいと思います。

最近の記事

新たな「スピリチュアルな展開」へ

今まで書いてきた体験談に対して、「メンヘラ発言」を疑われる方が、多いことはわかっています。 「新たな価値観を探求したい」との熱い思いも、多くの方々にとっては、何の価値も見いだせない、「戯言(ざれごと)」としか思えないでしょう。 ですが、少し考えてみてください。 この「地球というシステム」は、「物質的な側面」だけを見ても「完璧」で、バランスが取れており、どれだけ多くの「神秘」に溢れているかを。 だからこそ、この世界(宇宙)は、もっとダイナミックで、創造的な出来事に溢れて

    • スピリチュアルな奥義である、「顕在化」について。

      ふたたび、前回の横道の続きです。 ひどい夏風邪をひいてしまいました。 発熱に耐えながら、ただ布団に包まって寝転がっていると、過去に起こったいろいろな出来事が思い出され、自然と考える機会も増えて来ます。 そんなおり、ダニエルさんのチャネルを経由して、∞9次元「アクトゥリアン評議会」の新たなメッセージが届きました。 そして内容を読み進めて行くと、数々のスピリチュアルな体験とメッセージの内容が「意味共鳴(シンクロ)」を始めたのです。 それが冒頭の『スピリチュアルな奥義であ

      • なぜだか、私の人生が、これらのメッセージとシンクロします。

        今回は少々横道に逸れますが、以下のダニエル・スクラントンさん経由のメッセージが、いちいち私の人生とのシンクロが見て取れるので、述べてみたくなりました。 『したがって、自分の人生を大きく変えるプロセスを始める最も簡単な方法は、自分の人生に対する見方を小さく変えることから始めることなのです。もしかしたらあなたは、破たん状態にある家計にばかり目を向けてしまっているだけであって、その一方で多くの素晴らしい友人関係や美しい恋愛関係を持ち、完璧な健康状態にあって、素敵な場所に住んでいる

        • それを意識し始めたその時に。

          「奇跡」を意識し始める以前の私は、その様な事態に対して懐疑的でした。 その様な事態を、合理的に想定する事は、困難だと思っていたからです。 正直、「産土の神」にしろ、「他力本願」にしろ、宗教はすべて胡散臭いと思っていましたし、この様な事態に対して実感を持てていませんでした。 「仏教」は、「信仰の部分」を実際的には掘り下げません(表面上かも知れませんが)し、「神道」は教義がない分まだましですが、「神秘的で畏れ多い雰囲気」以上でも以下でもない様に見えていました。 「僧侶」も

        新たな「スピリチュアルな展開」へ

          「ご縁」と「偶然」は、同じでしょうか。

          スピリチュアルな「目覚め(覚醒)」と言うと、何やら超能力が獲得される事を思い描きますが、全くそのようなものではありません。 それは、「9次元存在(アルクトゥルス評議会)」が、チャネリング情報を通して送って来ている内容からも解ります。 やれ「共同創造する」だとか、やれ「降伏して、流れに身を任せる」だとか、やれ「高いバイブレーションを維持する」だとか、一見、矛盾するような内容に、いったいどう対処すれば良いものかと、イメージを沸かせるのが、困難に思えます。 おそらく以前の私

          「ご縁」と「偶然」は、同じでしょうか。

          何がそうさせているのか。。。

          最初の「反転の兆候」が何だったのかあまり判然としないのですが、それは「夢の内容」の変化だったと思います。 今から考えれば、ある種の「分水嶺」だったのでしょう。 それ以来「明晰夢」と思われるポジティブでディテールが明瞭な夢を、見る様になります。 ディテールが明瞭との意味では、ネガティブな夢の時からそれは続いていましたが、ここを境に明らかに夢の性質が変わって来たと言えます。 ですがこれが、「明晰夢」と呼ばれる現象だと気付いたのは、もっとずっと後の事です。 夢の内容の詳

          何がそうさせているのか。。。

          「エネルギーの共鳴」によるコミュニケーション

          少し横道に反れますが、印象深い「9次元存在」からのメッセージがありましたので、述べてみたいと思います。 それは、前々回の私のブログ『「奇跡」がはじまる前に。』に書きました、以下の一文に関するものです。 ----------------↓ そう、まるで「死刑宣告」の様にです。 そして更に、とある変電所の上空に、空が真っ黒に染まる程の激烈なカラスの大軍を目撃するに至っては、もう「万事休す」である事を悟ったのです。 ですが、ここが不思議なのですが、その場に「恐怖の感情」が

          「エネルギーの共鳴」によるコミュニケーション

          何かの変化が始まった事態に。

          前回、「徹底的に自分の感情から来る行動を放棄した」と書きましたが、生半可な覚悟で出来るものではありません。 自分のプライドなんて、ちっぽけなものだからです。 実は私には、それとは別な観点がありました。 それが、「人間とは?」という観点です。 自分も含めた、ちっぽけな、「人間とは?」という観点です。 人間は、常に他者との関係性を通して人生を歩みます。 そこには一人の例外もありません。 そして社会を作り、文化を育み、個人から家族、家族から集落、集落から都市、都市から

          何かの変化が始まった事態に。

          「奇跡」が始まる前に。

          私は、「光」と「闇」といった二項対立の関係を真実とは思いません。 私は、「場」と「関係」の言葉をよく使用しますが、これらは決して、二元的な二項対立の概念ではありません。 「関係」とは、「場」が背景にあり、「場」とは、「関係」が繰り広げられている場であり、位置(次元)の事です。 言葉を変えると、「場」は本来、「関係」を超えて含んだ状態の総称なのです。 そこには常に「方向性」が潜在しており、人間は、誰にでもそれが解るのです。 よって、本来は、これらの概念に、対立はないので

          「奇跡」が始まる前に。

          私は、多くの恩恵を受けて来ました。

          「12次元の非物理的存在」は、私たちから見れば最も「ソースエネルギー」に近い存在です。 私は、奇跡の連鎖を通して、多くの体験をしてきたことから、最悪の状況と、現在までのより最高の状況とを比較して、何がそうさせたのかを、自分なりに考察することが出来ます。 『私たちは与え、そして皆さんは私たちが与えたものから恩恵を受けることができます。そして、あなたもそれを他の人に伝えることができるのです。』 上記のメッセージは、そんな中にあって、私がとても沢山の恩恵を受けたことを伝えてお

          私は、多くの恩恵を受けて来ました。

          自分の力とは、「集中する力」、「感じる力」、「振動する力」、「視覚化する力」、「経験したい現実について考える力」にある。

          いろいろな「意識のエネルギー」が感じられます。 この「意識のエネルギー」は、「信じる力」により自分のものとなり、発動すると考えます。 過去に於いては、多くの「信仰者」が体現して来たことですが、現在においては、その力を殆ど失いつつある様に思います。 では、「信じる」とは、どう言ったことなのでしょうか。 「信仰」というと、まずは何やら怪しげな宗教でも、「信じる」ことで力が発動される現象が考えられます。 これらは、「関係の意識」の思考とっては、有効な手段となりますが、「科

          自分の力とは、「集中する力」、「感じる力」、「振動する力」、「視覚化する力」、「経験したい現実について考える力」にある。

          「意識エネルギー」は、とっても面白い。

          「意識エネルギー」を意識し始めると言っても、最初は半信半疑だろうと思います。 私の場合、何か「霊的な電波」の様なものを空中から聞き取る訳ではありませんし、五感を使った常識的な感覚から逸脱する訳でもありません。 もしそんなものが日常生活で聞こえ始めたら、臆病な私は「精神の病気」を疑うでしょう。 そんな事では全くないのです。 何らかの「偶然」の出来事が、常識の範囲を超えて、「意味の連続体」として体験されるのです。 例えば、5:55とか11:11とかの時間や、77-77や

          「意識エネルギー」は、とっても面白い。

          「意識エネルギー」の現実に寄り添う。

          「意識エネルギー」に対する理解を実生活に取り入れ始めると、いろいろと面白いことが起こって来ます。 ですが、気付いたから信じるのか、信じたから気付くのかは、非常に微妙なところがあります。 私はどうだったかと振り返ると、これまた微妙なのです。 平原綾香のジュピターの歌詞にある「愛を学ぶために孤独があるなら、意味のないことなど起こりはしない。」を信じた過去を振り返えると、スピリチュアルな信仰とまでは言い難いけれど、人生を賭けて、信じてみたことには変わりはありません。 これが

          「意識エネルギー」の現実に寄り添う。

          『誰であろうと、どんな生き方をしていようと、すべての人の目的ともいえる二つのこと』とは。

          題記は、4/21付けの「9次元存在」のメッセージにあった翻訳の一文です。全文は、以下サイトをご参照ください。 私は、スピリチュアルな本を、過去の一時期に多く読んでいましたし、初めから全てを理解していた訳ではありません。 「人生の暗黒期」に、私が今体感しているこの感情や感覚は、いったい何なのかと、試行錯誤を重ねる中で積み重ねて来た思考の数々です。 臨床心理学の立場からは、河合隼雄先生の著作に没頭したり、スピリチュアルな探求の立場からは、シルバーバーチの霊言集に没頭したり、

          『誰であろうと、どんな生き方をしていようと、すべての人の目的ともいえる二つのこと』とは。

          5次元の現実とは。

          おそらく、多くの方が私のブログを妄想ブログとお考えだと思います。 これほど非常識な体験は、嘘か妄想に違いないと、お考えのことと思います。 おそらく20年前の自分なら、皆様と同様に、なぜそんな妄言を吐くのかと、怒りさえ覚えた事だろうと思います。 ですが、その間に体験した多くの奇跡が、私をすっかり変えてしまったのです。 その体験を、「覚醒ゲームの自分史」などとうたって、ブログに公表するまでに至りました。 今では、アルクトゥルス評議会のチャネリング情報を、現実として受け入

          5次元の現実とは。

          「場の転換」の始まりか?

          実は、この4月の初日から、新たな転換の体験が始まりました。 職場が琵琶湖の周辺の「秦氏のゆかりの地」から東京の品川周辺にある「牛頭天王ゆかりの地」への大転換です。 「牛頭天王」は、「須佐之男命」のことでもあり、「秦氏が信仰した神様」でもあります。(別名、バール神とも) あまりの職場の周辺環境の違いに、目が回る様です。 ここ暫くは、その準備にブログの更新が出来ませんでした。 まことに申し訳ありません。 まさにステージが変わった事を意識せざるおえない展開です。 この

          「場の転換」の始まりか?