Mr.μの「泥酔妄語」

私は稀に不思議な夢を見ます。その極めつけが、「真言の心柱の夢」と名付けた明晰夢です。そ…

Mr.μの「泥酔妄語」

私は稀に不思議な夢を見ます。その極めつけが、「真言の心柱の夢」と名付けた明晰夢です。そこにはある独特な世界観が関係していて、二つのコトバが「キー」となって開かれる様なのです。これら「関係の意識」と「場の意識」のコトバが紡ぎだす「新しい世界認識の方法」について、書きたいと思います。

最近の記事

『誰であろうと、どんな生き方をしていようと、すべての人の目的ともいえる二つのこと』とは。

題記は、4/21付けの「9次元存在」のメッセージにあった翻訳の一文です。全文は、以下サイトをご参照ください。 私は、スピリチュアルな本を、過去の一時期に多く読んでいましたし、初めから全てを理解していた訳ではありません。 「人生の暗黒期」に、私が今体感しているこの感情や感覚は、いったい何なのかと、試行錯誤を重ねる中で積み重ねて来た思考の数々です。 臨床心理学の立場からは、河合隼雄先生の著作に没頭したり、スピリチュアルな探求の立場からは、シルバーバーチの霊言集に没頭したり、

    • 5次元の現実とは。

      おそらく、多くの方が私のブログを妄想ブログとお考えだと思います。 これほど非常識な体験は、嘘か妄想に違いないと、お考えのことと思います。 おそらく20年前の自分なら、皆様と同様に、なぜそんな妄言を吐くのかと、怒りさえ覚えた事だろうと思います。 ですが、その間に体験した多くの奇跡が、私をすっかり変えてしまったのです。 その体験を、「覚醒ゲームの自分史」などとうたって、ブログに公表するまでに至りました。 今では、アルクトゥルス評議会のチャネリング情報を、現実として受け入

      • 「場の転換」の始まりか?

        実は、この4月の初日から、新たな転換の体験が始まりました。 職場が琵琶湖の周辺の「秦氏のゆかりの地」から東京の品川周辺にある「牛頭天王ゆかりの地」への大転換です。 「牛頭天王」は、「須佐之男命」のことでもあり、「秦氏が信仰した神様」でもあります。(別名、バール神とも) あまりの職場の周辺環境の違いに、目が回る様です。 ここ暫くは、その準備にブログの更新が出来ませんでした。 まことに申し訳ありません。 まさにステージが変わった事を意識せざるおえない展開です。 この

        • 「第9の芸術」が示すものとは。

          フランスのルーヴル美術館が定義した「第9の芸術」。 その一つである「葬送のフリーレン」に、「魔法とは、イメージの世界である」との言葉があります。 多くの日本人が、たかがマンガの言葉だと馬鹿にしますが、私は「言い得て妙」だと考えています。 それは、私の「奇跡の体験」が、気が付かなければ決して到達することのない、イメージの世界から始まったからです。 それは、私の「人生の暗黒期」の、とある会社への通勤の、茫漠とした「野の道の出来事(ハイデガーも到達した境地である)」から始ま

        『誰であろうと、どんな生き方をしていようと、すべての人の目的ともいえる二つのこと』とは。

          『今世は、何が違うのか?』

          以下文章は、私の「人生の暗黒期」に実際に体験した生の出来事です。 これと、∞9次元「アルクトゥルス協議会」のメッセージを対比させることで、「目覚め」に関する現実との接点が見えて来るのです。 人間は個人として「目覚め」、更にはその先の「アセンション(社会性の進化)」を体験する必要があり、現在は最も可能性が高い時期を迎えています。 それは、多くの「チャネリングソース」のメッセージが、最近共通して指摘して来ていることでも判ります。 これらは、「日本文化」に秘められた「可能性

          『今世は、何が違うのか?』

          「空間共鳴現象」体験とは。

          昨日は、父親の四十九日の法要と納骨で、藤沢の実家に帰っていました。 そしてその帰りに、とても意義深い「空間共鳴現象」を体験しました。 仕事帰りもそうですが、京都駅から自宅への帰り道に京都バスの73系統をしょっちゅう使用します。 この度もそのバスで帰途に就いたのですが、渡月橋を渡りながら、車窓から渓谷の方面を眺めると、薄っすらと浮かび上がった渓谷に、多くの旅館や人家の窓明かりが黄色く転々と輝いていて、えも言えぬ情緒に満たされました。 そしてバスの窓ガラスにフォーカスを移

          「空間共鳴現象」体験とは。

          「神聖な雰囲気」の朝湯体験でした。

          久しぶりに「ホテルエミナース」の近くの日帰り温泉に行ってきました。 そこはもともと「ホテルエミナース」が保有していた温泉ですが、今では、竹の郷「万葉の湯」となっています。 我が家からは、車で15分ほどの距離にありますが、「万葉の湯」に買収されてしまい、入浴料が少々お高めとなり、足が遠のいていました。 そこは洛西ニュータウンの中にあり町場のわりに泉質が抜群で、2種類の温泉を源泉かけ流しで楽しめます。 最近、朝ぶろの割引がある事がわかり、久しぶりに温泉を楽しみました。

          「神聖な雰囲気」の朝湯体験でした。

          「意識エネルギー」に法則性は存在するのか。

          これはなかなか難しいテーマです。 ある人にっとっては有ると言えますし、またある人にっとっては無いとも言えるからです。 ある意味で、「普遍性」を有しますし、有さないとも言えるのです。 つまりそれは、「人による」と言うことです。 べつに差別している訳ではありません。 それは概ね、「本人の選択」だからです。 それは、どのくらい「論理的に考察できるか」だけではなく、多くの「人生の体験」を通して、何をどう、どれだけ選択したかで決まる(決める<注1>)様です。 <注1> こ

          「意識エネルギー」に法則性は存在するのか。

          この種の話題に真面目なコミュニケーションは可能なのか。

          この種のブログで、真面目なコミュニケーションを期待するのは、難しいかも知れません。 私も出来る限り誠実な表現を心掛けていますが、一般的な社会通念とは、かけ離れてしまう発言もあり、不真面目と思われてしまうことを懸念しています。 「9次元存在」が本当に存在するかは、議論が分かれる所ですし、殆どの人がトンデモだと考える分野の話題です。 どうすれば理解が得られるか、真面目な議論に加わってもらえるかは、今のところ絶望的と言わざる負えません。 そう、時代性の観点に立てば、まるで、

          この種の話題に真面目なコミュニケーションは可能なのか。

          「9次元存在」を、自分の腑に落として考えられるのか。

          この【『地球でハイブリッドの存在として生きる』∞9次元アルクトゥルス評議会~ダニエル・スクラントンさん経由】のメッセージは、とても重要です。 それは、私の「人生の暗黒期」以来の半生と照らし合わせても、そう思えるからです。 このチャネラー経由のメッセージには、今となっては多くの翻訳者が存在します。 自動翻訳もありますが、細かなニュアンスが訳しきれない部分もありますので、人間の解釈による翻訳が欠かせません。 そして、どのくらいの方々が、これらのメッセージを「自分の腑に落とし

          「9次元存在」を、自分の腑に落として考えられるのか。

          数年ぶりの「完全な龍門会」

          一月の第二日曜日は、新年初の「座禅の会」と「龍門会」でした。 「ぜんざい供養」までを含めると、数年ぶりの「完全な龍門会」でした。 嵐山の「天龍寺」さんには、本当にお世話になりっぱなしです。 「天龍寺」は、京都では建仁寺と並んで『学問づら』とも言われ、実践重視の禅宗の中にあって、「公案」に代表される学問を徴用します。 この講義で使われる「夢中問答集」は、室町幕府の開祖である足利尊氏の弟で、執権も担った「足利直義」と、「天龍寺」の開山である「夢窓疎石」との間で交わされた「

          数年ぶりの「完全な龍門会」

          今年は「辰年」で、「激動の年」です。

          2024年能登半島地震により愛する人と突然に引き裂かれた多くの方々におかれましては、哀悼の意と共に、ご冥福をお祈り申し上げます。 スピリチュアル一般でも、今年は「辰年」で、「激動の年」と言われます。 だからと言う訳ではないのですが、新年早々波乱を思わせる出来事が起ってしまいました。 さて、我が家も新年早々、実家で「世代交代(※1)」が起こっています。 (※1) 私としましては、直截な表現を避けようと思いますが、と言いますのも「人生の暗黒期」以降、「死」に対する印象が、反

          今年は「辰年」で、「激動の年」です。

          何が真実で、何が虚構か。

          「覚醒」に関しましては、「何が真実で、何が虚構か」を明確に示すことは出来ません。 もともと「自己」と「他者」は、「分離」が前提であり、全てを一人の真実だけで、確定させることは不可能なのです。 でも、だからと言って、自分以外の全てが虚構であるとは、到底言えません。 ですので、半信半疑のままで、いろいろと試してみるのに何の問題もありません。 かく言う私もそうであった訳で、「本当」だとか「嘘」だとかと言って、誰を責めることも出来ないのです。 これらの状態は、ある意味で、「

          何が真実で、何が虚構か。

          私は何故、「アルクトゥルス協議会」を信頼するのか。

          私が何故、「アルクトゥルス協議会」を信頼するのかと言いますと、多くの点で、私が「人生の暗黒期」を通して辛酸をなめさせられた状況から「人生の覚醒期」の現在の幸せな状況へと至る道筋が、ダニエルさん経由のチャネリングメッセージの中に、ドキッとする様な「意味の断片」の形で、散りばめられているからです。 その主張には一貫性があり、矛盾は見られません。 多くのメッセージには、恨みつらみを度外視した「他者への思い遣り」や、ありのままの出来事に対し「受け入れて身を委ねること」や、自分自身

          私は何故、「アルクトゥルス協議会」を信頼するのか。

          まさに「場の意識」の体現者。

          なかなかブログのアップが叶いません。 ここ一・二週間、仕事で宇都宮に出張していました。週末は、一旦京都に戻りましたが、継続して出張していました。 それでも「おかげさま」で、全国的に天気は上々で宇都宮も暖かく、仕事も捗り、無事に製品も収まりました。 さて最近、既に有名人ではありますが、YouTubeの動画で、「場の意識」が顕在化した、ある少女の存在を知りました。 その少女の名前は、「吉村妃鞠」さんです。 若干小学生の天才バイオリニストですね。 あのカーティス音楽院に

          まさに「場の意識」の体現者。

          ハイデガーの「野の道」と「目立たぬもの」とは。3

          前回は、轟孝夫氏の著作【ハイデガーの哲学『存在と時間』から後期の思索まで】を引用しながら、【ものへの放下】について語ってきました。 そしてこれを「意識進化の必要条件」として考察しました。 そこで指摘したいのは、私の持論でもある『「場の意識」の方向性』についてでした。 さらにこれらの信頼が、『「人間の本質」が、「空間構造」であるとの理解から来ている』とも書きました。 この「空間構造」としての「自己の意識」とは、素粒子(3次元意識の基底)に向かって根源化された時に発現され

          ハイデガーの「野の道」と「目立たぬもの」とは。3