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「ご縁」と「偶然」は、同じでしょうか。

 スピリチュアルな「目覚め(覚醒)」と言うと、何やら超能力が獲得される事を思い描きますが、全くそのようなものではありません。

それは、「9次元存在(アルクトゥルス評議会)」が、チャネリング情報を通して送って来ている内容からも解ります。

やれ「共同創造する」だとか、やれ「降伏して、流れに身を任せる」だとか、やれ「高いバイブレーションを維持する」だとか、一見、矛盾するような内容に、いったいどう対処すれば良いものかと、イメージを沸かせるのが、困難に思えます。

おそらく以前の私が、知識だけを頼りに行動に移していたならば、次元の「方向性」を見誤ってしまっていた事でしょう。

言葉を変えると、以前の私が、もう少し「積極的な性格」だったなら、次元の「方向性」を見誤ってしまっていたと言った方が適切な表現かも知れません。

そこには私の「性格設定(ほんとうのわたしによる)」が、大きく寄与しているのです。

私はただただ、このピラミッド型社会の規範とのギャップに翻弄され、それでも諦めずに、耐え抜いただけとも言えるのです。

また、私の「場の意識」が指し示す「方向性」に従って、「諦観(ていかん)」したとも言えます。

「関係の意識」である、確率的で合理的な判断に、従わなかったからとも言えるのです。

それらは「無意識の領域」から湧き上がる、「感情的な衝動」に従っただけと言っても、過言ではありません。

ただ少しだけ違うのは、これらを「関係の意識」と混同して、他者に責任を転嫁させて、行動に移さなかったと言う事です。


さて、「奇跡」の始まりは唐突でした。

それらは、道端での予兆で始まりました。

それは、結婚願望に対する、藁をも掴むような、予兆でした。

バツイチ、左遷、女性不審の私には、望むべくも無いはずの予兆でした。

この話は以前にも、ここで詳しく披露したので多くを語りませんが、『ツガイの尾の長い小鳥が、クチバシから落とした巣作りの小枝(ワラヒゴ)を、私が駆け寄って拾った』と言った些細なものです。

その時思ったのは、「私はまだ、諦めては居なかったんだ」と言った、衝動的な行動に対する驚きでした。

こんなに、がんじがらめな状況なのにです。

まさに「藁をもつかむ」とはよくぞ言ったものです。

「9次元存在(アクトゥリアン評議会)」は、けっこうシャレがきついですが。。。

その頃の私は、ドライブがてら、「地域の神社巡りを楽しんだり」、「身近な山のハイキングを楽しんだり」、「帰省の途中にCDの音楽を楽しんだり」して、「孤独」を楽しみに転嫁させて、過ごして居ました。

しかし、「神頼み」のために、神社巡りをしたのかと言うと、決してそうではなくて、「神聖な雰囲気に浸りたかった」だけでした。

そしてそんなある日、無性に「海」が恋しくなり、「シュノーケリング」をしたくなり、旧知のスイミングスクールの友人(男性)と連絡を取ります。

そしてそこで、伊豆諸島にある「御蔵島」での「ドルフィンスイム」のツアーのメンバーを募集していることを知ったのです。

ですがこの時点では、2名の男性メンバー以外、誰が行くか決まっておらず、メンバーに承諾を得られていない事から、いったん保留となります。

そして数週間後、メンバーが決まり、承諾も得られたとの連絡が入ります。

そして、記念すべき第一回目のツアーの顔見せ会があり、やって来たのが、2名の男性(おじさん)以外は女性だけで構成される、7名の混成メンバー(年頃の女性達を含む)だったのです。

以前は、女性インストラクターの引率で、何度か顔を合わせた事がありましたが、2人のおじさん達が発起したツアーを、この女性達は、受け入れてくれたのでした。

そしてツアーを重ねるごとに、この女性達とも仲良くなってゆき、スイミング以外でも親交を重ねる様になります。

そして最終的には、会報を担当するまでになりました。

今から思い返しても、前代未聞の楽しい日々でした。

私は、ドルフィンスイムのある週末になると、埼玉県の北部から、車で約200Km(往復)を藤沢市まで移動し、浜松町の竹芝桟橋から、東海汽船に乗って島に出掛けていました。

え、「女性不信」は何処へ行ったかって。。。楽しくて、楽しくて、すっかり忘れてしまいました。

そして、何度目かのドルフィンスイムのツアーで「御蔵島」を訪れた際に、それは起こりました。

その時は日頃の疲から体調が悪く、船酔いをしてしまいます(めったにないことですが)。

そして、ツアー船の上(その時は少々海が荒れていました)で気持ちが悪くなり、同乗していた同じ症状の、別のツアー客2人と一緒に、途中の防波堤で待つことになりました。 (ドルフィンスイムのツアー船と言っても普通の漁船ですが。。。)

そしてなんと、偶然そこに居合わせたのが、将来私の嫁となるそのひとだったのです。

偶然にも程があります(まあその時は、全く意識していなかったのですが)。

そして知り合って、紆余曲折を経て、頻繁に会って話しをするようになると、「運命的なご縁」としか形容しようのない、数々の「偶然の一致」が見えて来たのです。

そして更に、「日本的なスピリチュアル」を彷彿とさせる、「神話的で文化的なシンクロ」が、露わとなり始めるのです。

次回は、その辺りを深堀して行きます。


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