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それを意識し始めたその時に。

「奇跡」を意識し始める以前の私は、その様な事態に対して懐疑的でした。

その様な事態を、合理的に想定する事は、困難だと思っていたからです。

正直、「産土の神」にしろ、「他力本願」にしろ、宗教はすべて胡散臭いと思っていましたし、この様な事態に対して実感を持てていませんでした。

「仏教」は、「信仰の部分」を実際的には掘り下げません(表面上かも知れませんが)し、「神道」は教義がない分まだましですが、「神秘的で畏れ多い雰囲気」以上でも以下でもない様に見えていました。

「僧侶」も、その多くが、経典を学問として解説するか、現実の生き方について説教する事しかしませんし、何処まで「経典の内容(信仰)」に、実感を持たれているのか判然としません。

「欧米のスピリチュアル」も「新興宗教の類」も、その多くが、美しいグッズの販売や、「精神的な弱者(私も含むかも)」に対する「商業的な行為」としか思えませんでした。

「これをこうすれば、必ずこうなる」と言った、「科学的な価値」に縛られた、まるで「因果関係」が有るかの様な言説に、はたしてこれが、「高次元の在り様」であろうかと、疑問に思ったのです。

そうなって来ると、この世界に神秘はなく、「唯物的な絶望(エントロピーの増大)」しか見当たりません。

ですが私は、『この「世界の絶望」に対して、「消極的な反乱」』を試みたのです。

そこにはかつて体験した、ある「漠然とした実感」が関係しています。

私には、「ポジティブな存在」や「ネガティブな存在」を、雰囲気として感じる程度の、微々たる「霊的な感覚」があります。

それは、誰もが持ち合わせている程度の微々たるものです。

それは、かつてブログに書いた、ある「心霊的な体験」が関係します。

以下にそのブログのリンクを張ります。
このブログの内容と重複する部分がありますが、興味のある方はご覧ください。

この体験は、この世界には、『目に見えない「意識エネルギー」の存在』が、実在するのではないかとの「疑問」を私に投げかけたのです。

それは、スピリチュアルな「心霊写真」を通して、霊的な感覚とのすり合わせを、私に体感させたのでした。

ですが、「奇跡の実感」が得られるまでは、この体験さえもが、「夢幻(ゆめまぼろし)」に、思えたのです。

※『この「世界の絶望」に対する「消極的な反乱」』につきましては、日を改めまして述べたいと思います。

さて、『「運命的なご縁」としか形容しようのない、数々の「偶然の一致(シンクロ)」』からお話ししましょう。

「御蔵島」では当時天候が下り坂で、帰りの船便が着岸出来ない可能性がありました。

私は仕事の関係でどうしても島から帰る必要があり、同じツアーのメンバーとは別行動で、ヘリの定期便を利用して、大島経由で帰る事に成りました。

そして、ヘリの中でも、そのひとと隣り合わせの席となり、一緒に帰ることになります。

そんなこんなで、図らずもますます打ち解けて行ったのです。

でもこの時の話題は、スピリチュアルのスの字もなく、ドルフィンスイムの話題と、一緒に来た仲間の話題で盛り上がりました。

彼女たち二名は、仕事上の友人関係で、その友人から「御蔵島ツアー」を強く勧められ、たまたま来たとの事でした。

そして大島では、タクシーで港まで移動し、船を待つ予定でいましたが、出航までの時間が数時間空いてしまうため、レンタカーで大島を楽しもうと、同行の皆さんに提案します。

そして、数名のグループで観光に行く予定でいたのですが、皆さんが急に行かないと言い始め、結局、そのひとと2人だけで大島の火山観光を楽しむ事になりました。

つい一昨日、知り合ったばかりの私と二人だけで、火山観光に行く事に、よくぞ同意したものです。

まあもう既に、一脈通じるものがあったのかも知れません。

「女性不信」にもかかわらず、随分と馴れ馴れしい態度ですよね。。。

「ドルフィンスイム」の女性達とも仲良くなっていたので、だいぶいい感じに纏まっていたのか、「御蔵島の精霊」が後押ししてくれたのか、定かではありません。

そんな状況ですが、「御蔵島」から帰還後、しばらくの間そのひととは疎遠の状態でした。
まあ、メールアドレスの交換はしていましたが。。。
(この頃はまだ、Lineはありませんでした。)

ですが帰りのJRの中で、「江原啓之」さんの「スピリチュアルタイム立川講演」の無料ご招待に応募して当選した話をすると、とても興味を示し、体験レポートを送る約束をしていたのを思い出したのです。

そして、そのレポートを切っ掛けに、お付き合いが始まり、打ち解けていろいろな話をするうちに、以下の「事実(シンクロ)」が見えて来たのです。

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① 嫁が高校生の頃、私は藤沢の実家から会社に通っていました。そして嫁は、頻繁に藤沢の駅前で遊んでおり、私も毎日そこを通勤で使っていました。

② 世代や会社こそ違いますが、私も嫁も幼少期は、会社の社宅の団地住まいで、生育環境に共通点が多くありました。

③ 嫁の実家にあるキッチン机と飾り棚が、私の実家のものと、まったく同じでした。

④ 嫁の名前の最初の字と私の名前の最後の字をくっつけたものが、嫁の父親の名前でした。

⑤ 嫁も私も「スピリチュアリティ」に興味があり、発想が頻繁にシンクロしました。

⑥ 当時はやっていた、江原啓之さんと美輪明宏さん出演の「国分太一オーラの泉」の話題で盛り上がりました。

⑦ 江原啓之さんの「スピリチュアルタイム立川講演」へのご招待は、私の「人生の変革期」とシンクロしました。
※ 江原さん(個人的な面識は全くありません)の著書によると、『「スピリチュアルタイム」へのご招待は、その人の人生の変革期にあたる』と、彼の守護霊が仰ったそうです。

⑧ 江原啓之さんの「スピリチュアルタイム立川講演」の、ご招待体験レポートを切っ掛けに、そのひととますます親密になり、「オーラの泉」の話題で盛り上がり、そして最終的に結婚へと至りました。
※ 本人はご存じありませんが、江原啓之さんは、「私達の仲人」と言っても過言ではありません。
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これらは、嘘偽りのない私達の実体験であり、これだけでも十分に「神秘な偶然」で溢れていますが、実はここからが、「二人のスピリチュアル」の真骨頂だったのです。

では次回は、「日本的スピリチュアル」や「欧米的スピリチュアル」を彷彿とさせる、神話的で、文化的な「シンクロ体験」について、深堀りしたいと思います。

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