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「現実を創造する力」とは3。

嫁と出会った頃を思い返すと、私は、「遭難しかかった船」の様な状況だったと思います。

もしあそこで、あのような出会いがなければ、私はどうなっていた事か、わかったものではありません。

それこそ何処にも行きつけずに歳を重ねて、下手をすれば、死んでいたかもしれません。

そんな「奇跡の出会いの場」をくれた「御蔵島」には、江戸時代から続く、ある「掟(おきて)」があるのだそうです。

その「掟」というのが、「もし、沖合に遭難船を見付けたら、なにが何でも助けろ!」と言うものだそうです。

ここ「御蔵島」は、ちょうど黒潮のど真ん中に位置し、ここを通り過ぎたら、太平洋の中央へと流されるのだそうです。

そこにはもう、島はありません。

その流れはとっても早く、シュノーケリングをやってると、海底の岩が、飛ぶように通り過ぎます。季節や潮の当たり方によっては、水力ジェット付きの東海汽船も、着岸を断念する程です。

従って遭難船にとって、「蜘蛛の糸」の様な、「最後の生命線」と言った場所なのです。

まさに私にとっても、「最後の生命線」だったかも知れないのです。

さらに驚くべきことに、ここに誘われる切っ掛けをくれた「宗像三女神(象徴的な意味で)」は、秦氏(秦氏を助けた海神族の信仰とも言われます)が信仰する、「航海の神様」でもあるのです。

こう言った「意味共鳴」は、「人生の暗黒期」以降、頻繁に起こるようになったのです。

さて、それでは話しを「人生の暗黒期」の出来事へと戻します。

私は、「霊的存在」を肉眼で見る能力はありませんが、写真で一緒に撮られることはありました。

今でも忘れません。それは、茨城県のつくば市にある筑波山の峰の一つである「女体山」での出来事です。

いつだったのかは、ハッキリとは思い出せませんが、今から30年~40年前の事です。

「女体山」の山頂付近の店の前で、母親と別行動で、父親と山頂の祠に向った時の事です。

一緒の行った父親から、「祠の前で写真を撮ってやる」と言われたのです。
ですが少々歴史を感じる祠で、あまり気が進まず尻込みしていると「なぜ撮らせないんだ」と父親から強く言われて、祠と一緒に、しぶしぶ写真に写ったのです。

当時山頂には、観光客が比較的多かったのですが、それほど雰囲気が良いわけではなく、自分の心にも影があったのだと思います。

その後、これに追い打ちをかける様に、近くを通り掛かった少女から、「ここでは写真を撮ってはいけないんだよね」と誰かに話す声が聞こえて来て、嫌な予感が増したのです。

それからというもの、その言葉が耳から離れず、鈍感な父親を尻目にテンションが下がり切ってしまいました。

その後、母親と合流すべく、店の前に戻ったのですが、母親がどこにも居ないのです。

10分ほどで戻ると言い残して店の前で分かれたので、近くにいるはずなのですが、何処を探しても居ないのです。

山頂付近でもあり、他に行く場所もないため、何度も何度も近くを探し回って、店の前で見つけたときには、1時間以上が経過していました。

当人に聞くと、目の前の店の中に居たと言うのですが、その店は何度も中を探しており、トイレもなかったので、いったいどこに居たのか見当もつかないのです。
結局、何度聞いても同じ答えしか返って来ませんでした。

そんなことがあった後、家に帰ってから写真を現像に出し(当時はフィルムカメラでデジカメやスマホはありません。)、恐る恐る写真を吟味すると、私が一緒に映った祠の写真の祠のど真ん中に、頭を日本髪に結い、着物を着た女性の姿が、うっすらと映り込んでいたのです。

まさに予感的中です。

その時は恐ろしくなり、暫くほったらかしにしていたのですが、いとこ夫婦との会話で、心霊写真の話題が出た折にそれを見せたのです。

するとその女性以外にも、何人かが映っていると言われ、いとこ夫婦の勧めもあり、処分しようと決めたのです。

ですがどう処置すれば良いかもわからず、両親も無関心で、結局その写真は、寒川神社(神奈川県)のお札収めの場所に、フィルムごと置いてきたのを覚えています。

そんな事もあり、「唯物的な思考」の私の心は、俄かに揺らぎ始めたのです。

その時に一番心配だったのは、「何か悪いことが起こるのではないか」と言った様なことでした。まあ、ある意味では敵中しています。。。

当時は「心霊現象」の相談なんて、「まともな人の発言」ではありません。

相談する場所もなく、悶々とした日々を過ごしながら、「心の闇」も着実に広がっていたのです。

今思うと、あれはある種の「警告」だったのかも知れません。

それは、「心霊的な、無意識の影響力を意識せよ。」です。

私は、大学で物理学を専攻しており、電磁気力を始めとする「目に見えない相互作用」にも関心がありましたが、さすがに「心霊力」については、門外漢があります。

多くの報告があるにも関わらず、社会的には、妄想の類の、「存在しない現象」とされています。

そして、政治的、社会的な出来事の裏側に、そういった無意識の影響力(現象)を想定し始めたのも、この頃だったのです。

ちょうどその頃から私の心に人生に対する希望が失われ、「心の闇」への転落が始まった時期でした。

その後、最初の結婚と、離婚がありました。

それと同時に、「性的コンプレックス」がピークに達して、「女性への恐れ」が増大して行ったのです。

年頃の女性の前では上がってしまい、まともな対話ができないのです。

再婚を試みようと、有名な結婚相談所に登録してマッチングを受けたりしたのですが、「性的コンプレックス」が強すぎるせいか、女性との適切な関係が持てないのです。

そのはけ口は、言わずもがなでしょうか。(当然ですが、犯罪的なものではありません。)

その頃、職場でも、業績不振による子会社への移動が始まり、私は埼玉北部の工場の職場に取り残され、仕事を外部から請け負いながら、孤軍奮闘の毎日を過ごしていたのです。

そしてある時、仕事に失敗して、大きな損失を出してしまいます。

私にも責任の一端はあるのですが、当時の上司の見積りの甘さや私の進言への無策もあり、最終的には、採算度外視で作業を進める結果となったのです。

私としましては、責任を取って、最後まで仕事をやり遂げましたが、さらにその上の上司から目を付けられて、今で言う、パワハラを受ける様になったのです。

毎日机の前に立たされて、大きな声で罵詈雑言を浴びせられました。

そんな中、私の心は「深い闇」へと転落を始めたのです。

ですがそんな中にも、私の中にはある「信念」がありました。

その上司にしても、結局は「組織の歯車」に過ぎないと。そしてそこには「目に見えない無意識の影響力」が働いていると。。。

「徒手空拳」ながらも、私はそこに、「抗う対象」を見出していたのです。

つまり、私と上司の間には、組織的な上下関係の違いはあれども、「組織の歯車」である事に、立場の違いは無いのです。それがたとえ、社長や会長だったとしてもです。

そう考え始めると、「パワハラ上司」に対しても、あまり腹が立たないのです。

ですが着実にそのストレスは、「心の奥底(魂の位置)」へと届き始めたのです。

その頃は会社の独身寮に住んでいて、周囲には大きな空き地意外に何もなく、会社の行き帰りも一人、茫漠とした道のりを徒歩で通勤する毎日でした。

週末や休みの日は、実家のある神奈川県南部まで、片道120kmの道のりを自家用車で往復するか、近くの山々や神社を、車で散策する日々の繰り返しでした。

実家の父親も、事なかれ主義の組織人、一度相談を持ち掛けたときには、人の話しを良く聞かず、上司のかたを持つ有様でした。そんな中、孤独な心を支えてくれたのが、前回ここで紹介した、歌姫たちの歌だったのです。

それなら辞めればよいのにと思うかも知れませんが、それは、敵前逃亡にも思えて納得が行かなかったことや、現在の様に転職が一般的ではなく、経済的にも個人に不利益な状況を、押し付けられる状態だったのです。

おそらく上司も知っていて、精神的に追い込んで、自己都合退職に持ち込むつもりだったと思います。

そんな中、数々の心霊的な体験が始まったのです。
ここでも何度も紹介していますので内容は繰り返しませんが、それが以下のブログです。
『最初のインパクト』
https://note.com/mr_mu/n/n3e3f5f824ae6

体験的な出来事の詳細は、上記にゆずるとして、これがどの様に、「現実を創造する力」に繋がるかと言いますと、ここで「人生の反転」が起こっているのです。

「心の奥底(魂の位置)」にある、次元の壁を超えて(打ち破って)、「人生の反転」が起こったのです。これが「地母神の明晰夢」や「素戔嗚の尊の明晰夢」に、端的に現れているのです。

「素戔嗚の尊の明晰夢」に興味のある方は、以下をご参照ください。
『「その者」とはいったい誰なのか。』
https://note.com/mr_mu/n/n90b8ced4c8e9

イヤー余談ですが、鬼滅の刃の遊郭編の「遊郭の描写」を見ていると、まさに「地母神の明晰夢」に出てきた、中庭のある木造家屋に、そっくりなのです。

つまり、人間一人一人の「心の奥底」には、「人間の集合的意識」や「根源的な大地(地球意識)」と繋がる通路が、隠されているのです。

そしてさらに「人間の心」には、物理学で言う、「エントロピー増大の法則」に抗う、「意識の方向性」が、秘められているのです。

そして「これ」が活動を開始すると、自身の「心の奥底」に眠っていた、多くの無意識の願望が、現実として、創造を開始し始めるのです。

体験した多くの「奇跡の出来事」が、常にどこか、「自分の個人的な願望」や、或いは「普遍的な象徴性」にリンクしているのも、これで説明できるのです。

そしておそらく、この思考や感覚が、「関係の意識」と「場の意識」の言葉の着想にも、無意識で繋がっていたと、今では思います。

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