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「場の転換」の始まりか?

実は、この4月の初日から、新たな転換の体験が始まりました。

職場が琵琶湖の周辺の「秦氏のゆかりの地」から東京の品川周辺にある「牛頭天王ゆかりの地」への大転換です。

「牛頭天王」は、「須佐之男命」のことでもあり、「秦氏が信仰した神様」でもあります。(別名、バール神とも)

あまりの職場の周辺環境の違いに、目が回る様です。

ここ暫くは、その準備にブログの更新が出来ませんでした。

まことに申し訳ありません。

まさにステージが変わった事を意識せざるおえない展開です。

この地への転職も、私がこだわった訳ではなく、偶然の巡り合わせで、求めている職場と、求められている技能が、この地でマッチした結果です。

これらの展開に、何らかの意図が隠されて居るかは、現状では上位次元の「場の意識」のワタシのみぞ知ると言ったところです。

何らかの「意味エネルギー」とのシンクロが、起こって居ると予想しています。

その初動として、インド出身の方々が身近に増えたことが挙げられます。

私はかねてより、自分の眉間のすぐ下に出来た、「赤い血豆」に疑問を持って来ました。

それは、私の「人生の暗黒期」の真っ只中に、一週間程かけて突然湧いて出た、赤い点の様な「印」に付いての疑問です。

そしてインドの宗教的な風習に、似た様な「印」を見た時、その疑問が頂点に達したのです。

それは「ティラカ」と呼ばれる神秘的な「印」で、ネットで検索しても「宗教的な風習」としか書かれていないのです。

もしインド人と話す機会があれば、一度質問してみたいと、かねてから思っていました。

ですが、インドに知人がいるはずもなく、インド料理の店で、不躾に聞くのも変な話で、いつしか多くの月日が流れていたのです。

それがここに至って、俄かに現実味を帯び始めたのです。

私は以前にも、導きを事前に自覚した経験があります。

これとは全く違うシチュエーションですが、私は以前、「全身麻酔の体験」をしてみたいと思った事がありました。

それは「意識」と呼ばれる現象にとても興味があり、「関係の意識」と「場の意識」が、完全に分離する体験を、生きたまましてみたいと思ったのです。

その時も図らずも、それを体験する機会を得たのです。

私は丹後半島の海で、シュノーケリングを楽しんでいる最中に、肺が不自然に圧迫されて、不整脈を発症したのです。

苦しいと言った自覚症状は殆どなく、ただただ心臓がランダムに鼓動を始め、会社の健康診断でそれと判明したのです。

そして、電気ショックやアブレーション手術を受ける羽目となり、全身麻酔をする事になったのです。

もう「人生の暗黒期」以来、死に対する恐怖は、家族に対する責任以外、すでに希薄です。
よって、「病気や死に対する恐れ」よりも、「好奇心」の方が完全に優っていました。

そんな状況で、手術中に、「関係の意識(脳を中心とする意識)」だけが、痛いと叫ぶ中、「場の意識」から切り離された不連続な状態を体験したのです。

看護師によると、「痛いと叫んでいたらしい」と言うのが、正直な感想でした。

それは、「自己」と呼ばれる「意識の本質」から、肉体が切り離された状態での、肉体の自分として感じた体験です。

そんなこんなの「スピリチュアルな学びに導かれる体験」を、意図している中での新たな展開なのです。

さあ、この疑問は解けるのか、解けないのか。

新たな次元の現実の、スピリチュアルな体験に、ワカワクが止まらない今日この頃です。

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