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「覚醒」における体験的考察2(どの様に、覚醒に気付いたのか)

私の人生の暗黒期の初期に起こった「見性体験」-もうあえてこう書いてしまいます-、にあった、「金星(宵の明星)」と「物我一如の体験」について書きましたが、おそらく殆どの人が眉唾ものと思われている事でしょう。

体験した本人でさえ、最近になってやっとあの出来事の意味に気付けたばかりですから、無理もないことだと思います。

あの時期以前から比べても、私の現在の「幸せな状況」は、異次元なものがあります。

特筆すべきは、この「見性体験」が、「暁の明星(明けの明星)」ではなく、「宵の明星」だったところです。

「仏陀」や「空海さん」を始めとする、過去の多くの覚者の体験が、「暁の明星」に対する「見性体験」だったのに対して、私の場合は、「宵の明星」と「死刑宣告」、という道を辿ったのです。

それは私が、「清廉潔白な求道者」ではなかったことに由来すると考えています。

その後に起こった出来事は、身の毛もよだつ「深い深い心の闇」の体験だったのですから。

ですが不思議なことに、今でも私は、生きながらえて居るのです。それもとても「奇跡的な体験」を伴ったうえにです。

それでは「京都の空間(場)」が織りなす「コンステレーション(星座模様)」の体験を、具体的に書いて行きたいと思います。


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① 「近江の国佐々木の庄の佐々木定綱」とのご縁
私のご先祖に鎌倉時代の「佐々木定綱」が居ることは、私の祖父から聞かされたことです。私は、佐々木姓ではありませんし、父親も親戚一同も、だから何だ、と言わんばかりに、あまり信用して居ませんでした。ですが、京都嵐山天龍寺の開山である、「夢窓疎石」に興味を持って調べるうちに、「夢窓疎石」が「佐々木定綱」の曾孫であることを知ったのです。
さらに「龍門会の講師」でもある現天龍寺派の管長が、「佐々木容堂」老師であり、「佐々木定綱」と同じ、佐々木性でもあるのです。
まあ、天龍寺は世襲ではないでしょうし、秦氏との関連も知りませんが、私との「ご縁」を感じさせる不思議な偶然ではあります。
血の繋がりについて調べる術はありません。
ですが、これが私と「夢窓疎石」、さらには、現在座禅体験に通っている、嵐山天龍寺の「佐々木容堂」老師を繋ぐ、「コンステレーション」の一つとなったのです。


② 「嵐山天龍寺の開山である夢窓疎石」とのご縁
私は京都に住んでからコロナ騒ぎで休会になるまでは、嵐山天龍寺の「座禅の会」に通っていました。この出会いも単なる偶然なのですが、先の話もあり、とても興味深く思ったのです。そして、さらに興味をひかれたのは、「夢窓疎石」の「夢窓」の字の由来です。
これは、同「龍門会の講義」の中で聞かされたのですが、「夢窓疎石」ご本人の「明晰夢」の体験から来ているのだそうです。
「夢窓疎石」は、もともと「真言宗」の僧侶だったのですが、ある「夢」が切っ掛けで、実践を重んじる「禅宗」へと改宗されたのだそうです。さらに「佐々木容堂」老子は、「夢窓疎石」の「夢窓」の字が、禅僧らしくない命名だと指摘します。おそらく「夢窓」の意味は、何らかの「内と外」をつなぐ「窓の意味」が込められていると、言っておられました。
そして私の「真言の心柱」の「明晰夢」の体験。。。
ここで、私の「夢窓疎石」への関心は、うなぎ上りとなりました。


③ 「嵐山天龍寺の『座禅の会』の体験」とのご縁
私は京都に住むまでは、「禅」というものをあまり知らず、縁遠いものと考えていました。ですが、多くの「座禅体験」と「龍門会の講義」、さらには自身の「見性体験」により、「禅定」の何たるかが、多少ではありますが、分かるようになったのです。
さらに「座禅」には、いわゆる「座る座禅」と、「座らない座禅」があり、普段の衆生の生活の中にこそ、「真の座禅(自他不二)」があるのだと、理解されたのでした。
この様な機会を与えて下さった、「佐々木容堂」老師を始めとする、嵐山天龍寺の多くの修行僧の方々に感謝申し上げます。


④ 「嵐山天龍寺の『龍門会』の講義」とのご縁
この「龍門会の講義」には、あるテキストが使われています。それを、「夢中問答集」と言います。これは、天龍寺の開山である「夢窓疎石」と、時の将軍家(室町幕府)の執権であった「足利直義」との間に交わされた、仏教問答集です。
この講義はとても内容が深く、現代人の心の悩みとも、通じるところがあります。
私にとって、この講義から得られたものはとても大きく、まさに「覚醒(意識進化)」に纏わる知識のほとんどを、この講義から学びました。
また、意識としての「座禅(自他不二)」と、肉体としての「動く禅(自他不二)」が、おなじものの「裏(場)」と「表(関係)」の関係、つまりはこれが、中国禅の6祖を競った、「慧能禅師(南宗禅)」と「神秀禅師(北宗禅)」の伝説の中にあることも、時を同じくして体験の機会を頂いた、「合気の技(自他不二の技)」の妙技を通して学び取らせて頂きました。


⑤ 「京都合心館道場での自他不二の妙技」とのご縁
兼ねてから、子供に合気道を習わせたいと思っていた関係で、京都御苑近く(御所南)の「合心館道場」に行くことにしました。実はそこには、「谷本敏夫」館長という、一流の合気道家がいました。私は光栄にも、その一流の演舞の技(自他不二の技)を、目の前で見る機会を与えられたのです。
それはまさに想像を絶するもので、小柄で柔和な老人に、若い大男がいともたやすく投げ飛ばされる姿を目撃したのです。それも殆ど手を触れることもなくそれが起こるのです。
それを例えるならスターウォーズのフォースそのもの、否、人間という存在に潜在する、「神秘な可能性」そのものだったのです。
この目で見るまでは、わざと投げ飛ばされているか、トリックがあるのではないかと目を皿のようにして見ていたのですが、指一本で大男が身動きできなくなる様子や、空中高く投げ飛ばされる姿を見ると、何らかの「気の作用」が働いていると考える訳です。これを実現する技術を合気道では、「丹田を落とす」と言うのだそうですが、「自己と他者」を「統合する意図」を味方につけて、「大地と一体化」する妙技の様にも思えるのです。
ご本人は笑顔を見せながら、「これをこうすると相手の手が味方になってくれるんや」と仰っておられました。
「禅の講義」と時を同じくして、この様な「神秘の技」を体験させて頂いた「ご縁」に、感謝の思いと同時に、何らかの「意図」の存在を感じたのでした。


⑥ 「弘法大師空海さん」とのご縁
このご縁を明確に意識し始めたのは、京都に来て最初に見た「真言の心柱」の明晰夢です。そこを入り口に「真言密教」に興味を持ち、日本における「真言密教の開祖」である、「空海さん」をネットで調べるうちに、以下の「エンサイクロメディア空海」のページに辿り着いたのです。
http://www.mikkyo21f.gr.jp/
そして、その中の「空海の目利き人」の欄の「井筒俊彦」先生の名前に目が留まります。
さらに同時期、仕事で通り掛かる京都駅の書店で偶然目に止まったのが「井筒俊彦」先生を紹介した「言語の根源と哲学の発生」です。
偶然ですが、まさにタイムリーなのです。
これを手に取ったことで、「真言の意味」に対する興味に拍車が掛かったのです。そして、「井筒俊彦」先生は、空海さんの言語観に造詣が深い事を知ります。
そして書籍の中で、「真言」と呼ばれるコトバの意味を、明確に解説して下さいました。それは、私が「場の意識」と「関係の意識」のコトバに抱く「神秘な感覚」とも共通しており、「場」と「関係」の対概念への信頼を、一挙に強化する契機ともなったのです。
この他にも「平安京と空海さんの関係」、「秦氏と空海さんの関係」、「前文明(唐)と空海さんの関係」、「覚醒(意識進化)と空海さん関係」が明らかとなり、「京都の場」を通じて深く「コンステレーション」されて行ったのです。


⑦ 「桂、松尾、太秦、嵯峨、嵐山」一帯とのご縁
ここは、私が現在居住している地域そのものです。なぜこの様な場所に住むことになったのかは、いろいろな紆余曲折が絡んでいますが、一つだけ言えることは、この場所と私の「場の意識」が共鳴し合っているところです。
ここに至る経緯に、私の「関係の意識(顕在意識)」は、一切係っていないのです。
それは時間をさかのぼって、私がまだ若輩だったころ、この付近を車で移動中に感じた、「ここに住む」と言った予感めいた思い出として、鮮やかに蘇ったのです。
ですが当時の私は、何の根拠もない妄想だとして、一考だにさえしなかったのですが。。。


⑧「秦氏の聖地である」ココとのご縁
先の話にもつながりますが、ココとは、「桂、松尾、太秦、嵯峨、嵐山」一帯の事です。この一帯は、昔から多くの古墳群があり、「秦氏」の一大入植地だった場所です。
その痕跡は今では殆ど失われていますが、その遺構は観光名所となって、今でも見ることが出来ます。
さて、私が「佐々木定綱」の子孫かも知れないことは、前にも触れました。ですが決して確証がある訳でも何でもありません。
ただこれに「縁」が絡んでいるとするなら、無視できない「要素の一つ」ではあります。「佐々木定綱」の地盤である「佐々木の荘」は、「太秦」一帯とも並ぶ、「近江秦氏」の一大入植地です。
私が現在務める会社は、まさにココの一つである「大津、膳所」の近隣にあるのです。


⑨ 「産土の神である宗像三女神」のご縁
「宗像三女神」は、「秦氏」が信仰する神様のひとつです。「スサノウの尊」と「天照大神」の誓約の神話では、スサノウの尊の娘(天照大神の娘との説もある)とされています。
そして私の「産土の神様」は、「宗像三女神(北九州産まれ)」です。
さて、「宗像三女神」は、弁財天と習合しています。私の職場の近くには琵琶湖があり、弁財天の象徴とされます。さらに、その中にある「竹生島」には、「宗像三女神」の一柱である「市杵島姫命」を祭ります。さらに、私の実家のある神奈川県の「藤沢市」には「江の島神社」があり、「市杵島姫命」を祭ります。
そして最近「ご縁」が深まった、「京都御苑(中に京都御所がある)」の全ての神社は、「市杵島姫命」を祭った神社だと知ったのです。
この他にもまだまだありますが、このくらいにしておきます。
そして最後に、神奈川県の「秦野の地」から始まった奇跡的な「御蔵島での嫁との出会い」にも、「三人の女性」の誘いとして、関与しているのです。
そう「宗像三女神」は、生死をかけた玄海灘の航海の、「導きの神様」なのです。

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もうここまで来ると、「関係の意識」の理性による反抗を、諦めざるをえませんでした。これは決して信仰による賜物ではなく、「場の意識」の目覚めから始まっています。

そしてこの様な現象(ご縁)は、私の身に起こった「覚醒(見性体験)」以来、頻発しているのです。

ここに書きだした全てのコンステレーションは、「京都の場(アカシック)」や「琵琶湖の場(アカシック)」が、私の「場の意識」と「意味共鳴」した結果、得られたものだと考えられます。

これらは、「秦氏の文化的な営み」とも連関しながら、多くの人々の「覚醒(意識進化)」を生み出そうとして見えます。

少なくとも私には、そう見えています。

そう「秦氏」とは、「聖書」に登場するヘブライルーツの「失われた十氏族」の末裔とも言われます。


「曹源一滴水」という言葉は、嵐山天龍寺の「龍門会」で学んだ大切なコトバです。

こんなことを書くと叱られそうですが、私には人類全ての「意識進化」が、この「曹源一滴水」から、紐解かれようとしていると思えて仕方がないのです。

ここに書いた内容はすべて、私の実際の体験に対して、「場の意識」の観点から、解釈を加えたものです。


信じられないという方は、全ての人間が持つ、その未知なる可能性に付いて、感じてみて下さい。

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