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ピカソのキュビスムから特別支援学級教員が学んだこと

こんにちは。特別支援学級教員13年目のMr.チキンです。最近なかなか記事を更新できていませんでした。継続は力なり。ペースが遅くなっても、少しずつ書いていきたいと思います。書きたいこと、書かなくてはいけないことは山ほどあります。
さて、今日はピカソの”キュビスム”という技法から学んだことについてお話をしたいともいます。

特別支援学級教員が生意気にもキュビスムについて語る

大学の頃、美術の教員免許を取得しました。

上記記事に書いた通り、美術の免許も含めて、8個の教員免許を取得しています。
美術の教員免許を取る過程で、美術史を学びました。
私は美術に関して疎い人間だったため、恥ずかしながら、大学で学ばなかったら知らなかったことばかりでした。でも、そこで学んだことは今の特別支援教育に従事するための血潮になっている気がしています。
今日はその中の一つ、キュビスムについて語ります。

キュビスムの作品を見てみましょう

ピカソの代表的な作品である”泣く女”です。
見て、直感的に思うことは、どのようなものでしょう
私は、いまだに直感的にこの絵を評価できません。
実物を見たら圧倒されるものがあるかもしれませんが、画像で見る限りは、正直に言って、”わけがわからないなぁ”と思います。
私のようなセンスのあまり無い人間は、知識があって初めて、この絵を知ることができるのです。

キュビスム前のピカソ

ピカソについて、語る必要は無いでしょう。
20世紀の美術を動かした重要な芸術家の一人です。

この「科学と慈愛」は15歳の頃のピカソの作品です。
ピカソは、幼少期から緻密なデッサンに裏付けされた、写実性の高い作品を描いてきました。
しかし、ピカソの生きた時代は、写真の台頭と同時期でした。
写実的な描写の絵画は、写実性に関していえば科学的にその瞬間を収めてしまうカメラには及びません
”何を描くか”という絵画の内容性が、写真と言う外圧によって極端な緊張性をもって高められた時代でもありました。

  • 青の時代

  • ばら色の時代

など、ピカソの作品はその作品が示す精神世界に価値が置かれていることが分かります。

上の作品は、”アヴィニョンの娘たち”という作品です。
西洋の伝統的な遠近法構図を破壊し、そのもの自体の発するエネルギーを描くものになっているのが分かるのではないでしょうか。

西洋の伝統的な線遠近法

西洋の伝統的な遠近法というのは、視点の固定によって成り立ちます
実際に、線遠近法で描いていた画家は、視点を固定する器具を使用して描く人もいたほどです。

A.DURER: Underweysung der Messung. 1538

画家は、目の位置を固定し、間にある板に引いた線と対象物の関連から、遠近感を計っていました。視点をずらすと、線遠近法は崩壊すると考えている画家が多かったのです。
そして、視点の固定というものは、写真の要素そのものです。

被写体とフィルムの間にはレンズがあり、そこに映し出されたものが写真です。ピカソをはじめとした当時の画家は、そこから脱したかったと言われています。

キュビスムの台頭

ジョルジュ・ブラックという画家がいます。ピカソより1歳年下でした。この二人は影響を与え合いながら、キュビスムという表現技法を生み出していきます。セザンヌ的キュビスムから始まった彼らの運動は、次第に分析的キュビスム、総合的キュビスムという技法に洗練されていきます。
伝統的な線遠近法が視点を固定するのに対して、キュビスムは対象をあらゆる角度から分析します。それが冒頭で紹介した”泣く女”に表れています。改めてもう一度、”泣く女”を見てみましょう。

輪郭から始まり、鼻、口、指、目など、細部に至るまでばらばらな方向から見られた女性であることが分かります。
では、色彩はどうでしょうか。表情の大部分を構成する黄色や緑がかった色、そして中心部の色褪せた部分に至るまで、現実世界の色とは異なる色が用いられています。これらは現実的な光ではなく、絵画が要求する光となっています。写真では表せない、深い精神世界を表そうとしたのかもしれません。
キュビスムという一つの芸術運動は、対象物を多角的に見ることで、平面と言う紙・キャンバスの制限を超えて、作品を三次元的もしくは時間を加えた多次元的なものに昇華したと言えるでしょう。

我々は子どもをどう捉えているだろうか

と、大学の頃の美術史の先生の受け売りを、まるで自分の調べたことかのように語りました。
ピカソの作品は、私たちに様々な問題意識を与えます。
例えば、学校教育に対しては

今、子どもをどのように捉えているだろうか。

という問いを与えます。
かつて、伝統的な線遠近法にこだわった画家たちが、自らの頭部を固定したようなことを、我々教員はしていないだろうか

  • この子の学年は〇年生だから、ここまでは求められる

  • 男の子(女の子)はこうあるべきだ

  • 学校としての伝統は・・・

  • スタンダードに当てはめると・・・

  • 学びの系統性はこうあるべきだ

などなど。私たちの頭を固定する道具は、いたるところにあるということに気付かされます。
子ども達を多角的に見て、自由な発想で教育を再構築していく。
ピカソやジョルジュ・ブラックの起こしたキュビスムの挑戦が、今、教育にも求められているのかもしれません。
では、またね~!!


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