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変わりゆくふるさと、京都。変わらない友人たち。

私は生まれてから27歳まで京都に住んでいた。
高校・大学の多感な時期は恋に学業に毎日大忙し。私の青春時代を京都という町が包み込んでくれていた。
京都に住んでいたころは、「いつでも行けるし」と神社仏閣を訪れる機会は少なかった。しかし京都を離れて初めて、街並みや寺の美しさを再認識するようになり、実家に帰る度に寺を巡った。あまり有名でないお寺でも掃除が行き届き、きれいな庭園や境内を見られることに京都の底力を感じ、私はこの町で生まれ育ったんだと誇らしく思っていた。

昨年初めて訪れた善峯寺@西京区大原野
境内から京都市内を一望できる。静かで落ち着ける良い寺。

しかし最近京都に帰っても、さみしさを胸に自宅へ戻ることが増えてきた。私の知る京都が、少しずつ姿を消しているからだ。
街が生きている以上仕方のないことなんだろうけれど、なじみの店が少しずつ消えていき、その跡をチェーン店や新しい店が埋めていく。街並みがどんどん変わっていく。
また最近のオーバーツーリズムで地元の人間が市中から締め出され、大好きな寺々が観光客で占拠されている。寺を訪れても次々に訪れる観光客で静かな時間を過ごすことができず、最近は寺から足が遠のきつつある。

私が京都に帰ると、必ず立ち寄る場所がある。
それは京都盆地の真ん中を流れる鴨川だ。特に高野川と賀茂川が合流する出町柳から、賀茂川を北へ歩くルートがお気に入り。学生時代を過ごしたエリアであり、川べりから北山や比叡山を望む景色は当時から変わらない。
私は以前から悩み事があると、鴨川べりを歩いたり座ったりしてぼんやりと川のせせらぎを眺め、音を聞いていた。
いつ訪れても変わらぬ姿で流れる鴨川に、私の心が落ち着きを取り戻す。

葵橋より賀茂川を望む。本日は曇天なり。
父の葬儀の後も鴨川に行った。初冬の1枚。

この週末、大学時代の友人に会うために京都を訪れた。
街は人であふれているし、話が尽きずいつも閉店で店を追い出される私たち。今回はゆっくり話したいとホテルの部屋に集まった。
気の置けない友人たちとは今でも定期的に集まり、若かりしあの頃のようにコロコロ笑いあう。今回も気が付けば8時間、外来診療だったら疲労困憊する長さだが、不思議と元気になっている。

京都の町並みは変わっても、友人たちは変わらず私を受け入れてくれる。
彼女たちがそれぞれの人生を頑張る姿に、元気をもらえる。
彼女たちの存在に心から感謝したい。いつもありがとう。

ホテルのお部屋、宴のあと。


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