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リップマン著「世論」④防御手段としてのステレオタイプ

なぜ私たちはステレオタイプに固執してしまうのでしょうか??


ステレオタイプは、私たちにとって欠かせないものでもあるのです。
ステレオタイプの体系はわれわれの個人的習慣の核ともなり、社会におけるわれわれの地位を保全する防御ともなっているからです。

ステレオタイプの体系は、秩序正しい、ともかく矛盾のない世界像であり、われわれの習慣、趣味、能力、慰め、希望はそれに適応してきました。
そうした世界では人も物も納得のいく場所を占め、期待通りのことをします。
この世界にいれば心安んじ違和感がなく履き慣れた靴のようにぴったりくるのです。

ステレオタイプは、われわれの自尊心を保障するものであり、自分自身の価値、地位、権利についてわれわれがどう感じているかを現実の世界に投射したものです。
したがってステレオタイプには、ステレオタイプに付属するさまざまの感情がいっぱいにこめられています。
それはわれわれの伝統を守る砦であり、われわれはそのかげにあってこそ、自分の占めている地位にあって安泰であるという感じを持ちつづけることができるのです。

われわれの現に見ているものがわれわれの予期していたものとうまく一致すれば、そのステレオタイプは将来にわたっていっそう強化されます。


では、矛盾するときはどうでしょうか?
当人がもはや柔軟性をなくしていたり、あるいは何か強烈な利害関係があるために自分のもっているステレオタイプを再編成することがきわめて不都合な場合は、その矛盾を例外として無視するでしょう。
でも当人がなお好奇心の強い開かれた人ならば、その新しい経験はすでに頭の中にあるイメージの中に取り込まれ、それを修正するでしょう。
さらにこれまでの自分の人生観や道徳観を変更してしまうかもしれません。


ステレオタイプの盲点とその効用

われわれのステレオタイプ化された世界は必ずしもわれわれがそうあってほしいと思う世界ではありません。
われわれがこうであろうと思っているだけの世界でしかないのです。
もしそこで起きた出来事がその世界と符合しているのなら、親近感がもてるし、そうした事件の動きとともに自分たちも動いているのだという感じがします。


政治経済や歴史など社会のあり方にもステレオタイプは存在します。
われわれの歴史に作用を及ぼすのは歴史家の体系的な観念ばかりでなく、人々の頭の中にあるさまざまの模倣、模写、構造、類推、歪曲などのステレオタイプも影響を及ぼします。


ある観念が世界的に歴史的に認められるためには何か具体的なものに対応していなければなりません。
たとえば「進歩」や「進化」とい観念は、産業革命による急激な社会の変化と結びついています。
「進歩」とか「完成」といった言葉で象徴されるステレオタイプは機械類の発明によってできたものです。
アメリカではめざましい機械の進歩がほかのどの国に見られるよりも深い印象を与えてきたためにそれが道徳規範のすべてを覆ってしまいました。
こうしたアメリカ型進歩論は、アメリカ人が世界を見るときの基本的なステレオタイプとなったのです。


しかし、進歩を発展と考える習慣は、外界の多くの要素をまったく無視してしまうことにもつながりました。
「進歩」という目の前のステレオタイプに気をとられてたいていのアメリア人は彼らのいわゆる「進歩」にそぐわないものをほとんど見ないできてしまいました。


これがステレオタイプの盲点です。
ふだんは視野の縁にある盲点がいつかは中央に出てくるときもくるのです。
そのようなときに警鐘をならす批評家がいなければ、あるいはその変化を理解することのできる指導者がいなければ、また寛容が身についた国民がいなければステレオタイプは人々の精力を節約するどころか、あるいは人々のエネルギーを集中させるどころか、彼らの目をふさぐことによって力を挫き、彼らのエネルギーを浪費するでしょう。


執筆者、ゆこりん

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