チャールズ・チャップリンの世界(その9!)チャップリンと五・一五事件

世界の喜劇王、チャップリンは親日家でした。
彼のトレードマークのステッキはなんと滋賀県産の根竹でできたもので、戦前の日本の輸出工芸品でした。
ロサンゼルスのリトル・トーキョーの土産物屋で見つけて小道具として使うことを思いついたのです。


チャップリンは、薄気味悪い話が好きだったので、小泉八雲の怪談が好きでした。
歌舞伎や剣劇も愛していました。

日本には4回訪れています。最初の来日は1年半にわたる長期の世界旅行の途中で立ち寄りました。
それが1932年5月14日のときです。神戸港に到着し、その日のうちに東京に移動します。

そしてその翌日、相撲見物の最中に、なんとあの有名な五・一五事件が起こるのです。
青年将校によるクーデターで、犬養毅首相が暗殺されました。

なんとこの時、青年将校たちはチャップリンの暗殺も計画していたというのです?!


海軍将校古賀清志が、チャップリン来日の際、犬養毅首相が喜劇王である彼を招いて晩餐会を開催する予定という新聞記事を読みました。
そして、「チャップリン暗殺」を企てたのです。

大スターと犬養首相との晩餐会には多くの政財界人集まるだろうから、彼らを一網打尽にするいいチャンスです。
「チャップリンは合衆国の有名人であり、資本家どものお気に入りである。彼を殺すことで、アメリカとの戦争を引き起こせると信じた。つまり一石二鳥を狙ったのだ。」
とも古賀は裁判で証言しています。


チャップリンの来日と、日本の戦前のクーデターがニアミスしたのは驚きですが、チャップリンの自伝の記述と日本側の記録には齟齬があります。


自伝によると、彼は「黒竜会」という右翼結社に皇居遙拝を要求されたり、春画を売りつける怪しい商人に押しかけられたりします。

また、チャップリン自身が官邸の暗殺現場に行ったという謎の記述もあり、まるで歴史ミステリー化しています。
このため、チャップリンと五・一五事件を題材にした小説がいくつかあります。

そのひとつの「チャップリン暗殺指令(土橋章宏著)」から興味深いやりとりをシェアしたいと思います。


チャップリンの暗殺を狙う主人公の士官学校生と、チャップリンに弟子入りを希望している友人との対話です。

友人「なんで人のために死ななきゃならん。いや、家族のためならわかるぞ。だが国のためなんて。」

主人公「欧米の列強と伍していくためだ。やらないとやられるだろう。」

友人「それってお互いそう思ってるだけじゃないのかな。敵も味方も、知らない国の奴にやられるのを恐れているだけで、よく話してみればそうでもないんじゃないか。
死んだ犬養だって撃たれる前に『話せばわかる』と言ったんだろ?
戦ってお互いに死ぬ危険があるなんて馬鹿馬鹿しすぎる。正気の沙汰じゃねえ。適当に手打ちしてやめりゃいいんだ。」

主人公「だが現に欧米は南米やアジアを植民地化してきた。賊を討ってなぜ悪い?」

友人「そのために自分や家族が死ぬのはごめんだね。国を守りたいというのも大事かもしれんが、自分や家族が死んでほしくないというのも同じくらい大事な感情なんじゃないか?」


国を守ること、支配に抵抗することが第一で他に考慮すべきことなどないと思っていた士官学校生は、友人に、国の誇りより命が大事と言われて動揺します。


先の大戦で、大東亜共栄圏や五族協和や八紘一宇などの理念をかかげ、国のために戦えと言われて多くの国民が戦死した日本では、戦後は、そのような大義はうさんくさいものとして思われてきました。
憲法で戦争を放棄し、軍事にお金や人的資源を使う代わりに、経済に力を入れ、豊かで平和な日本を築いたのです。


しかし、今ウクライナで行われている戦争を「自由と民主主義のための戦い」として肯定する人たちがいるのに驚きます。

ロシアに侵攻されたウクライナの人々が、自分の住んでいる街や家族を守るために戦っていることには共感します。

でもそれが「自由や民主主義のため」という抽象的なものになると、きな臭さが漂います。
これまでに「自由と民主主義」をかかげた戦争、ベトナム戦争やイラク戦争が結局は侵略戦争に過ぎなかったことを思うと、抽象的な理念のために戦うのは何かに利用されているだけなのではと疑ってしまいます。

今日で、五・一五事件からちょうど90年。
過去からどのような教訓を私たちは学べるのでしょうか。



執筆者、ゆこりん 、ハイサイ・オ・ジサン


参考文献 
「チャップリン 作品とその生涯」 大野裕之著  中公文庫

「チャップリン自伝」 チャールズ・チャップリン著 中野好夫訳  新潮社

「5月15日のチャップリン」 川田武著 光文社文庫

「チャップリン暗殺 5.15事件で誰よりも狙われた男」 
「チャップリン暗殺指令」 
土橋章宏著 文藝春秋     

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