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実践的英語を「自分で学ぶべき」理由

先日、東京大学でゲストスピーカーとして、簡単な講義をさせていただく機会があった。もちろんオンラインでだ。英語の授業の一環なので、僕が英語で20-30分程度の講義を行い、その後学生さんたちから質問を受け付けるというものだった。その質疑応答もすべて英語だ。

講義では、日本人が思っている以上に、日本の「情報ガラパゴス化」が進んでいるという話を簡単にしたのだが、流石は東京大学の学生さんで、皆すぐにポイントをつかんでくれ、様々な質問をいただいた。

そのときにある一人の学生さんからいただいた質問が特に印象深かった。

「僕は日本の教育制度に疑問を持っています。大学まで入れると10年間も英語教育をしていて、なぜ日本人はいまだに英語圏でのコミュニケーションに後れをとっているのか?僕自身、自分の英語力に全然自信を持てません。日本の教育制度はどう変えたらいいのか?ご意見伺えますか?」

というものだった。僕がインパクトを受けたのは、

① 日本教育システムの「勝ち組」である東大生自身が日本の教育システムに疑問を持っていること
② 東大に行ってもなおかつ英語に不安をいだいていること


の2点だった。そして重要なのは、いま日本で最も英語を話せている大学生がこのような疑問と不安を抱えているということだ。

僕の答えは2つ。

① 「国の制度が変わるのを待っていては遅すぎる。国はあてにせず自分で勉強すること」

② 「本当に必要なのは英語力よりも、国際的なコミュニケーション力。英語より先に国際的コミュニケーション力を鍛えるべき」

このうち、この稿では①について少し詳しく書く。

個人的には、効果的な英語教育ができるように国の制度が変わるまでには早くて10年くらいかかると思っている。

だが、これは国が英語力向上を軽視しているとか、間違った方向を向いているというわけでは決してない。むしろ文部科学省は早くから問題に気づいていて、制度を変えようとしている。そして多くの心ある先生や心ある父兄も今の日本の英語教育ではよくないと思っている。

皆、すでに問題には気づいているのだ。だが変えられないのは、一つの制度ではなく、いくつもの制度が組み合わさってガチガチに固まっているからだ。

例えば学校や先生が自主的に、もっと役に立つ、実践的な英語学習を導入しようとしても、必ず一部の父兄から不満が出る。「それをやっても受験には役立たない」と。実際、役には立たない。

ここでクリティカルシンキングをしてみよう。なぜ実践的英語教育ができないかというと、「受験に役立たない」からだ。

そしてその理由は、中学にせよ高校にせよ、「有名大学への進学率」が最も重要な目標だからだ。父兄は、子供を有名大学に入れたいがために、学校に通わせる。それはなぜか?

有名大学を出れば、より有望な未来が拓けると思っているからだ。100%ではないが、その確率は上がると信じている。実際、戦後数十年、その通りだった。

ではなぜ有名大学を出れば有望な未来になるのか?それは、大企業や有名企業ほど、有名大学出身者を優先して採用するからだ。このとき、自分で会社を興すとか、フリーで働くという選択肢はほとんどない。日本はほぼ卒業者全員が「会社に所属して働く」というサラリーマン社会になっている。

では、大企業はなぜ有名大学出身者を優先して採るのか?これに関しては、別のNote記事に詳しく書いているので、参照いただければと思う。ただ、至極簡単に言えば、その理由はメンバーシップ雇用制度のせいだ。一度大きな会社の正社員になってしまえば、将来は(少なくともある程度)約束される。メンバーシップ雇用はそれを可能にする制度だからだ。

つまり、日本の英語教育が一向に変わらないのは、日本の雇用制度や他の選択肢(起業など)の少なさが根本原因で、かつ最も重要な要因だと僕は思っている。

他の記事でも書いているように、文部科学省は国際バカロレアの推進を図っているし、実践的な英語が必要であることもわかっている。しかし、今の考えが正しいと仮定した場合、制度を変えるには、

① 企業の雇用制度をジョブ型に変える(この記事参照
② 大学の授業内容を変える(この記事参照
③ 大学の入試制度を変える(この記事参照

ということをすべてやって、初めて中学高校の英語教育を変えることができるのだと思っている。実際、国際教養大学は②を実践して、功績を残している。だが、国際教養大学での先生の多くは外国人で、しかも教育に特化した教員がほとんどだ。他の日本の大学教員とは質が全然違う。

他の日本の大学がそれを実践するには、あまりに現在の制度に縛られすぎているし、②を実践するだけの人材もいない。実践的英語を専門に教える先生が不足しているのではない。大学の専門分野について英語で日常的にコミュニケーションできる教員がいないのだ。彼らのほとんどが、これまでの日本の教育制度で育ってきた人々だからだ。

だから、今現在、国の英語教育の制度を変えるには連鎖的な制度の改革が必要で、文科省だけでどうこうできる問題ではないと思っている。

ではどうするか?

自分で動くしかない。今ではオンラインでタダで学べる機会はいくらでもあるし、留学するという手もある。自分で実践的な英語スキルを身に着けるべきだ。これが東大生からの質問に対する、第一の答えの理由だ。

だが受験をやりながら、実践的英語スキルを身に着けるのは大変だ。まずは大学に入学し、それから自分でやるという手もあるだろう。もちろんそれより早めに留学するという選択もある。

というのは、日本の英語教育硬直化の元凶である日本企業自体が、実践的英語スキルを求めているからだ。そしてもし僕の分析が正しければ、日本の雇用は今後ジョブ型に大きく舵を切ることは間違いない。そうすると「日本の有名大学を卒業」という肩書の価値は以前ほど重要視されなくなる。実力と実績が勝負となるだろう。そのためには、有名大学に入るために受験勉強に全振りするよりも、余力を残して、自分の頭で英語力を上げる手立てを考えることの方が重要だと思う。

長くなったので、2つ目の答え「国際的コミュニケーション力を磨く」については次の稿にしたい。

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