グローバルビジネスのための大学-学部授業編

日本、アメリカ、マレーシアの大学で教えてきた経験からすると、大学教育のレベルの充実度は、実はマレーシアが一番だった。次にアメリカ。残念ながら日本の大学教育制度は世界標準から大きく後れをとっていると言わざるを得ない。ちなみになぜマレーシアが一番かは下の記事に詳しい。

マレーシアの教育制度とガバナンス~国際的教育立国として躍進するマレーシアの教育事情~

ひとつ重要な点は、僕は日本の大学の先生の質が悪いとは思ってない。実際、教育の質を上げるために、粉骨砕身している先生はたくさん見てきたし、学生のことを真剣に考えている先生は多い。

人の問題じゃない。制度の問題なのだと思っている。日本の大学では先生に効果的教育をさせるための制度とインセンティブが欠如している。

僕が勤めている大学を例に挙げてみたい。だが内容が多すぎるのので、今回は学部教育に絞って報告したい。大学の評価には、研究や資金力、大学院教育なども重要要因だが、評判に直結する最も大きなものは学部教育の充実度だからだ。

僕の勤めるモナッシュ大学は、オーストラリアのメルボルンに本拠を置くマンモス大学だ。世界中に13のキャンパス(オーストラリアに9つ、マレーシア、イタリア、インド、中国に1つずつ。そして近々、インドネシアにも開設する)を持つ、国際的大学である。

最新のQS世界大学ランキング(21年版)では世界第55位。日本ではトップ3が、東大22位、京大38位、東工大56位なので、世界的にみれば、東工大くらいのレベルの大学と認識されている(もちろん、分野によって差はあるが)。オーストラリア内では6位に位置している。

教育に関して言えば、国際的マルチキャンパス教育が、モナッシュ大学の特長の一つだ。つまり、オーストラリアで学ぼうが、マレーシアで学ぼうが、教育のクオリティは同じ、というのがウリである。コース内容も難易度も評価基準もキャンパス間でほぼ同じに設定されているため、卒業時の実力はどのキャンパスで学んでも同じである、というポリシーを持っている。

したがって、マレーシアにありながら、大学のカリキュラムは完全にオーストラリア方式(イギリスやアメリカに近い方式)である。そしてマレーシアキャンパスで学んでも、卒業証明には「モナッシュ大学」卒業と書かれ、書類上はオーストラリアの大学を卒業したことになる。

大学カリキュラムは米国やイギリスと同様に厳しい。学生は1履修科目につき、講義(週1回90分程度)+チュートリアルセッション(週1回90分程度)に出席し、1学期に4-7科目をとるのが普通だ。分厚いシラバスが提供され、学習目的とそれを達成するための課題や勉強内容が細かく説明される。

小さな課題は毎週あり、ビジネススクールの場合、それに加えて大抵はプレゼンテーション、レポート、試験が2、3週間おきに課されるため、学生は勉強漬けとなる。

レポートはかならず、コピペ判定ソフトにかけてオリジナル度が高いことを確認してから出さなくてはならないし、試験やレポート採点も昨年からほぼ全部がオンライン化したので、「先生の恩情」など挟む余地もない。「就職が内定しているので単位をください」などという陳情は論外である。

これだけ厳しければ、当然学生は真剣にやるし、大学側が点数をフェアにつけているかをいつもチェックしている。そのため教員は、採点基準をあらかじめ細かくシラバスに書かねばならない。例えば、問題設定のクリアさ1-0%、英語の正確さ-10%、論旨の論理性-30%、批判的思考力-40%、引用文献フォーマットの正確さー10%、というように分類し、さらに各項目について採点基準のポイントを挙げる。

学生が自分の成績に不満があるときには、教員はこれらの基準を学生がどの程度満たしていると判断したか、その根拠は何かを示さなくてはならない。つまり、講義や課題の準備をするのに、教員側も膨大な量の仕事をこなさなくてはならない。

この意味で、授業はある種学生との真剣勝負だ。基準をあらかじめ示されているのだから学生は一生懸命勉強してそれをクリアしなくてはらないし、先生は恩情や忖度なく、基準に則ってフェアに学生を評価しなくてはならない。

特にコロナパンデミックが始まってからは、それが激化した。オンラインでの授業には多くの困難が伴う。いかにして学生のモティベーションを維持できるか、効果的なプレゼンのテクニックは何か、学生をうまくグループワークされるにはどうすればいいか、そういった問題が矢継ぎ早にでてきた。

モナッシュでは世界中のキャンパスで共有できるプラットフォームを持ち、そこで先生たちの様々なアイディアや体験談を共有できるようになっている。新任教員にはシラバスの書き方、学習目標の設定方法、アクティブラーニング、エクスペリエンシャルラーニングの重要性と導入方法などのトレーニングが課される。

さらに授業クオリティを上げるために、学部教員のオンライン会議を毎週開き、授業で起こった問題とその解決法、学生からの要望や質問などを共有して議論する。オンライン化に素早く対応するべく、Webinarやオンライン授業のためのトレーニングセッションもたくさん行われた。

授業を持つ教員はそういった会議に常に参加し、新しい技術の活用の仕方や、オンラインでの授業内容の変更などを行う。もちろん僕もやった。ものすごい仕事量だった。

当然ながら、こういったカリキュラムで鍛えられた学生は実力がつく。批判的思考(クリティカルシンキング)が鍛えられ、問題の所在を的確につかむことができ、それを分析する考え方(統計分析や自然言語解析を含む)を身に着け、最後にそれをまとめて皆の前でわかりやすく発表する(プレゼンかレポート)スキルが磨かれる。つまり、社会人として必要とされるスキルの多くが授業で身に着くようになっている。

すべての授業は英語なので、優秀な学生はグローバルに即戦力となれるポテンシャルを持つ。何よりも、自分の頭で考え、情報を集め、分析をし、計画を立て、他人を巻き込み、行動する力と、高いコミュニケーションが身についている。細かいビジネスマナーや知識は就職してから身に着ければよい。

日本企業はともかく、世界の企業が求めている人材を輩出できるように、プログラムが組まれているのだ。ITやAI、Fintechについての授業も開講し、トレンドの知識も提供できるようにしている。

そしてこれらを可能にしているのは、欧米型の業績評価だ。モナッシュの場合、業績評価は、研究(研究クオリティ、大学院生指導、研究費取得)、教育(大学院生指導、学部授業の評価、その他の教育的貢献)、アドミン(機関長、プログラム長、研究所長などの業務)に分けられる。それぞれの評価ウエイトは年度初めに上司と話し合って決め、年度末には達成度を報告し、大学がそれを評価する。

この評価は毎年大学人事部に保存され、昇進や昇給の際のデータとして使用される。この評価が教員にとって死活問題である。したがって、教員には教育クオリティを上げるための努力を常に行わなければならないインセンティブがあるのだ。

その中でも学部授業の評価は、はっきりしていて、自分の担当科目の学生評価項目の中の「全体として今回の授業には満足している」の平均値が3.8を超えていなければならない。それより低い値だった場合、聞き取り調査とディベロップメントプログラムが行われる。つまり、次回までにそれを改善するためには、どこをどう変えていくか、プランを出して、実行する必要がある。それでも直らない場合は、学長に報告され、大学が指導する「矯正プラン」に参加させられることになる。学部教育での評判は、父兄の大学選びに直結するからだ。

そして、モナッシュ大学に限らず、世界の著名大学の多くは、これに近い方式で、学生への教育の質を日々高めていっている。日本の大学でここまでやっているところは少ないだろう。特に「一流」と呼ばれる大学では、授業の内容と評価はほぼ教員任せのことが多いし、授業評価は行われるものの、昇進や給料評価の際にこれほど重要になることは少ない。

いくら、教員にすばらしい人が多くとも、それが報われ、昇進につながり、評価される制度がなければ、長続きしない。サステイナブルにならない。日本はそんな状況だと思う。そしてその状況下では、グローバルに通用する人材を育てるのは難しい。一部の教員と一部の学生の自主性に頼っているのでは、世界との競争に後れを取るばかりだと思う。

では、どうすべきか。それを知るには、日本の教育、企業、そして文化について、もうちょっと深く知らなくちゃいけない。そのことはまたここで書いていくつもりだ。





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