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日本を変えるジョブ型雇用とその課題

 日本の組織では、従来のメンバーシップ型雇用からジョブ型雇用への移行がトレンドになっている。この稿ではその背景にある理由と、移行がもたらす影響について考えてみたい。たぶん、この移行は、私たちが思っているよりもはるかに大きく日本社会のしくみを変えるかも知れないからだ。

 日本の組織制度は、戦後からこれまで「メンバーシップ型」が主流だった。メンバーシップ型とは、組織のメンバーをまず選び、組織の中の仕事をメンバーに与える「人に仕事を割り振る」タイプの人事だ。

 それに対し、ジョブ型は、まずやるべき仕事が先にあり、それに適した人材を採用する「仕事に人を割り振る」タイプの人事である。

 日本のメンバーシップ型雇用は2つの大きな制度に支えられてきた。終身雇用と年功序列だ。いったん就職すると基本的には定年までその会社で過ごし、その年月が長ければ長いほど、ある程度までは出世し、給料もあがる。
そのような制度の下では、会社から「この仕事をやれ」と言われれば、気が進まなくても、自分には合っていなくても、やらなくてはならない。異動のための転勤も断れない。その代わり、辛抱していれば大抵の場合は報われるようにできていた。言うまでもなく、これらの制度は日本の高度成長期を支え、会社への忠誠という点で日本は世界から瞠目される存在となった。

 しかし、一歩引いてみると、終身雇用と年功序列がうまくいくための最も重要な前提条件が、日本にたまたま備わっていただけだということがわかる。それは「人口構成比」である。

 第2次大戦後、日本政府は「産めや増やせ」という号令のもと、人口増加を推奨した。映画『三丁目の夕日』の時代だ。戦争で減った人口を増やし、国力をあげるための政策だった。そのため、人口構成比 は、年配者が少なく若年層が多い「ピラミッド型」となった。

 このような状況下、終身雇用と年功序列は「若い働き手を安く雇い、歳をとってから高い給料を払う」ことを可能にさせる制度だった。会社からしてみると若年層人口が多いおかげで、雇用には困らない。年長者は少ないので、高給にしても痛手ではない。披雇用者側にとっても、年を経ると「仕事も楽になって、給料も上がる」ようになるので、若いうちは「理不尽にも耐えて辛抱して働く」ことが美徳となった。

 かくして、日本人は「仕事中毒」、「エコノミックアニマル」と欧米に揶揄されるほど働き、経済は右肩上がりになった。そのせいで、年長者を養うためのポストや子会社も増え、経済規模はどんどん大きくなった。

 その一方で、人口構成比は団塊の世代をピークにして、ピラミッド型から逆ピラミッド型へと変化してきた。本来ならば、「歳をとって生産性のあがらない人にも高給を上げる」という制度は1980年代後半くらいから成り立たなくなってきていたが、経済がそれまで好調だったため、ポストを増やすことで何とかしのぐことができた。

 だが、バブル崩壊後から、年功序列は徐々に崩壊し始めた。理由は単純だ。管理職のポストよりも人が多すぎるのだ。当時団塊の世代は40代半ばになるところで、会社では中間管理職からもうひとつ上に行くタイミングだ。だが、ポストは限られていて、高度成長期のように事業を拡大して新たなポストを作る体力も会社にはない。高給を払える人材は限られている。「肩たたき」という言葉もこのころ流行った。

 つまり、20世紀の終わりごろから、もうすでにメンバーシップ型の雇用には、限界が来ていた。この20年、成果主義の導入など、いろいろとやりくりをしてきたが、ここまで高齢化社会になってしまっては、すでに年功序列も終身雇用も実質的に崩壊している。若年層の人口も減り続けている。今から出生率が増えたところで人口構成比がピラミッド型に戻るには相当の年月がかかる。

  つまり、現在ではもう、メンバーシップ型雇用を維持するメリットが会社組織にはない状況になっている。

  多くの企業がジョブ型雇用の導入を目指しているのには、このような背景があると私は考えている。そして、もしジョブ型の雇用がメジャーになれば、それは日本の雇用システムだけでなく、教育システムや文化も変える可能性があると考えている。

 メンバーシップ型雇用では、ある新しいポストで新しい仕事が求められるとき、その仕事を遂行できると思われるメンバーを社内から割り当てる。もちろんそのときには、勤続年数やその他の要因も加味される。

 企業としては、そういうときに備えて、できるだけ「何をやらせてもできる、学習能力の高い人」をとっておくことが、リスク回避となる。そしてそのような人材を採用するのに最も適したシグナルは「学歴」である。いわゆる一流大学に入学できるだけの、知力や忍耐力のある人ならば、「自分を仕事に当てはめられるようにカスタマイズ」できる能力も高いはずだ。そのため「学歴」が重視される。


 その代わり、トレーニングや教育へのコストを企業が負うことになる。いくら学習能力の高い社員でもある程度のトレーニング期間は必要となるからだ。メンバーシップ型のもとでは、人は簡単には転職しないため、トレーニングにかけたコストは、時間はかかるものの回収可能だ。したがって一般的に学習能力の高い人を雇用するのか最適解となる。

 これがジョブ型雇用になると、極端に言えば「“その仕事のスペシャリスト”であれば、他の事はできなくてもかまわない」人材を探すことになる。ジョブ型雇用では、基本的にジョブディスクリプションに記している以外の仕事を割り振ることは契約違反となるため、いくら他のタイプの仕事の需要があっても、割り振ることはできない。

 ならば、ジョブディスクリプションに描かれている範囲に特化して、最大限の生産性を持つ人材を得るべき、ということになる。そして登用するのは社内の人材に限らない。むしろ社外から優秀な人を採るニーズに適している。

 すなわち、社内外を問わず「学習能力全般の高い人」よりも「ある能力に秀でている人(その能力を伸ばすだけの経験をすでにしている人)」の方が(ジョブポストがある限り)採用されやすくなる。その際に重視されるのは、その人の持つ能力(コンピテンシー)や過去のアチーブメントだ。トレーニングを経なくても、すぐに成果の出せる人材が求められる。

 ジョブ型雇用のもとでは、トレーニングのコストを長期的に回収するのはリスクが大きい。優秀な結果を残した人ほど、よりよい環境を求めて転職する可能性が高いからだ。つまり企業は「即戦力人材」を求める傾向が強くなる。

 そうなると、「高学歴」の価値はずっと低いものになるはずだ。一流大学に「入れた」ことは、仕事ができることのシグナルとしては、あまり機能しなくなる。それよりも、就職希望時点で持っている「能力」の方が、ずっと重要になるからだ。それは一般的な学習能力の高さ(インプット能力の高さ)よりも、現時点でその仕事において高いパフォーマンスを発揮できるだけの知識、技術、能力(アウトプット能力の高さ)により価値が置かれることを意味する。

 そして大学、とくに一流大学はそのネームバリューにあぐらをかくことは許されなくなるだろう。大学で何を学び、どのようなスキルと能力を身に着けたか、が最も重要になる。

 したがって、大学での教育の質がより重要視されることになる。日本ではすでに、国際教養大学がそれを実践している。近年では人気が出て倍率は跳ね上がっているが、国際教養大学の入試間口はひろく、6回もの受験チャンスがある。入試問題は、英語重視で、欧米の基準に近い。つまり入学後に、海外の英語のできる人々の中に入っても遜色ないレベルのコミュニケーションが取れるかどうかを考えた入試となっている。そして重要なのは入ってからの勉強がきついことだ。少人数制ですべて英語の授業、その上多くの留学生がいて、いやでも国際的なコミュニケーション能力を身に着けなくてはならない。

 ジョブ型雇用がメジャーになると、このような教育は当たり前になり、その上でどんな専門知識とスキルを学んだか、が問われるようになるだろう。大学教育が変わる可能性がある。

 そして、大学教育が変わるならば、入試制度も変わる(あるいは、変わらねばならない)はずだ。入試の基準が、大学での教育効果が高くなるようなポテンシャルを持った学生を合格させる方向にシフトしていくはずだ。入試時点の成績よりも、学ぶ意志の強さや、自律的学習のモティベーションがあるかも、重要になるだろう。

 そして、入試制度が変わるならば、高校教育や中学の教育も変わっていくことになる。もちろん、そのような変化には10年単位での時間が必要となるが、変化のスピードはともかく、方向性としてはこのような形に変化していくだろう。

 つまり、ジョブ型雇用へのシフトは日本の雇用制度だけでなく、教育制度までをも変える可能性がある。それが良いことがどうかはわからないが、ジョブ型雇用を推進せねば、日本の企業の生き残りが危うい時代が来ているのは事実だ。

 ただし、すでに欧米ではジョブ型雇用はメジャーなものになっており、ノウハウの蓄積も進んでいるのに対して、日本ではジョブ型雇用のノウハウの蓄積はまだ進んでいないのが現状だ。

 例えばジョブディスクリプションの書き方や種類をいかにすべきか、簡単なようで難しい。そこに書かれていること以外の仕事を要求することは契約違反となるため、必要な仕事の内容と果たすべき責任を、もれなく、かつサラリーに見合った内容で記述する必要が生じる。当然、業績評価もジョブディスクリプションに基づくため、現行のKPI(重要業績指標)とどう紐づけるかも考えなくてはならない。 

 欧米でのジョブディスクリプションは、大きく2つの記述からなっている。ジョブ・レスポンシビリティ(期待成果と責任)とジョブ・スコープ(レポートラインや管掌範囲)である。特に期待成果と責任は、業績評価に直結するため、重要な記述となる。

 メンバーシップ型雇用においては、その組織に長い間属し、そこで昇進しなくてはならないことを披雇用者は知っている。したがって、彼らは自己利益のために、業務の成果をだそうするし、責任も果たそうする。メンバーシップ型にはそういうインセンティブがすでに組み込まれているのだ。だが業務が規定され、時には雇用期間も規定されるジョブ型では、責任やモティベーションが個人の中に内在化されている人材を探さなくてはならない。

 そして、ジョブ型雇用導入の最も重要な核となるのは、登用のための評価だ。上記の記述に対する応募を見て、本当に高いパフォーマンスを示してくれる人材かどうかを、どうやって判断するか?そのためにはどんな情報が必要なのか?

 これらの課題にいかに乗り越えるかについて、私たちはいくつかのアイディアを持っている。それらについては稿を改めて述べたい。

文責:渡部 幹

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