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「憧れの人」になった自分は、恋愛対象外と知った夏の日

「打ち合わせの時間を一時間ずらせますか?」

その日、伊勢原での打ち合わせを一時間ずらしてもらった。自分の中で自分を知るのにどうしても必要な時間だと思ったからだ。

それは、17年越しに訪れた過去の自分と重ねたくなった贅沢な時間だった。

「これで最後かも知れないので、ありがとうございました。憧れの人なので会いたかったです」

私は、Instagramの個人アカウントを11月のイベントに専念するため最後の投稿にしますと投稿したのが、7月は半ばを過ぎた頃だった。

今度は実際にどこかで会いましょう。と締めくくった。

その投稿を読み、会いたいとDMをくれた人がいた。

私は、SNSで正直そこまで人に会いたいとか思わない。喋れないし、それを必要ともあまり思わないからだ。その人をどこまで信用していいかもわからない。

だけど当初の開始理由からは考えられないくらいに、Instagramで共通の趣味の方と知り合い交流し、知識を教えてもらい、とても有意義な時間の過ごし方もあると学べた。会いたいと思う人とも出会えた。

自分が会いたいと思うか、そう思われるか。

この場合圧倒的に前者を選ぶ。
自分が学びたい欲があるからだ。

「会いたいです」と言われたその人に自分を重ねたのは、その子が22歳で私が40歳だったからだ。

私が、KONISHIKIや、恩師に出会ったのがちょうどその年齢22歳くらいで、当時のKONISHIKIや恩師が40歳くらいの頃だった。

つまり、過去の自分を思い出させた。

私は、こういう大人達になりたいと憧れた。
その年齢に達した自分が、当時の自分と同じ年齢の子に憧れと口に出されて、遠慮や謙遜ではなく、初めて正直に受け取ろうと思った。

そういう人間になりたいと目指して生きてきて、実際にそう言ってくれる子が現れた事は自分を肯定出来ると思った。

自分の集大成だと思って企画に動いている今のタイミングで現れる事は、逃してはならないと思った。

私は、私の物語で生きている。

その子に私の何が刺さったのかは知らない。
もし、私が書く文章や、生きた証しに感受してくれたならそんなに嬉しい事はない。

私のInstagramのフォロワーは1100人位だ。
その中で会いたいと思い、実際に会った人は、5.6人だ。

つまり、会うまでの確率なんて約0.5%くらいだ。

1000人いようが、何人いようが、1%にも満たない。何を大事にするか。そこに、実態を持たないSNSの怖さを感じる。

私のなりたい人ランキングは、
3位教科書に載る。2位イケメン。1位憧れの人。

コニシ3位以外の夢が叶う。

22歳の眼差しは、真っ直ぐと私を見据えた。
その子が私に「会ってください」と言う一歩の大きさは良くわかる。

どんな行動でも、物の大小ではなく、その気持ちに気付いて声を挙げる難しさを知っているからだ。

その気持ちを考えた時に感謝で溢れた。

仮に、憧れを抱くような人に会うという行動をする場合、自分の全てを見られてもいいという覚悟を伴う。

それに、応えられる大人になれたのだろうか。
それを確かめる事と、なるべく自然体でいる。現在の自分である事を心掛けた。

ここで偽るような形だけは見せたくない。

それは失礼にあたる。だから取り繕う事はしないようにした。

初めましての握手は、自分が当時握手を求められて嬉しかった記憶が甦った。

今回は、気持ち悪がられたかもしれないが。

それは聞かない事にする。

話を聞こうと思いながら会っていたが、
気付けば、それ以上に自分が喋っているなと感じた。

真っ直ぐな話を聞いて真っ直ぐにしか返答してあげられない事に気付いた。

そういう場合はこうだよとか、こういう考えもあるよとは、ほとんど言わなかった。

私が想像する大人は、あらゆる対処の仕方と経験から来る的確な答えを持っているのが大人だ。

ああ、俺は全然変わっていないんだ。

真っ直ぐな話に、いいねいいねと一緒に嬉しくなる感じが溢れて来て、そこに経験から来る何かとか、ちゃんとした答えは何一つ思い浮かばなかった。

想像していた大人には、どうやらなっていなかった事に気付いたが、それは、まだまだ自分も同じ目線でいいんだと気付いた。

それに気付いた時に、今の企画に動いていることも真っ直ぐで間違っていない。経過したのは時だけで気持ちはあの頃と何も変わっていないと思えた。

その子が私に描いていた憧れの大人とは程遠かったかもしれない。だがしかし、明確に私は気付けた。

その日の話しの終わりはこう結んだ。

「継続していこう。最初から想像して何かを産み出せる人は、人生を何回か回っている人だ。我々は、そうじゃないかも知れないけれど、続ける事で何かになるかもしれない。僕も君も大器晩成だ。まだまだ同じスタートラインだ」

要するに私は、
何も変化していないことに気付いた。

もしかしたら、大人と思っているその人達も物事の大小に関わらず、日常にもがき、必死に動いて考えているから魅力的に見えるのかもしれないと思えた。

それならば、私は、まだまだイケる。なにも間違っていない。と力が湧いたある夏の日。

なんのはなしですか

最後にこれだけは確認したかった。

「ところで、旦那さんは私と会うこと平気だったのかい?」

彼女は、その日一番の笑顔で答えた。

「40歳って言ったら全然大丈夫でした」

あまりに強い西日のせいで、しばらく目を開ける事が出来なかった。

嘘じゃないはず。

連載コラム「木の子のこの子」vol.13
著コニシ 木の子(憧れの生き物)

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