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あゆみの雲海

「人なんてな、つまるところ思い出の塊だからな」

小説で使われたこの言葉を現実で使う。そうリエさんと約束したのは、俺だ。俺は常々考えていた。

神奈川県表丹沢塔ノ岳。標高1419メートルの山である。

毎度の友人から電話が鳴った。

「お前なら出来る」
「俺なら出来る」


ということで、山頂にある施設の維持管理のために、彼と登る事になる。彼というのもかったるいのでポップとする。

冒頭のセリフをポップに伝えるために、山頂で言う決心をしたのは、言うまでもない。絶好のチャンス。むしろそれしか登山のモチベーションがないのである。

あくまで、イメージだとこうだ。

①ヘトヘトで頂上。
②キレイな景色を観る。
③セリフをしゃべる。
④リエさんのためとしゃべる。
⑤お前最高じゃん‼️お前も最高だよ‼️

写真を撮る。パシャ。

現実とは、予定調和ではない。登山とは自己の心象と深く関わるもの。以下どれだけキツかったのか、登山中の私の心の有り様である。

①リエさんのために。
②リエちゃんのために。
③リエのために。
④好きだリエ。
⑤むしろ俺がリエ。

そして。リエなのか、エリなのか。

⛰️
⛰️
⛰️

ここで山小屋に到着する。どうやら明朝の仕事のために一泊するらしい。

宿泊者は、台帳に名前を記入する。私達の他、72歳の男性と少し若い女性の夫婦がいると、ポップは言った。

「コニシそのカバン貸して」

コニシとは、私だ。
そのカバンとは、道中共にした山頂で使う仕事道具が入った登山バックである。

ぽく言うとザック。

ポップが開けはじめたので、明日の準備かなと、なれた手付きで登山ザックを開く様子を見て、カッコいいなとか思っていたりした。

満を持しての登場は、無色透明の4リットル焼酎である。

フラフラガクガクの足で俺が担いでいたのは、
4リットル焼酎である。

「もっといっぱい宿泊者いると思ったからさこんなに飲めないな」

にこやかに笑うポップにいつも俺は怒れない。そう、ポップの天然も魅力の一つなのだ。

「お前のそういうところ最高だぜ」

ハイタッチの40コンビである。

⛰️
⛰️
⛰️

話しは、進む。一緒に宿泊する夫婦にお酒を進める。遠慮しながらも次第に、場が和む。初対面の壁がないというのは、山や山小屋の醍醐味なのかもしれない。

「寝る前にお酒とか飲むんだ?」

女性が72歳の男性に聞く。
ここで読書家ミステリー好きのコニシは気付く。

もしや、夫婦という形と違うのではないか。
同伴じゃないか。登山デートか。

読書家とは、常に会話の奥を読む。

ポップにアイコンタクトだ。
ポップはうなずく。もう20年の付き合いだ。
何も言わなくても伝わる。親友だ。

「仲良い夫婦ですね」

は?

怒れない。

相手は天然魔法使いだ。

曖昧な空気になる。もちろん返事はない。

食事は終わりだ。初対面の壁がそびえ立つ。

山小屋で寝付けない。俺は、静寂が嫌いだ。部屋こそ違うが、周りの空気も、人の声も聞こえる空間が苦手である。

他人の寝息も聞こえてくる空間は、緊張以外の何物でもない。早く寝ないと明日に差し支える。

だが、緊張して寝れない。現実と夢を行ったり来たりした時だった。

静寂を突き破る72歳の声がする。

「あゆみちゃ~ん」

山小屋にこだまする「あゆみちゃん」

はっきり耳に残る「あゆみちゃん」

俺は聞いた!確かに聞いた!
あの女性はあゆみか?なんだ?
あゆみじゃなきゃダメだろ!

72歳の忘れられない女性か?どうする?寝たふりか。目を瞑る。ダメだあゆみが浮かぶ。

緊張と緩和にしてやられた俺は、もはや、笑いを堪えきれない。

ポップの布団は揺れている。ポップも我慢しているのだ。

俺はそっと近寄り、彼の布団をめくり呟いた。

「人なんてな、つまるところ思い出の塊だからな」

なんのはなしですか

予定通りいかないのが現実のはなし

写真は、翌朝の雲海。正面富士山。
無論俺達は「あゆみの雲海」と読んでいる。

本日も、お付き合いありがとうございます。

苦情は、受け付けません。

俺の登山ライフが始まる。

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