安部公房を読み始めた私の秘密は、秘密であるかは秘密である。
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終りし道の標べに
安部公房
安部公房の初読みは、安部公房の処女作から。
この作品を、物語の形と捉えるにはかなり難しい。思想がそのまま熱を帯びて物語になっている気がする。
哲学に近い部分があると思う。
「人間はかく存らねばならぬのか?」
かく在る=こうあるべき に置き換えてみました。
冒頭からのテーマだと思われる。
そこに、戦争、病、阿片、土塀の閉鎖空間、人間関係などが混ぜ混ぜに思想と絡み合う。
「秘密」についての記述に
あるものの否定も容易ではないが、無いものの否定となると、これはもう不可能だ。
と、記述してある。
秘密とは、存在するから秘密なのだが、本当は存在しない秘密を、存在する。と第三者が感じることでまた新しい秘密になりえる。一度存在することになった秘密をそんな秘密なんてないと言っても誰も信じない。
といった具合になる。
ここまで考えて、私がよくわからなかったのは、秘密である。
本質からズレました。
安部公房の思想だと、
実存主義───具体的に生きている私のあり方
形而上───形がなくて、感覚ではその存在を知ることの出来ないもの。
この2つの考え方を対比させて展開していっている気がします。
ここまで考えて、私はかく在るべきを放棄したのは、秘密である。
出版から20年経ったあとがきにこう書いてある。一部抜粋。
この20年間に、私は、自分でも振り返るのが不安なほどの変貌をとげたつもりだったから、かなり気恥ずかしいおもいなしには、読み返せないだろうと考えていた。
しぜん出来上がった作品は、きわめて非小説的なものにならざるをえなかった。
しかし、あらためて読み返してみて、やはりこの作品を、私の出発点として認めざるをえないという気持ちになった。
と書いてある。
それでいて面白いんだよ。
すごく熱が伝わってくるんだよ。
思想をぶつけて小説にした、小説とも言いきれないなんともなです。
ここから始めて、安部公房の変遷をたどるのは間違っていない気がする。
若くして、自分の考え方を入れ込む物語を作る熱量は、若い時にしか書けないものかもしれない。
そうだとしたら私は、私の若い時と比較してみた時に思想や熱量を大きめのバストにしか求めていなかったのは、秘密である。
書けないどころか、私には書いてはいけない物語しかない。
私と安部公房のまさに「終りし道の標べに」の始まりである。
文学と思想は、自己の内面にかなり起因すると思われる。ということは、自己を何か知らずに書いてもいいのだ。その時何かわからないものを追いかけるのも、わからないと表現出来るのが文学であると最近思うところである。と記しておいて、
自分がこの先どう、変遷するかを知りたい気分です。
さて次何読めばいいものか。
安部公房、大江健三郎、開高健。
揺さぶられるものが多いぞこの時代の作家に。
さぁ。皆俺に付いてこい‼️とか声出して言えないのは秘密ではなく、ただの勉強不足である。
楽しいね。読書。
自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。