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第二回伊勢原素人落語大会で感じる。じゃあこれを書いている俺はいってぇ誰なんだい。
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粗忽長屋という演目がなぜか好きである。そそっかしい人間が、自分が死んでいるのに気付かず家に帰っていて、知り合いからお前は死んでるぞと一緒に自分の死体を確認しに行く噺だ。自分の死体を確認した本人は、死体を抱いて帰ろうとする。その最後サゲの部分の言葉、
「抱かれてるのは確かに俺だが、抱いてる俺はいってえ誰なんだい?」
文章にして読み解いても、現実には起こり得ない事だ。空想をおもしろおかしく話す。想像という空間で矛盾をついて笑わす。
この噺を聴くと昔からどうにか今ある現状を打破しようと、少しでも面白くしようと伝えて来た人達がいるのだろうと考えたくなる。
第二回伊勢原素人落語大会を友人と見に行った。地元伊勢原の仲間が実行委員会として参加しているので、手伝い半分、そして興味半分だ。
「落語の力で、笑いの力で地域に元気を取り戻したい」
と、企画されている。
古典落語を競う大会だ。私は落語を娯楽としてしか触れて来なかったので、落語を競う舞台というのを初めて感じた。
予選は三会場に別れ各会場から、二人づつ決勝の舞台に立つというものだった。審査するのはプロの落語家が審査する。
大会で娯楽を競う。古典という伝統は、話し続けられて古典になっている。面白くない噺は現代まで残っていないだろうと思う。そこに真剣に向かい合ってお客さんの前で披露をする。
人前で話したりすることが苦手な私は、どこか演者に憧憬を抱く。ましてや、時代を越えて来ている噺で現代人を笑わすのだからそこに必要なのは、知識や表現、語り口や、間、そして個性だったりするのだと思う。
だが、噺家の個性際立つものがその後の時代に噺として残るのかと思うとおそらく残らない。きちんとした古典落語は、噺の筋そのものが洗練されているから残るのだと思う。
予選が終わり、54名から通過6名の名前がホールの前に貼り出され決勝の舞台であるホールが開場された。
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私が座るそばで、決勝に進めなかった演者の方が話していた。
「コンテストの勝ち方がわからない。残った人達みたいに喋れない。私はおもしろおかしくしか喋れない」
率直な心にある言葉を聞き、そうなのかと感じた。
大会と普段ある落語とは、おそらく別の物なのだろう。私は「おもしろおかしくしか話せない」と語るその人に、それが出来るならいいじゃない。すごいことだと心から感じていたが、そこにはその道ならではの矛盾との戦いがあるのだと思う。
矛盾は、笑いの種になる。面白い噺を競う大会でおもしろおかしくしか話せない人が真剣に心の内を話している。その矛盾に粗忽長屋を感じたがそれを私が面白く話せるワケでもない。
決勝大会の演者と演目順、そして順位である。
狐々亭さえの助 「錦の袈裟」 準優勝
麹家マンダム 「半分垢」
猿楽亭あんみつ 「品川心中」 三位
花伝亭武留 「ガマの油」
喜楽亭笑吉 「祇園祭」 優勝
甘味家大福 「真田小僧」
決勝を聴きながら、審査員の言葉を聞きながら感じたものは、選ぶ演目はその演者が自分の噺として演じられるのかということ。自分のモノにするというのがとても重要であるということ。昔から語り継がれて来ている古典落語というものに、個性を残しつつ演じるということは、過去たくさんの落語家さんが演じてきたのに、ただの一つとして同じ噺は存在しないということを意味する。
同じ噺なのにその落語家さんのその噺を聴きたいと思わせる。
すごい世界の噺だ。この矛盾に粗忽長屋と同じ世界観だと勝手に感じてしまう。突き詰めることに意味を見出だし、尚且つ人を笑わせる。
簡単な話し。ただただカッコいい。
なんのはなしですか
いや、
なんの噺ですか
「大会を見たのは確かに俺だが、偉そうに書いてる俺はいってぇ誰なんだい?」
私の道もまた、矛盾に見出だしていきたい。
楽しかった。そしてもっと触れていきたい。
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自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。