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1968年の文学の熱さに少しの嫉妬を覚えるロストジェネレーションの憂鬱

1968文学
四方田犬彦
福間健二


土方巽が知りたくて。何か掲載されている本はないかと調べた。

この本は、1968年から72年までの約5年間の文学アンソロジーだ。

ここに書かれている紹介は、この時代の荒々しさから生まれたものを残しておくべきだと強く感じて編纂しているのだろうと思う。

『批評は絶対支持か、断固粉砕だった。難解さこそ美徳であった。知の権威が問われ、言語の秩序が大きく揺らいだとき、文学はかつてなく輝いていた』

と、見開きに書いてある。

私には、何の事だか全くわからない。

わからないまま、扉をおもいっきり開けた。

わからないものは、わからなくとも触れる事が唯一自分から選択すれば出来る事だ。

この間の4年間に起こった事として、三島由紀夫の死や連合赤軍による事件、日中国交回復などを列挙し、熱狂と興奮の時代と位置付けている。

そして、この時期は日本文学にとって、きわめて豊かな『獲れ年』の連続としている。

この時に、小説の分野では、大江健三郎の「万延元年のフットボール」安部公房は「燃えつきた地図」司馬遼太郎が「坂の上の雲」三島由紀夫は「豊饒の海」を完結させている。

つまり、こういった大作を時代のうねりと思想のうねりに影響を受けた人達が、作品を読むという行為から影響を受けて次第にみずから書くという発散で自分の存在を確かめていった時代の作品を集めたのだと思う。

素直に読んでもほとんどわからない。わからないけれどやっぱり熱く感じる。

この中で鈴木いづみの「声のない日々」が掲載されている。鈴木いづみは36歳で縊死してる。


ピンク映画女優などをしながら、小説修行を重ねた彼女は、名言などが多数残されているので興味ある方は調べてみたらいいと思う。

佐藤泰志の「市街地のジャズメン」は、高校3年の時の作品。これは大江健三郎の影響をもろに受けているのが私でもわかる。だが、到底高校生が書いたとは思えない完成度だ。

また、政治運動の興奮にジャズの即興演奏を重ね合わすことが文化流行だったとある。

なるほど。

そういう背景でジャズが聴かれていった事を知ってはじめて文学に出てくるジャズとの関係性が理解出来た。

この熱い時代を冷静に振り返り、作品にしていったのが村上龍だという。

渦の中の当事者とは違う見方が出来たから、ああいう作品だったのかと納得出来た。

肝心の土方巽だが。「犬の静脈に嫉妬することから」が掲載されている。

これは、感覚とか感性を取っ払って完全に素直に受け取らないと全然わからない。

理解される事を求めてもいないし、求められてもいない時代なのか、それを含めてもこういった形のものを仕上げる時代の熱さを知れた。

この本は、本当に10代の無名の詩や、寺山修司が選んだものがあったり、永山則夫死刑囚の作品も掲載されている。

とにもかくにも私というものは、文学に於ける思想の熱というものをこの本から感じられ、時代という熱に共振したように作品は生まれて来るということを知った。

1960年代後半から1970年代前半。

また1つ通らなければならない時代ということがわかっただけよしとして。
興味が尽きないという言い訳に終始し、勉強するのは嫌だなぁと思っている位である。

どなたか授業して欲しいと願う文学中年である。

読んでもらいたい。読書家に。

一人で理解していくにはあまりに難解だ。
だけど、触れる事を選択出来るのは幸せなことだ。

もし、この時代の熱い作家の作品を知っている方は、教えていただきたい。私の世代に持っていない熱さがはっきりと文体に残っているのでとても興味がある。

それと、この時代の話をちゃんと聞きたい。
これが自分の興味で一番大きいかもしれない。
話して聞いてみたい。

それは「世代が違うよ」ではなく、こちらから追いかけて取り入れるべきだ。

なんのはなしですか

あぁ、ないのは、時間だけ。




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