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先輩噺 仕事を楽しむヒサシの姿、目標にはならない。なんてな。

東京生活に別れを告げた26歳の私は、人を相手にするより自然を相手にしたいと、地質調査の仕事に就いた。

26から30歳に渡るその時間は、人生の迷走というよりは、瞑想に近い。私にとって一種独特な世界にいて外界から閉ざされた期間である。それは、忘れ難い時期であり、そして忘れ難い1人の人間によりもたらされた奇跡の時期だ。

そう。先輩ヒサシという名の野生児と。

地質調査と言えば聞こえはいいが、
肉体労働の最たるものだった。

仕事内容は、ダム、トンネル計画の地盤調査や、地滑り、土砂崩れなどの災害後の地盤調査である。

それぞれの調べるべきポイントの地図を事前に渡される。

そこに行けと。

簡単に。

そこに行け。

つまり、手段は選ばずである。

想像出来ますか?

何十メートル、何百メートルを人工ダイヤを付けたドリルで山の斜面に対して垂直に機械の力を借り掘っていくのが仕事である。

いいですか?

山とは、隆起した岩盤で出来ている。これを掘る。

掘るということは、機材が必要。
岩盤を掘るというのは、削り取るということだ。
岩盤より固い人工ダイヤで。

地盤調査に用いられる機械は、簡単には壊れないようにものすごく重い。

エンジンになると、100キロ近いものにもなる。

これを何もないポイントに持っていくということ。

すなわち斜面に対して物が置けるような、足場を組み立てなければならない。

足場。足場を組み立てるには、足場材を運ばなければならない。

すなわちポイントまで行けるように道をつくる。

そこは、登山道でも何でもなく、とにかくそこの場所にだ。

そこは、山だからだ。

そこに山があるからとかいう名言ではなく、

そこは、山だからだ。

道。人が歩けるくらいの道を鎌やノコギリを持って先ずは獣道風に作っていく。

作った道に、重たい機材を運べるように。モノレールを走らせるレールを敷いていく。

みかん畑にあるようなアレだ。

これがレール

すなわち、掘るまでの過程でこれだけの事をするのだが。

これを2人でやっていた。

これは、私と先輩ヒサシの物語。

これが完成形である

地獄のような筋肉痛と現場仕事を繰り返すうちに、私の体脂肪は、5%を切っていた。

26歳ムキムキマンである。

この頃、月に2度くらい山から降りて、町に繰り出すと女性が寄ってきた。控えめに言って、寄ってきた。

申し訳ない程度に付け加えると美化した。

過去とは美化される。私しか知らないから。

すんません。

先輩ヒサシと、一緒に現場に行くことが多かった私は、この野生児みたいな先輩に、可愛がられた。

ヒサシは、山に入るとまず、木登りをする。

それが重力に逆らうが如く、めちゃくちゃ速いのだ。

ヒサシは、仕事中も常にクワガタセンサーが働く。

めっちゃ捕まえるのだ。

ヒサシと現場に入ると楽しくて、働いている感覚ではなかった。

無邪気が度を越す彼は、度々自分の限界を間違える。

ある日、手押し車で現場の撤去をしている時。

ヒサシは、めっちゃ積んでいた。

「先輩。そんなに積んだら倒れますよ」

「これくらい積まないと終わらないだろ」

「そうすか。じゃ、トラック寄せときます」

全然来ない。大きな声が聞こえるのでしょうがなく見に行った。

手押し車に挟まれたヒサシがいた。

「木ノ子くん。ちょっとどけてくれ。足動かない」

バタバタしてるヒサシを見て、ツンツンした。

「マジでやめろよ」

キレている。

「だから言ったじゃないですか」

と、どけてあげた。

「歩けますか?」

ひきつった笑顔をしながら、ヒサシは走った。
もも上げしながら、語りかける。

「見ろよ。痛くないから。全然走れるから」

なんのアピールですか。

反省は?

ある日、モノレールを敷く私達の前に、倒木が現れた。どう考えても動かせるものではない。

「先輩これ、チェーンソーでブッタギリますか?それとも別ルート行きますか?」

「木ノ子、世の中に転がせられないものなどない。押せ。俺引っ張るから」

「危ないですよ」

すでに引っ張る気マンマンのヒサシは、枝を支点にしながらスタンバっている。

私は呆れながら、押す側に回った。
どう考えても押せるような大きさでは、ない。

「行くぞ」

精一杯押すフリでいいかと。手伝う。

その瞬間。

自分の力の強さの限界を知らない、ヒサシの力に太い枝が負けたのだ。

枝が引っこ抜かれた。

まるで、マンガのように。

スローで転がっていくヒサシ。

枝を離さず斜面をグルングルン落ちていくヒサシ。

ヒサシグルンヒサシ。

あまりの落ちっプリに笑いが止まらなかった。

危ない時には、人は無意識にブレーキをかけるはずだ。稀にそのブレーキを踏まない人がいたという現実。

なにより、転がせられないものはないと言いながら自ら転げ落ちるセンス。

危険のセンサーが常人とは全く違う。アホである。

落ち葉まみれで登って来たヒサシは、恥ずかしさの欠片も出さず私に呟いた。

「もう一回やろ」

なんのはなしですか

人がやることに限界はないと知った日。
ヒサシを通して一皮むけた日。

私は、毎年ヒサシ会を開催している。

ここの所会えなくて残念です。

あ、私は今はサボリーマン。ヒサシは、親方です。

この時の私には、この人が必要だったのだと思うとか、この人との出会いで今の私が在るとは、全く思わないが、生きるとは無駄の積み重ねであり、無駄にこそ私が求めてるものが在ったりする。

木ノ子。ヒサシを思い、腹が立つ

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