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ワイドショーが誘導して増幅した感情の行き先を知る者はいない

当記事は資料・証言篇『暗殺、統一教会追及、国葬──記録と証言で振り返る80日間』をもとに、9月後半と新たに10月に行ったインタビューで再構成しました。なぜあのとき、あの話題が取り上げられ、どのように人々の感情が誘導されたか。こうした感情はどこへ向かったのか。対談形式で考えます。

構成・タイトル写真
加藤文

業界関係者との会話

■瞬く間に教団追及へ

──あなたをテレビや雑誌、新聞の実情を知る人物と紹介すればよいだろうか。
「メディアの広告スペースを売り買いする、こうした取り引きを広告代理店側からと媒体側どちらも経験してきた。いまは調査とマーケティングの仕事をしている」

──まず7月8日の暗殺事件を「どう見たか」からはじめよう。
「レギュラーの番組が報道の特番で飛んで差し替えになるなと瞬間的に思った。テレビの事情だけでなく、ここまでくると世の中が通常運行ではなくなる。どうか連鎖的におかしなことが起こらないでくれと祈った」

──翌日7月9日になると、統一教会の話題が報道されていた。
「事件があった8日は金曜日で、警察の会見が報道されたのは夜遅くだった。報道機関やゴシップメディアが金曜の夜から土曜、日曜と動いたのは参院選があったからだ。土曜の朝刊の原稿締め切りが午前1時頃と言えば、どれだけ大慌てで記事を書いて印刷所に回したかわかるだろう」

──事件当日の夜の警察会見のあと大急ぎで記事を書いて、用意していた原稿をすっ飛ばしても掲載したかった。
「8日の夕方までに出たネット記事が朝刊に掲載されるはずだった。ここに犯人の母親の話が飛び込んできた。午前1時の締め切りまでに裏取りなんかできない。有識者のコメントも取れない。そうやってつくったのが土曜日の朝刊に載った記事だ」

──10日朝にアップロードされたFlashのWEB版は詰めが甘かった。統一教会の分派で教団と敵対しているサンクチュアリ教会まで関係があるかのような書き振りだった。
「この段階では何もわかっていなかった。統一教会で書けることをぜんぶ書いておけという指示だったのではないか。こんなものでも価値があると思われていた」

──参院選の当日に他社に先駆けて記事を滑り込ませればページビューを稼げると考えたのだろう。
「日曜の午前にアップした記事は平日と比べて読者の反応が遅いので、正午過ぎにならないと火がつかない。それでも選挙当日に一番乗りさせたかった。流れをつくりたかったのだと思う」

──母親が団体に献金していたのは、起承転結で言えば「転」。流れを変える話題だった。
「母親、家族というのが圧倒的に感情に訴える」

──警察の会見直後からツイッターで新興宗教、お金、家族がひとつになった話題が一部で盛り上がっていた。
「わかる気がする。新興宗教の話といえば、いつもそういう感じだ。思っていた通りの型にぴたりと収まる快感があったのだろう」

──選挙のあとは怒涛のように教団追及になった。
「選挙のあとではなく、11日の教団主催の会見のあとだ。それまでの報道でぼかされていたベールがはずされた。個人的な感想だが、8日の深夜に新興宗教の話題に反応した層や10日のFlashの記事に食いついた層は、選挙の結果に影響を与えるような人たちではなかったのだろう。これはかなり重要なことだと思う」

■役者がそろった

──7月11日の教団会見をどのように見たか。
「あのとき、みんなが何をもとめていたかよくわからなかった」

──「みんな」とは会見を見た人のことか。
「見た人と記者たち。統一教会は事件との関係を否定して当然だし、彼らに腹を立てるのは挑発に乗っているだけだ。記者は挑発を引き出している」

──そのように冷めた目で見ていた、と。
「そうだ。でも、いまもあのときの写真が使われるくらいテレビ的に言うと絵的に面白いものが撮れた」

──教団会長の田中富広の会見だった。暗殺された安倍晋三と犯人、その次に出てきた登場人物だ。教団の代表は顔が見えてキャラクターがはっきりしていた。
「挑発的だった。言ってることが正しいかどうか関係なく壁のようだった」

──役者が揃った。こうした実態がないとストーリーがつくれない。犯人は留置場の中で、警察官では役者が足りない。自ずと統一教会を軸にした流れに興味が集まった。
「そんなふうに言うと不謹慎に思われるだろうが、視聴者や読者が求めているものが揃った。メディアに伝えやすくて受けがよい大きなネタができた」

──あまりにも刺激的なネタだった。
「警備で失敗した奈良県警はしてやったりだろう。報道が誘導して話をそらしてくれた」

──顔が見えるのは重要だ。属性や名前だけでは興味をひかない。ひどく俗っぽい事実だが、動かしようのない真理だ。
「教祖夫婦の写真を使いまわしても意味がない。統一教会と言えば、あのメガネのおじさんになった」

──安倍晋三、犯人、メガネのおじさん。できごとの点と点それぞれに顔がついて教団追及の流れになった。
「あと、鈴木エイト。彼が統一教会と政治家の人脈図を持っていると言った。同じ規模かどうかは知らないが、メディアも似たような情報を持っていて、報道の記者だって知らなかったわけではない。でも社員記者が言うより、誰かに話をさせる。登場人物をつくって登場人物に喋らせるほうが得だとなったのだろう」

──ここで8月の熱狂を生む段取りが整ったことになる。
「番組は『テレビ的な絵』を求めている。新しいタレントを求めている。絵がないとはじまらない」

──彼のほうが記者より暴露できる情報をたくさん持っていたのだろう。だから日テレが知らなかった24時間テレビ出演予定のタレントの暴露もしている。そうは言っても、テレビ的な絵としてキャラが必要だったのはまちがいないし、暴露がトラブルの元になったとき自社独自取材かゲストの持ち込みかでは局や番組の責任がだいぶちがう。
「彼が集めた情報が正しいかどうか確かめたとは思えないまま、疑惑追及をはじめたテレビはなかなか怖い媒体だと思う」

──統一教会の問題はどこからみてもテレビ的なものになった。
「テレビ的と言うよりワイドショー的になった。司会者のもとにゲストが揃った。これでワイドショーの進む方向が決まった。犯人と教祖夫婦、犯人とメガネのおじさんだけなら、ここまで話題を引っ張れなかった」

──ワイドショー側にコンセプトがあってゲストを囲い込んだわけではなかった。ワイドショーには強い政治的な意図もなかった。テレビ的な人材としてオウム真理教事件のとき『絵』になった専門家も集められた。宗教問題を扱う学者やカルト脱会の活動を続けてきた僧侶がいても、絵になりそうもない。テレビ的なしゃべりの実績もない。
「くどいようだが統一教会の人脈図を持っている人物に全員が寄りかかっているのは、リスク管理のうえでほんとうに怖いと思う。メディアの人にも、こうした不安を口にする人がいた。そのために権威はつくられて利用されると私は答えていた」

──権威について、まったくその通りだ。ロシアのウクライナ侵攻報道との違いを、ずっと考えてきた。ウクライナについての権威である専門家の先生は今まで一般には知られていなかった人だったが、この人たちをテレビの報道畑の人たちが連れてきた。彼らには論文などがあり、これらはオープンな状態だった。あのように鈴木取材メモが公開されるのがはじめてで、価値があるとされるくらいクローズドだった。特ダネとはそういうものだが……。
「特ダネはそういうものだとしても、不安を口にする人がいたのは人権など影響を考えないではいられなかったからだ。ワイドショーが何をどのように伝えようとしているか、ここにちがいがはっきり現れている」

■ワイドショーの舞台の上で

──統一教会の扱いがニュースとワイドショーであきらかに違う。この点を理解していない人が多い。事実を伝えるニュースと追及のワイドショーだ。
「ウクライナ報道では学者が事実を伝え分析をしている。ワイドショーは専門家とされている人が統一教会を追及している。これが冷静さを欠いていった原因だ。冷静さをなくしていくことが番組の趣旨だからとも言える」

──追及は追い求めるだけでなく、追い詰めて相手を糾弾する。これはワイドショーが得意分野にしている最大の見せ物だ。もともとワイドショーはニュースと芸能ネタをならべて司会者の話芸でつなぐ形式だったが、感情を煽ると視聴率があがった。これを突き詰めて問題を起こしてつぶれたのがアフタヌーンショーだった。
「芸能人の不倫ゴシップもそうだが、冷静に検討しましょうという番組ジャンルではない」

──7月半ばになると月末にむけて統一教会と接点があったとされる国会議員の名前が次々とあがった。
「今日は誰、次は誰、どれだけ汚染されているかと盛り上げたからワイドショーの視聴率があがった。政治家の名前が出てきました、では次は検討の段階に入りましょうとはならないのがワイドショーだ」

──「選挙の結果に影響を与えるような人たちではなかった」という発言があったが、この人たちがワイドショーの視聴者層とかぶりそうだ。
「ワイドショーを欠かさず観る人たちは、できごとの内容より失敗した人に興味があるようだ。そんな奴らと俺はちがうと言う人がいてもいい。代表的な層は何かという話をしている。番組も、この手法で視聴率をあげていったのはまちがいない」

──芸能人の不倫が例にあがったが、こうした話題が好きな人たちがいる。この人たちは自分の価値観や自分にとっての常識を疑わない。失敗するのは常識がないからで、だから世の中に迷惑をかけていると言う。とても素朴な考え方をする人たちだ。
「以前なら芸能レポーターの暴露を楽しんでいた人たちだ。同じ手法で統一教会と政治家を扱っている。あのままの構図だ」

──こうして視聴率を盛り上げているとき次の展開または落とし所は考えているものなのか。
「ない。考えていたのは1クール(四半期/3ヶ月間)の節目だろう。7月から9月までの1クールが、どれだけ視聴率を稼いで、番組は存在感をみせつけられるか。統一教会から国葬の流れで考えていたのはまちがいないが、最終的なオチより今日と明日のことを考える」

──8月に入ってもワイドショーの視聴率は高水準で推移した。なかでもミヤネ屋は刺激の強い番組づくりをしていた。
「ミヤネ屋は横綱だが後発の番組に追われる側だった。扱うネタが同じなのだから、あたったやり方があるならイケイケになるのは当然。こんなときわざわざ論点を変える番組なんてない。ここまで統一教会や自民党議員を悪にしてしまうと、被害者の複雑な事情なんて扱えないというのもある」

■リアルとバーチャル

──このようなワイドショー型の統一教会追及に何を感じたか。
「後出しジャンケンになるが、国葬中継を見て気づいたのは統一教会の話題にはリアルさがなかったこと。国葬はとてもリアルだった」

──リアルとは。
「そのまんま目で見て、見たまま感じたものだ。テレビ側の感覚では国葬を『みんな見た』と言っていい。テレビを見ない人もネットニュースの記事に載ってる写真を見たと思う。こうした大多数が国葬をリアルなものとして受け取った」

 【注:国葬当日のNHK総合の特設ニュース(午後3時からの1時間)の平均世帯視聴率は関東地区で9.7%、関西地区が11.7%だった。個人視聴率をベースにした番組占拠率は37.6%で、テレビを視聴状態にしていた人の3分1以上の人がNHKの特番を見ていたことになる。ちなみに平時の同時間帯のNHKの視聴率は1%台である。さらに中継とあわせてすべての媒体で当日中に国葬の模様が伝えられた】

──暗殺事件もリアルだった。
「動画が撮られていて写真もいっぱいあった。こうした様子をニュースがずっと流した。リアルさが、国葬のリアルさで回収できたのではないか」

──感情の回収?
「そうでもあるし……。銃撃の日は曇り空で地方の都市で安倍さんが倒れていて。国葬には会場の大きさや人の顔や人数とか空の色があった。感情の整理もあるが、何がどうなったかの結末がそのまんまで見たまんまだった。現実の回収だろう」

──統一教会の話題にリアルさがなかったというのは?
「あたりまえだが『ミヤネ屋』にあったのはスタジオだ。番組には司会者は正しいというルールがあり、番組が連れてきた専門家は『私が言っているのだから真実』というルールもある」

──ルールとリアルはちがうということか。
「ルールに従ったゲームと、国葬が見せつけたリアルはちがう。情報の多様さと量も圧倒的にちがった」

──ウクライナ報道の話が出たが、学者が最新の動向を報告して分析するだけでもリアルさがあった。これも専門家だから正しいだろうという暗黙の了解があったのではないか。
「たしかにそうだ。でもワイドショーとはちがう。ワイドショーの大袈裟な司会者、方向が決まった演出の予定調和、感想を喋る役のタレント、こうしたお膳立てがリアルさをぶち壊していないか。なんだかワイドショーの欠点がどんどん洗い出されていくな」

──しかし多くの人はワイドショーの内容をリアルだと思って興奮したはずだ。
「それもゲームのルールだろう。ワイドショーを観るとき視聴者は司会者の側に立って、司会者の味方につく。正しい司会者に、正しい現実を見せてもらっているというルールだ。この暗黙の了解がなくなったらワイドショーは成り立たない。そのうち視聴者はリアリティーがわからなくなったのだろう」

──ワイドショーの余計で不要なものはわかった。足りなかったものは何か。
たしかなもので目に見えるもの。オウム事件のときはいろいろな事件と結末が目に見えていたし、テロや上九一色の教団施設への捜査だけでなくオウムのパソコン屋や弁当屋もあった。リクルート事件のときは株の譲渡があった。もっと古いものではロッキード事件の『ピーナツ受領』というメモや領収書。それでどうなったかがあったが、統一教会のことでは『私は知っている』しかない」

──ワイドショーが扱った統一教会問題、なかでもミヤネ屋の内容はリアルの対局にあるバーチャルだったということか。
「バーチャルと言い切ると、怖いくらいはっきりする。自民が汚染されているというのは嘘ではないとして、だったらどこまでで、どのくらいなのか証拠が出てこない。証拠というより、オウムのパソコン屋のように見えてこない。でも教団が日本を支配していると話が膨れ上がっている。膨れている部分はバーチャルではないのか」

──それを制作現場はわかっていたはずだ。むしろ率先して先へ進むのを止めた。
「そうだろう。暗殺現場の映像と国葬の長い列にかなうリアルさがないなら、そっちへ向かないように必死になる。これは政治的な話をしているのではない、話題性について言っている」

■振り上げた拳を下ろすとき

──他の政党にも統一教会と接点を持つ政治家がいた。すると接点があるだけで問題視をしていた紀藤正樹が、関係には濃淡があるという説を提唱した。ワイドショーもとうぜんのように肯定して採用した。濃淡の判定は彼らが独自に決めるらしい。
「濃淡を自分たちが決めるというのは筋がよいとは言えない理屈だが、ここまできてしまうとしかたなかっただろう」

──しかたないとは?
「ブレーキを踏んでハンドルを別の方向に切るなんてできない。感情で動いてきた人たちをどこかへすっ飛ばすことになる。これは裏切りになる」

──政治家も感情で動いていた。論理的だったなら、政治家と有象無象うぞうむぞうの有権者が接触するのをわかったうえで、身内だけ清潔だと言って糾弾活動をしないだろう。
「濃さ薄さを自分たちで決めはじめたおかしさに気づかない。なりふりかまわない。ワイドショーが拳を振り上げさせたと言ってよいと思うが、一歩引いてワイドショー型の追及劇が一般人だけでなく政治家まで興奮させた」

──拳の振り下ろし先というか着地点が見えない。統一教会を追及する方法や規制案は法や人権を無視した過激な提案ばかりで、強引なだけでなく非現実的でせっかちすぎる。こうした姿勢を批判する人は教団の回し者のように言われている。着地点がないなら番組もこのまま続けるほかないのか。
「振り上げた拳を番組が下ろせるようになるまで話題が続く。7月から9月の1クールはしのげた。番組にとって拳を下ろせる同じくらい刺激が強い話題が10月にはまだない。だから吊し上げをする雰囲気になったのではないか。吊し上げの次は新しい顔、新しい登場人物を連れてくる。これが定番のやりかただ」

──薄々感じていたことだが、あなたからも言われると絶望的な気分になる。
「でも世間では終わったと思っているのではないか。なかには、そんな話題がはじまってすらいない人もいる」

──ワイドショーの影響が大きいのか、そうでもないのかわからなくなる発言だ。
「いまどきメディアの情報を信じられるという人は6割だが、むしろ4割は信じていないと言ったほうが実感に近い。ワクチン情報の場合は、テレビの情報を信用していたのは10代と50代以上で、20代から40代は信用していない。リアルさの話に戻るが、国葬に参列する人の積極性と反対派の内容から見て、ワイドショーが生み出したものは所詮テレビの前の怒りにすぎないのではないかと感じる」

──強硬な反ワクチン層は接種対象の1割程度とする調査結果がある。私のツイッターアカウントに闖入してくる強硬だったり不思議な考え方をする人の様子を見るかぎり、ワイドショーに同調する強硬な意見の持ち主は多数派ではないように感じる。
「調査が行われていないから経験をもとに言うほかないが、統一教会に強い興味を持ち続けているのが、ワクチンを嫌っている層と同じように1割か1割以下だったとしても別に驚かない。統一教会の話題でワイドショーの個人視聴率が120%程度あがったとしても、この問題に強い興味を持っているのは有権者のなかでもかなり限られているということだ。ワイドショーの世帯視聴率を仮に5%として、これらのうち大多数はテレビを点けたままうすらぼんやり『統一教会はいやだわ』と感じる程度だ」

──視聴率の話をしても実感しにくい人が多いだろう。
「そういう人は自分や親や知り合いがテレビをどのように観ているか考えればよいだろう。ワイドショーは習慣的にテレビをつけて視聴されがちだ。退屈なら席を立って台所で茶を淹れたりする。録画してじっくり見直す人はいない。不倫疑惑などに真剣になって顔を真っ赤にしているとするとかなり危ない人だ。うすらぼんやりした『統一教会はいやだわ』という層ばかりで、強い興味を抱いている層は少ないというのはこういうことだ」

──顔を真っ赤にするような層は怖いのだが、うすらぼんやりした感覚の広がりを危惧している。信者や信仰のない二世を排除したり圧迫する空気感は、この層があるから発生しているし、これからも続くのではないか。
「これからの時代がどうなるかは自分にはわからない」

──信者や二世などに話を聞くと、信仰を告白させたり、仕事から排除したりする人は空気を読んでやっている。突出して攻撃的な人がやっているわけではない。もういいかな、やっていいかなと周囲をきょろきょろしたうえで判断している段階は終わりつつあって、やってとうぜんとなったから地方自治体でさえ議論なしで排除をはじめている。
「うすらぼんやり層がいることで勇気づけてしまっているのか」

──いつ話題が尽きるかわからないが、仮に終わったとしよう。そのときどうなるのだろうか。
「刺激の強い話題があれば、ワイドショーはさっと拳を下ろして、ある日とつぜん別の追及をはじめる。うすらぼんやりな人たちは次の刺激に移動する。こんなとき1割か1割以下の人たちがどうなるか今まで想像したことがなかった。きっと好みの専門家について行くのだろう。その人のファンになるということだ」

■反省会

──統一教会を追及できたのだろうか。
「ワイドショー的には追及できたのではないか。驚いたことに統一教会をいままで知らなかった大人がいて、こうした層に『統一教会はいやだわ』とぼんやりした感覚を与えた。でもこれが宗教への免疫にはならないのではないか。オウム事件のときがそうだった」

──ここから他のカルトに話題をつなげるのでは?
「そうかもしれない。でも刺激次第ではないのか。統一教会の刺激は役者がそろってテレビ的になったから成立した。こんなことがめったにないから専門家が脚光を浴びたのは20年ぶりだった。だから吊し上げイベントがあって、次は新しい顔を連れてくる」

──強い刺激を1クール与え続けたあと、さらに強い刺激がないかぎりどんな興味も陳腐化する。
「ドリフターズや志村けんが長期間人気だったのは笑いの刺激がコントロールされていて、次の新しい笑いのポイントに興味の引き継ぎができたからだ。ここが一発屋と言われる人たちとのちがいだろう」

──また濃淡論などで党派性があからさまに見えてしまったのはまずかった。
「うすらぼんやり層は気づいていない。でも色が着きすぎてしまったことから、統一教会の話題を扱うならとても強い政治性とセットになってしまい扱いが難しくなった。こんな雰囲気をテレビ報道にかぎらず他のメディアからも感じる。割り切ってイケイケだったとしてもだ。ここで数字は出せないが、結果が出たばかりの調査から統一教会の話題に強い「嫌気」を抱く人がいることがわかった。もう話を聞きたくないし、話をしたくない人たちだ」

──まずい、この対談も嫌われる。
「そういうことだ。そろそろ専門家たちもメディア側から何らかの数字を見せられているのではないのか。そんなもの関係ないというならどうでもいいが」

──党派性を帯びているなら、多数派と少数派の話になってしまったことになる。濃淡論で甘い判定が続いている立憲民主党側だと見られているし、実際そうなのだろう。また特に政治を意識していない人たちにとっては、生活に直結した話題ではなくなってしまった。
「たしかにそうだ。統一教会で自民を攻めても立憲民主の支持率が増えるどころか前の月から0.1ポイント減って6.0%という結果だった。国葬前で、もうこんな感じだった。自民や内閣の支持率も下がっているが、これが立憲の支持に回っていない。自民は別の理由で支持率を下げている」

──うすらぼんやりと「いやだわ」と感じている層と強硬な層はどこにいるのか。統一教会問題で立憲支持になったのか。
「強硬な層が立憲を支持していても支持率低下を阻止するほどはいない。多数派と少数派で言えば少数派のなかのほんの一部。1割もいない1割以下なのだろう。『いやだわ』の人たちがかなりいても大勢に影響しないのは、『いやだわ』は政治ではないということだ」

──少数派のなかのほんの一部なら、超法規的な要求はなかなか実現されないだろう。これが、党派性をあからさまにしてしまい大きな世論をつくれなかった失敗点だ。これから実現される現実的な対策が自分たちの成果だとトロフィーにするとしても、強い興奮にカタルシスが与えられるとは思えない。
「強硬な層はどこにいるのか、どこにいた人たちなのか、どこへ行くのか……か。今まではっきり立憲支持や野党支持だったとも思えない。何かの主義主張で活動していた感じでもない」

──この人たちはとても素朴で、いまだによく事情や全体像がわかっていない人たちだ。端的に言って視野が狭く、すくなくとも統一教会の問題では自分の価値観が絶対であると、相対的な視点を失って正義に強いこだわりがある。カルトウォッチから流れて行った人たちもいる。感情に火をつけられて、その感情にカタルシスが与えられない。原発事故のあととそっくりだ。
「どうなるかは誰にもわからないな」


付録/ワイドショーが増幅させた感情

 8月のはじめは、教団を解散させることがあたかも前提となっているかのような調子で、自由民主党の議員と教団が癒着しているため解散させられないまま現在に至ったとテレビのワイドショーなどで語られた。こうした憶測どまりの過大な影響が結びつけられ、教団が日本を牛耳っているかのように伝えられながら、超法規的措置で教団を解体しなければならないとワイドショーを舞台にカルトの専門家たちも発言が活発化している。

 統一教会問題が解決策へ進むのを止めて、ひたすら大衆の感情を昂らせたことで大きな影響を与えたのは、読売テレビ制作で日本テレビ系列局放送のワイドショー『情報ライブ ミヤネ屋』だった。

 8月の『ミヤネ屋』をめぐる人々の興味や関心を、継続的に観察しているキーワード「統一教会+議員」と比較してみた。

 個別の議員への興味や関心は7月末から低下して横ばい状態だが、この頃から議員と教団の癒着について憶測を盛んに語った『ミヤネ屋』への興味や関心が伸長しはじめている。教団が日本を牛耳っているかのような主張が番組の基調になると、『ミヤネ屋』への興味や関心はさらに激しい盛り上がりをみせた。

 なぜ数あるワイドショーのなかで『ミヤネ屋』が注目を集めたのか。

 司会者宮根誠司氏が支配する番組空間に、紀藤正樹氏や鈴木エイト氏などを権威として据えて、番組が正義の立場をまずつくりあげた。統一教会と自由民主党を悪、番組と視聴者を善とする単純な構造へ持ち込む。わかりやすく悪を糾弾すると、視聴者の期待通りの展開になり視聴率があがる。糾弾の刺激を上げ続けることで視聴者離れをなくす。こうしたワイドショーの視聴率向上のセオリーが徹底して適用されたと言ってよい。

 これは単なる他局との視聴率競争ではなかった。FRIDAY WEB版に『ミヤネ屋』固有の事情が語られている。

FRIDAY digital 8/6 ひろゆきも称賛!『ミヤネ屋』旧統一教会への攻めっぷりの裏事情より

 『ミヤネ屋』は全国放送としては後発組になるCBCテレビ制作でTBS系列局放送の『ゴゴスマ -GO GO!Smile!-』(略称ゴゴスマ)との視聴率競争で苦戦していたのである。

 2016年から全国進出をはじめた『ゴゴスマ』は、2020年から関東で視聴率を著しく伸長させて21年には8%台という午後枠では驚異的な視聴率を叩き出している。覇権を握る『ミヤネ屋』をはじめ昼枠のワイドショーは視聴率3〜5%台で推移するのが通常なので、『ゴゴスマ』が記録した視聴率は驚異的と言ってよい。

 既にさまざまな媒体で統一教会問題を扱う『ミヤネ屋』の視聴率について語られているが、独自に取材したなかからも『ミヤネ屋』制作スタッフのみならず局全体が『ゴゴスマ』の存在を強く意識していたうえで番組がつくられていたようすがわかった。「7月の成功をもとに、8月はアクセルをベタ踏み状態にした」というのだ。

 「ミヤネ屋は横綱なんだけど追われる側だった。扱うネタが同じなんだから、あたったやり方があるならイケイケになるのは当然。こんなときわざわざ論点を変える番組なんてない。ここまで(統一教会や自由民主党議員を)悪にしてしまうと、被害者の複雑な事情なんて扱えない」と証言する者もいた。

 わかりやすい勧善懲悪の構造をつくり、わかりやすく悪を糾弾すると視聴率があがる。それぞれの思惑の道具として利用したい専門家にとっては願ったり叶ったりの舞台となり、制作者との思惑が一致したうえで論点を次のステップへ進めるのを止めた──こうした疑いがあるのだ。

 影響は番組の視聴者にとどまらず世間全般へ漏れ出していく。興奮ばかりがたかまって、いつまで経っても課題が解決されない怒りが安倍晋三や自由民主党だけでなく、教団信者や二世をも社会から排除しようとする世論をかたちづくった。「壺」や「ズブズブ」を連呼して超法規的な措置を望む層の登場だった。



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